50……何かが来る

 ちゃぽん。ティティは水面に手を突っ込んだ。神官用の禊ぎの場所を提供され、ようやくお風呂。水は冷たいが、我慢できないほどでもない。


(ああ、すうっと落ち着いてきた……大丈夫、わたしには出来る。オベリスクの呪いの諱を口にして、空へ解き放つだけ。それが、イザークへの呪いならば、やらなきゃ)


 ぶくぶくと水面に顔を突っ込ませて、ティティはざばりと顔を上げた。


(でも分からない。どうして、民はあんなにもイザークを呪ったのだろう。イザークの眼が赤い理由もだ。いっつも充血している。そういえば、結婚がどうのこうの)


 ――昨晩の行為を思い出して、頬が火照った。


(……わたし、どうしてこう、一直線なんだろ)


 強く眼を瞑って、水に沈んだ。眼までを出して、恥ずかしさに辺りを伺う。無人。


(いいの! 受け止めて貰えたんだし! 今は、オベリスク。諱を読み、神へ交渉する力が何故、備わったのかが分かる気がするのは、予感ではないわ。落ち着くの、わたし。でも、また、したいな……違う違う。その気持ちを正しく向けるのよ)


「神に背く準備。テネヴェ、ヴァベラの民……ラムセスの諱」 お父さん、お母さん。言葉を口にしているうちに覚悟ができた。岩室の水面に別れを告げた。



「――随分と思わせぶりに待たせますね」


 水滴を足元に垂らしたティティがオベリスクに連行された時、イザークは神官に剣を向けられていた。


「昨日と同じ、保険ですよ。貴女が呪術を解き、どう出るか分かりませんのでね。神を冒涜した諱を我が国にぶつけられたらたまらない」

「信用がないのね。――そういうの、止めて。はじめるわよ」


 ティティはざっとオベリスクの前に仁王立ちした。こわい。真っ赤なオベリスクは胴体にあらゆる文言を彫り込んだ、神への捧げ物だ。昨日は半分の諱を紐解いた。残り半分と、ぽつんと残したイザークの……。


(大丈夫。わたしは、イザークとひとつになった。心は揺らがないわ)


 ティティは靜かに絡まったままの魂の名前を読み上げた。名前は読まれなければ呪いになる。ただ、読めばいい。どこへもいけない未練が憎悪になる前に。


「見事ですね。解かれた諱が天へ昇華する。兄には勿体ない女だ」


 横目でイザークが誇らしそうにティティを見詰めている状況に気付く。イザークが見てくれている。(だめだめ、集中、集中)とティティは最後の諱に眼を向けた。


 オベリスクが震動し始めた。呪術が働きかけている。


「は、はは……素晴らしいです! さすがはマアト神へのオベリスク!」


 クフ王が歓喜の声を上げた。


 ――おかしい。ティティは諱を読むを止めた。


(人の無念の憎悪の諱。わたしは解放したわ。それなら、どうして戻らないの?)





「何かが、来る」

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