47……監禁されていたラムセス

「こっちだ。足元に気をつけろ」


 スタスタ歩くイザークにパタパタ追いついて、見ると礼拝堂と湖があった。歩くと、かしゃ、と音がする。驚いて、ティティは足を持ち上げた。白と蒼の結晶。


「塩湖だ。塩の結晶を踏んでる。多神教の礼拝堂だ。全員の神の塑像が並んでいたが、暴動で壊された。クフはマアト神の塑像だけを神殿に置いたはずだ。あれだ」


 ドームはかろうじて形跡があるだけ。組み合わさった木々は腐植して、ダラリと垂れている。イザークが狼のような眼を凝らした前には小さな家があった。


「ラムセスが軟禁されていた場所だ。誰も踏み入れない神の建物。俺と、ラムセスとは王子同士で立場は同じ。俺がアテンへ行かなかった事態が悲劇を生んだ」


 イザークの口から出る〝悲劇〟の言葉に身震いした。


(怖い。でも、聞いておかないと。お父さん、お母さんが話せなかった真実だから)


「取替子

チェンジリング

と言って、王子を取り替える古い風習だ。親交の証でね。古代は赤子の時にすり替えたらしいが、俺たちは十の時に政治的にそれぞれ出立する手筈だった。で、ラムセスがテネヴェに来たわけだ」


 イザークは話の途中に扉を開けた。


 数冊の本と、ベッド。それに剣の腕を磨いたらしい、木の板。


「最初は宮殿にいたんだぜ。賓客だから」


(子供のいた気配? 本が、少々と……器が一つ。なんて暗い部屋)


 イザークはぱらぱらと本を捲りながら、息を吐いた。


「だが、利用しようとする者が出て来た。ラムセスに祖国の怨みを吹き込み、戦わせようとする悪の民。先導したのが、クフだ。小さかったが関係がない。クフは自ら国を手に入れ、父を消そうと何度も試みているんだ」


 イザークは自嘲を繰り返した。


「テネヴェの民の中には、善悪の分からない人間が紛れて生まれる。大昔に悪魔に刷り込まれた悪の遺伝子を持っている人間をヴァベラの民と呼んだ。生まれつきのヤツもいるし、目覚めたヤツもいる。クフは、――後者のほうだな」


 ティティはクフを思い浮かべた。口調もコロコロ変わるし、人格も不安定さがあった。笑顔は能面のように貼り付いている。元に戻そうとした本に気付いた。


「あ、それ、知っているわ。アケトアテンの歴史書」


 ラムセスは、ここで歴史を調べ、侵略を企てたのだろうか。でも、引っかかる。


(いくら、わたしがいたからって、王と王妃をイザークに任せて殺害しないなんてあるのだろうか。ラムセスは何が目的で侵略をしたのか。ううん、もしかすると)


 国に戻りたくて、歴史書をくまなく読んでいた少年の姿は容易に想像がつく。


(ごめんなさい。わたしは王子たちの運命の過酷さなど知らず、宮殿で笑っていたわ)


「おまえとラムセスは間違いなく兄妹だ。ラムセスも、多分、家族を求めて――」


 イザークはそれ以上は告げず、また夜空の元へ歩んだ。


***


「サアラの星堕しが見えない。マアト神が世界に来る」


 ティティはイザークの大きな手を握りしめた。

 ずっと持っているらしい甲虫石はやはり変な色だ。(わたしも)とティティも手の中に甲虫石を同じように押し込めて、手を重ねた。


 ――裁かれるだけなら、わたしたちは、どうしてここに生きているの。あのオベリスクが元に戻れば、何かが変わるのだろうか。できるの? こわい――……。


「呪術なんか、知らなきゃ良かった」


 ぎゅ、と手を強く掴むと、イザークは気付いてティティを覗き込んでくれる。もうティティは知っていた。イザークはティティの不安をすぐに察知してくれる。


 塩湖の匂い。テネヴェとアケトアテンの大気は違う。白い水面は時折朱に反射し、揺れていた。ぱき。かしゃん。割れた塩の結晶が足元で音を立てる。湖は濃度が高いのか、鏡のように淡く光っている厳かな雰囲気。今なら、素直になれる気がする。


「ネフトさまが言ってた。人は心と体を同時に結びたがる生きものだと。今なら分かるよ。こうやって手を結ぶのも、体と体を繋ぐことで、今度は抱き締められたくなる。うー、上手く伝えられない」


 イザークは両手でティティの頬を包み込んだ。二人の手から甲虫石が転がり落ちた。

「その先は?」ティティは言葉を見つけられず俯いて、さっとしゃがみ込んで甲虫石を拾った。「耳」とイザークの形良い耳元で片手を添えて告げ、頬を熱くした。


 視線が合って、一度は逸らし、また灰色と朱の眼を見る。イザークは珍しく眼を瞠っている。


(えへ、驚かせちゃった。そう、神さまがわたしたちの想いを裁くなら、わたしたちは、わたしたちで、わたしたちの想いを護りたい)


 力強い塩の結晶を踏みしめる音。迷いのない手がティティをしっかりと導く。


「分かった。礼拝堂へ戻ろうぜ。優しく、する」

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