46……怖がりのキスをして

 ―― 一日、あげるよ。呪いの力を解放すれば、相当な霊力が生まれる。


(クフの野郎、言葉を護るつもりがあるのか。追っ手は来ないみたいだが。弟ながら世界で一番信用できん。善悪が分からん弟など、いっそ裁かれてしまえばいい)


 イザークは神殿を抜けたところで、ティティをそっと降ろした。


 ティティは涙ぐんでいた。時間は限られている。一番してやりたいことはなんだ。決まっている。ティティインカの心を縛っている両親の所在だ。


「ティティ、来い。まだ時間がある内に、貴女の両親の足取りを追うべきだ」

「こんな時なのに」

「貴女の心配を取り除く。今一番、優先すべき事柄だ」


 掴む手の力が強くなった。あたたかい小さな手はまだ、震えている。


 イザークは足を船着き場の方面に向けた。マアトが戻る直前の空には、サアラの星堕しの軌跡。月は相変わらず泣いている。


 こんな狂った世界はいい加減終わりにしたい。終わりにする。この命果てても。


 夜のテネヴェはどこか罪の匂いがする。イザークは時折ティティが追いつくを待ちながら、埠頭へと足を進めていた。舫結びの船と、大きな帆船。遠き都カルタゴへの出港の船が蒸気を上げている。珍しくない風景だが、ティティの涙は乾いた様子。


 砂の王国育ちのティティは海を知らないのだろう。


「すごい、海を渡れるの? ねえ、お父さん、お母さんもここを?」


「国を追い出された王は、同じ大陸にはいられねえ。教えた通り、帆船に乗って、対岸の大地へ向かったはずだ。貴女を心配していた。秘密事ばかりで裁かれて当然とも」


 ティティは何も言わず、霞み始めた水平線をじっと見詰めていた。消えた両親を想っているのか。羨ましい話だ。


(生きているなら、なんとしても再会させてやりたい。ティティには、精一杯してやりたいと思わせる何かがあるんだよな……)


「テネヴェは一度裁かれた。しかし、人はしぶといぜ。何回でも立ち直る」


 イザークの独り言にコブラ頭が振り向き、小さく揺れた。ティティは、逸らさずにイザークを見つめたままだ。心配そうな瞳にぶつかって、イザークは肩を揺らした。


「大丈夫だ。貴女の両親は」「ううん」ティティは首を振って、じ、とイザークを今度は上目使いで見上げて首を傾げるように純粋な眼を輝かせている。


(なんだ? 無性に色っぽい。ほら、第二の心臓が早速反応。罪作りな王女だな)


 可愛い大きな瞳が、イザークを映している。まだ、右眼の色は残っているから、マアトは遠くにいる様子だ。ちろ、とティティはイザークを見、唇を緩めた。


――うっ……あの夜を思い出してしまう。また、あんな風にじゃれ合いたいと思っている下心まで。必死で抑えているのに。男の欲望は止めどないと教え込んだつもりだったが。


「おい、上目使いはちょっと勘弁。収まりつかなくなるだろ……」


 ティティは「ん?」と不思議そうに上目使いで見ている。正直、これ以上駆け引きの中で、ティティの言葉に動揺しないでいられる自信がない。既に暴走し始めている。


「いいのか? 俺、止めないぜ?」


 ティティははっと正気に返り、すっと目元を指先で押さえた。どうしたらいいのか分からない顔をしている。多分、さっきのオベリスクの一連の流れで、何かを見て、イザークには言えずにいる。

 クフに何かを吹き込まれて、イザークへの懐疑心が生まれたか。


 それなら、さっきの欲しがるような目の理由にならないだろう。


「一人で抱えるな。貴女は妻だ。オベリスク……何が書いてあったか、言えるな?」


 頷いて、ティティはぼそぼそと口にし始めたが、恐怖からか、口を噤んでしまった。

 イザークはティティの両肩を掴み、震える唇に口づけを繰り返した。唇が擦れる度に、ティティへの欲も膨れる。淫欲の大罪まで背負わされて生きている自分自身。だが、そこに愛があるなら赦される気もして。


「これなら、言えるか? 俺を信じてくれるか? 何度でも、してやるから」


 よく動く瞼に、そっとキスを重ねて行く。唇を降ろして、何度も唇を啄み合った。柔らかい唇が絡めば絡むほど、欲に力を与えてしまう。「ん……」と慣れないキスに涙を浮かべて快感に耐えるティティが何とも愛らしい。

 ようやく銀糸で繋いだ唇を遠ざけた頃には、ティティはゆっくりとすべての文言の内容を口にしていた。安堵の表情を浮かべたと思うと、吹っ切れると一目散の性質らしく、もうおどおどもせず、こんな言葉を言って来た。


「怖がって得しちゃった。いっぱい、口づけして貰えた」


 唇を嬉しそうに押さえたかと思うと、さっと掌に甲虫石を取り出す。


「でもね、貴方を傷つけたくなかったから、言わなかったのは判って。ん、今なら、綺麗に染まる気がする。恐怖も薄れたみたい」


「そんなに弱くない。民衆たちが、俺を殺せ、と……オベリスクが赤くなったはその影響? マアトの呪いが関係してるのか。謎だな、俺たちの目も?」


「わからないわ」ティティは吐息をついた後、「夜の神、アヌビス神」と呪文を唱え始めた。しばらくして、ティティは肩を落として、無言になった。


「なんだ、その甲虫石。錆びてんのか」


「貴方にあげようと頑張っているのだけれど、何度やってもこんな色。ホラ見て。二個も失敗しちゃって。もう、汚れた変な色!」


 ティティは、ぽーんとスカラベを投げようとした。イザークはぱしっと空中で受け止めたが、二個目が額に当たった。


「宝玉呪術を失敗するなんて! なに、このドロドロ色。ネフトさまは心を映すって言ってたのよ。でも、こんなドロドロの心なんか持った覚えない! もう!」


 イザークはティティの投げたスカラベを抓んだ。確かに、ドロドロ色。いや、ドロドロというよりは、モヤモヤ。


(モヤモヤか。気付かねえうちに、ティティが俺への想いでモヤモヤ……悪くない)


「貰っていいか。俺、これでいいわ。これが欲しい。あと、ティティ自身も」

「わたし自身? わ」


 ティティを強く抱き締めた。柔らかい四肢に腕が埋まる。「わ」との可愛い悲鳴も、愛に喘ぐ顔も、声も、笑顔も泣き顔も、全部モノにしたい。


「罪人アザエルの身分だろうと、王子だろうと関係がない。相手が神だろうと、やっと見つけた愛を奪う輩は許さない。ヴァベラの血のまま、反逆してやろうじゃねぇか」


 ティティの頭をそっと撫でた。


(暇つぶしの婚約が、こんなにも色濃くなるとは思わなかった。ラムセスと言い合ってたティティに向かって、俺はずっと手をひらひらさせた。俺に気付いて顔を背けた瞬間、困惑した横顔が、たまらなかった)


「でも、いつか、ちゃんとした御護、作って見せるから! 絶対よ! イザーク、今、罪人アザエルって言った?」


 空気は読まないが鋭い愛妻(決定)に向けて、イザークは小さく頷いた。


「サアラが俺を罪人アザエルと言ったんだ。見せておきたい場所がある。ティ、もう少し歩けるか。ラムセスがいた場所だ」

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