37……カルナヴァルの柱の神の名は

 イザークは茂みに突っ込んだが、すっくと立ち上がると、ズカズカ歩いてきた。


「気を利かせらんないのか! ネフトのおネエちゃんは」


「普段ならね」とネフトは告げ、国境の方角を指した。イザークが額に皺を寄せた。


 ネフトは髪を夜空にたなびかせた。


「ここからずっと南に進めばテネヴェ界隈よ。近道を教えるわ」


 ネフトはティティの服一式とイザークの背負い袋を持っていた。それに、こっそり磨き始めたドドメ色の宝玉。驚くティティをネフトは姉のように一度だけ抱き締めた。


「お別れよ、ティティインカ。夫の星堕ろしが終わったら、すぐに出るのよ。――軍隊の気配が聞こえるでしょう。かなりの人数がこの入り江に向かって来ている」


 イザークとティティは顔を見合わせた。ラムセスの追っ手に嗅ぎつけられた!


「ラムセスの野郎! どうしてこの入り江が分かったんだ!」


 唇を噛むイザークの前にサアラが現れた。ぐいとイザークに光剣を突きつけた。


「持って行くがいい。無数の星が眠った剣だ。願いが汝らを助けるだろう。無事に呪いが解けたら返してくれたらいい。子供たちの親への願いは、残酷なマアト神に打ち勝てるやも知れない」


 会話の合間も、ティティの耳はザッザと歩く兵の足音を捕らえた。イザークは剣を手に、まだサアラと向かい合っていた。


「胡散臭いんだよな。あんた」


(ちょっと! 因縁つけてる場合じゃないのに!)イザークはサアラに躙り寄った。


「俺は男にゃ頭は絶対下げたくねえが! 俺とティティの呪いは解けるのか……それだけ聞いておきたい。知っている情報を教えてくれ、頼む」


 言ってぐいと頭を下げた。ティティはようやく知った。イザークは呪いに怯えているのではなく、情報を探っていた。ティティ、大丈夫だ。告げながら、未来への暗中模索を繰り返していたのだと。


(一人で、背負わないでよ……ううん、わたしもついていくの!)


 ティティも一緒に膝をついた。サアラは跪いた二人に興味を示さず、空を見上げた。


「神に打ち勝てるやも、と言ったはずだ。聞こえなかったか」


「――大体逢えもしないのに、どうやって打ち勝つのか教えて欲しいね! 神だぞ! いるのかいないのか分からん存在!」


 サアラはくくっと笑った。


「おや。汝たちはやるだろう? 神をみた覚えがない? よく言うよ、汝は見たはず」


 イザークはバツが悪そうな顔をした。


「あんたは、すべて知ってて、黙ってるんだな。いけ好かねぇよ……! 殴りたい」


「本気で、人間は面白い。では、一つ、覚えておいて欲しいな」


 サアラはくるりと背中を向けると、両腕を夜空に翳した。一気に空が明るくなる。サアラの腕に合わせて、星々が集まり始め、大きな光の環になった。


 集めた光の環はラムセスの軍隊を照らし、光のヴェールで遮断した。両手を翳し、一瞥もくれず、サアラは嘲笑った。


「神の中にも、人間を案じる神もいるという事実をだ! 我が妻!」


「行きなさい。ここは、大丈夫よ。子供達はあたしたちが護るわ」


(神……いま、神の中にも、と言った……?)


「あんたら、まさか……」イザークが唾を呑んだ前で、どん! と大きな炎の壁が孤児院の洞窟を覆った。手を翳したネフトも振り向かずに声を上げた。炎の香煙に捲かれ、ネフトは炎を操っていた。ティティには判る。強力な呪術だ。


「氷の空洞。南に繋がっているから、抜けられる。ティティ、イザーク、あたしたちは世界を変えることは出来ない。そういう縛りだ。ただ、夫婦の絆はどんな阿保な神よりも高尚なもの。それは保証する」


「悪い。我が妻ネフトは感情が昂ぶると物言いが横柄になるのでね」


 ネフトは振り返り、ふっと笑った。サアラも夜空に掲げた両手を堕ろした。


「互いを信じて、行きな。それが全てだ。イザーク、ティティインカ」


 ――互いを信じて……聞いたイザークが強くティティの手を掴んで、引いた。


「ここは任せた。でも、俺は神を信じていなかった。これも覚えておけ」


(カルナヴァル神殿の柱の神の名は何? アヌビス、ネフティス、アラーだ……!)


「ネフト……ネフティス神! サアラ……アラー神! か、神さまって本当……」


 ネフトがくるりと振り向いた。


「貴女を何度も助けたでしょ? 諱を玩具にしたら呪わないといけないルールなの。何かあったら呼びなさい。相性が良いのよ、貴女とわたし。暇してたら力を貸す。イザークを誘惑するやり方 教えたでしょ」


 気付いて、腰が抜けそうになった。


(あたし、交渉した神さまたちと数日一緒に過ごしていたんだ! でもなんで、この世界で子供と旅なんかしてるんだろう……マアト神を知ってるのかな)


 ティティはもう一度背後を振り返った。神に護られた孤児院の子供たちは、きっと幸せになれるだろう。


 ――わたしは、わたしの道を行きます。ネフト様。冥府の女神、ありがとう、と。


 ネフトの告げた洞穴はすぐに分かった。大きな海樹の幹を切り抜いた、氷結した雫がきらきらと美しい。イザークは壁から垂れる雫を手で受け、頷いた。


「鍾乳洞か。行くぞ、ティ。テネヴェのオベリスクを見つければ状況は変わる」


「そんな安直な話じゃないでしょ」


 いつになくイザークは神妙な声になった。


「知ってるんだよ。テネヴェ――……マアト神の一神教の国だ」

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