第32話 force one's way into

 ◇ ◇ ◇ 


 ミッドヴァルト北東上空、アーガス王国とカルトガルド公国国境付近にて。


「映せ……《黒鏡くろかがみ》」


 ヒツギの詠唱と同時に、彼の前面に黒い縁の大きな鏡が現れた。


「《接続コネクト》――ヒルデガルド・エーベル」


 その呟きに鏡が応える。硝子の中に一人の女性が映し出された。


「……あら? これは《黒鏡》ですね。人類の敵である《黒の魔女》が《七聖天帝》の一人、《放縦帝》であるこの私、ヒルデガルド・エーベルに何か御用でしょうか?」

「お久しぶりです、先生。お元気にしていましたか」

「もう! 私の素っ気ない態度はスルーですか。相変わらずのご様子ですね、若様」


 二年前と変わらぬ笑顔でヒルデが笑う。今回、ヒツギがアーガス王国に手を貸そうと思った理由の一つには、彼女がアーガス王国の軍事魔導顧問を務めていることにもあった。


「ねぇねぇ、ひーくん、このおばさんだーれ?」

「ボスに対して、随分と馴れ馴れしいババアだな」

「でも、その片眼鏡はオシャレね。センスは悪くないわ。ウチには劣るけど」

「……あのねぇ、私はまだ二十五歳ですぅ~。おばさんでもババアでもありません~。確かに、あなたたちからしたら、あ、あれかもしれないけれど……。初めまして御三方」


 ヒルデがバーミリオンとウルルとクインに対して一礼してみせる。


「そうか。お前たちはヒルデとは初対面だったな。彼女は人間とはいえ、俺の魔術の先生だ。あまり無礼な態度を取ると、俺も気分が悪くなる。今後は気を付けてくれ」

「そうとは知らず、申し訳ありませんでしたボス! ヒルデさんもすみません」


 ウルルが急いで頭を下げた。彼女の尻尾がしゅんとうなだれている。


「ふふっ、プライドの高いワーウルフが人間に敬意を払うだなんて、若様も愛されていますねー。ヒルデちゃん、とっても安心しました。新しいお仲間も良い人たちですね」


 ヒルデは、ウルルたち亜人のことを『良い人』と言った。

 そういった些細な一言からも、その為人ひととなりが窺い知れる。


 初めて見た、ヒツギの《黒鏡》に興味津々な三人とは裏腹に、すでにそれでヒルデと対話したことがある、リリス、フィリシア、ホロウ、ラクラ、ルナ、は平然としている。


「ヒルデ、もうすぐ戦線に合流する。というか、完全に乱入だな。どうする?」

「あら、無条件で助けてくださる気になったのですか?」

「助ける? バカを言うな。現地で死体調達をするついでに、気紛れで蹴散らすだけだ」

「相変わらず、若様はツンデレですなー。ホントは妹のモニカ様が心配なのでしょう」

「それだけではない。お前のことも心配だ。カルトガルド公国には《軍火帝》がいるから」


《軍火帝》エルシア・ディッセンバー。世界に己の名を公表している、カルトガルド公国の武器製造者にして軍事顧問。その製造技術の高さ、質、用途等から、ヒツギは地球からの転生者ではないかと睨んでいる。この世界では珍しい、白衣を常に着ているという開発研究が恋人の病的な女だ。昔、一目見たことがあるが、左目は義眼で緑色に発光していた。


「まさか《七聖天帝》になった私を心配してくださるのが、魔物サイドの《黒の魔女》一人だとは皮肉なものですね。形式は問いません。お好きに暴れてくださいな」

「お前こそ、相変わらずのアバウトさだな。いいだろう。勝利だけは保証しよう」


 懐かしさに、楽しそうに笑いながら、ヒツギは《黒鏡》のチャンネルを切った。


「ヒツギ様ぁ~、見えましたよ。先陣は誰が切ります? わたくしが行きましょうか?」


 ルナ・バートリーが背中に生えた黒い羽根を楽しそうにバサバサと羽ばたかせる。


「いや、ルナ。今回は俺の我儘で始まった戦だ。ここは俺が切ろう」


 ヒツギは《支配者の椅子》の上で、目元がくり抜かれた灰色の仮面を顔に付ける。

 ごく一部の人間以外に正体がばれないようにするための、余所行きの代物。それを付けることで、自分がただの人間ではないと自覚し、スイッチを入れるための儀式でもある。


 そうこうしているうちにも、アーガス王国とカルトガルド公国の戦場に着いた。


「とはいえ、俺は所詮ちっぽけな、ただの人間だからさ。頼んだぜ、みんな」


 ヒツギの信頼の言葉に、配下が目を光らせた。今こそ自分をアピールする場だと。


 幾人かの兵士たちが、遥か頭上に浮遊するタイラントレックスの姿を目に収め、にわかに騒ぎ始める。やがてその騒乱は波紋となって広がり、視線を一点に集める。


 その上で、ヒツギは高らかに宣言する。偉大なる、魔の森の王として。


「揺るがぬ意志で、世界の真なる悪を裁く、魔の森の王――ミッドヴァルトの征服者、《黒の魔女》たる『私』は、故合って一時的にアーガス王国の味方となろう!」


 その宣誓と同時に、タイラントレックスが重低音の唸り声を上げて下降する。


「悪いな、みんな。私の家族のためだ。例え忌み嫌われた《屍術師》になろうとも、私を育ててくれたアーガス王国への恩義はここで返す」

「お気になさらず。あなたというお方は、本当に義理堅いお人だ」

「私は~、いつも通り好きにやらせてもらうけど、それでいいのよね~?」


 相反する答えを返す、ホロウとリリスにヒツギは頷いた。


「ホロウとリリスは好きにしろ。フィー、バーミリオン、ラクラ、クインは一般兵を相手にしつつ、アーガス王国兵を救援してやってくれ。ルナとウルルは、分かっているな?」

「ええ、人間じゃりの命を貪り散らかして、派手に吹き飛ばせば良いのでしょう?」

「いつだって、オレはボスの期待に応えるだけだ。オレは敵将を見つけて……殺す!」

「まったく、頼もしいな。任せたよ、私の大切な仲間たち。では、行こうか」


 数名の人間を踏み潰し、地面に着地したタイラントレックスが吼えた。


「蹂躙しろ、タイラントレックス!」

「うじゃうじゃと、鬱陶しいザコ共が! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す!」


 タイラントレックスが翼を広げ、全身を旋回させて周囲の人間を無造作に蹴散らす。


「好きに暴れるがいい。お前の本領を見せつけるときだ」

「我に指図するな、ヒツギ。邪魔だ、クソ蝿共が! 《ギガントマギア》」


 スカルドラゴンの振るう猛威が、両陣営構わずに襲いかかる。


「……ド、……ドラゴン!? それも異常に大きい……。決して、誰かに従うような存在では……。しかも骨!? あり得ない。これだけでも、主人の度量が伺える……っ!」


 カルトガルド公国の兵士長が、困惑に満ちた叫びを上げた。


「我が《デミ・レギオン》よ! 為すべきことはただ一つ、我々の力を見せつけろ!」


 ルナ・バートリーは小さな蝙蝠の姿になって、アーガス王国陣営に向かう。

 そこで変態を解き、正面にカルトガルド公国の兵士しかいない状況を作り上げた。


「風よ、来たれ! 雷よ、来たれ! 逃げ場はないですわよ。あなたたちの道はすでに途絶えた! ふふっ、ヒツギ様の怒りを買った愚か者には、お似合いの死をプレゼント♪」


 両手を前に突き出した、ルナの真っ白な手のひらから、猛烈な嵐と電流が迸る。

 それは周囲一帯のカルトガルド公国兵を一瞬にして、塵も残さず吹き飛ばした。

 その嵐に巻き込まれそうになったアーガス王国兵たちを、バーミリオンが足で掴んで宙に運び、クインが尻尾で巻き取り引き寄せる。ラクラが魔鋼糸で一気に大勢を引っ張った。


「砂利が! 目障りですわ。天の上に雷、大空に激しく響き渡れ!! 《炎天》! 《氷天》!」


 ルナの《真祖》の力による暴虐は続く。火柱が上がり、氷の塔が兵士を突き刺す。

 さらにフィリシアが《魔弓》による弾幕を張り、カルトガルド公国の銃弾を弾く。


 その間にも、ホロウとウルルの圧倒的な暴力による殺戮は始まっていた。

 凶戦士、ホロウ・フォールの漆黒の鎧から闇色の煙が上り、暗黒の魔力が解き放たれる。

 地の底からコシュタ・バワーが召喚され、それに騎乗した《黒騎士》が戦場を駆けた。


 ウルルは、匂いで人の感情や思考を理解する能力を持つため、常に戦況を先読みした動きで狼の如く突き進む。鋭い爪と牙が兵士の喉元に食い込み、派手な血飛沫を上げた。


 リリスは姿を消しているが、どこかで気儘に男の精でも貪って遊んでいるのだろう。


「さて、私は……まずは邪魔な後方支援の魔術師を、一斉に排除するとしよう」


 ヒツギが口の端を弧に吊り上げる。

 仮面の奥の瞳は昏い愉悦に満ちていた。

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