021●第4章●四谷プロダクション…1964年6月16日(火)夜③:社長と秘書と大爆笑

021●第4章●四谷プロダクション…1964年6月16日(火)夜③:社長と秘書と大爆笑




「社長、お疲れ様です」

 と、万城と漆田が立ち上がって一礼したので、久もどうしようかと思ったが、周りの空気を忖度する性格だけに、考える前にすんなりと立って頭を下げていた。

 秘書っぽい女性を伴ったこの中年男が、秘密組織の頭目だ。

「おうおう、礼儀正しいな。かまわんでいいよ。座ってなさい」と中年男は鷹揚おうように久を褒めると、「なるほど、出席メンバーは名前を書くのか」と黒板を見て、“丹賀鉄虎”と記し、横にタンガテツトラとルビを振った。

 秘書の女性も続けて流麗な字体で“秘書課長兼総務経理課長、真幌場マホロバマキコ”と書き添える。なるほど有能そうな肩書だ。

 椅子にどっかと掛けると、まず丹賀は、久と関係のない業務上の話題を口にした。

 丹賀の声には、民間企業の社長と言うよりも、ドラマなら刑事のボス役が似合いそうな、威厳と決断力がみなぎっていた。物腰に独特の余裕と懐の広さが感じられる。

万城マンさん、漆田ウルさん。ついでの話なんだが、さっき現場を撤収してきたカントクが、ぼやいとったぞ」

 カントクとは、さきほど上野の国立西欧美術館前で骨格恐竜スケルタルドンが暴れた後の原状復帰を指揮していた、ハンチング帽にサングラスの、小柄なずんぐりむっくり体形の中年男のことらしい。丹賀は続けて、「カントクによると、今回の壊しは、ちと派手すぎて、原状回復にちょっくら骨折ったらしい。こんなことなら、銅像や鉄柵なんか、あらかじめ破壊を想定した実寸模型にすり替えておけばよかったとさ」

「そりゃ無理難題でしょう。あそこにスケルタルドンが現れるなんて、その瞬間まで全く想定外でしたから。心の準備すらできなかったはずですよ」と反論する万城。

「あのたちも完全に不意を衝かれて、戦闘フォーメーションがバラバラになって、チームワークの連携がもうメチャクチャだったみたいですし。完全な奇襲にやられたと聞いてまっスよ」と漆田が補足する。

 そういえば、あの時の、こよみたち少女グループの戦いぶりは、かなり乱れていたようだ。思い返せば、九七式自動砲クンナジとやらの扱いも、六〇式自走無反動砲マメタンの登場も、いかにも、あたふたとして、慣れない行動だったように思える。

 だから、野口英世の銅像とか“考える人”を破壊するなど、怪獣はしばらく好き勝手に暴れることができたってことか……

 そこへ真幌場が助言する。

「でも社長、一考の価値はあると思います。“鬼象庁”さんの“霊気予報”がだいぶ当たるようになってきて、銀座戦線なら、魔物の出現予想がかなり高い確率で的中できるようになりました。めぼしい建築物件などを事前にベニヤとか発砲スチロールのニセモノに置き換えておけば、後処理は楽なはずです。経費節減にもなりますし」

「ふむふむ」と納得顔の漆田。「たしかに、時計台やネオン看板が壊されるたびに、いちいち本物を修復していたら、カントクも身が持ちませんね」

「そうでしょ、よろしくね、企画課長さん」

 真幌場の言葉で、万城は“企画課長”という役職だとわかる。

 それにしてもスパイ容疑をかけている得体のしれない少年の前で、業務上の内部事情を無防備に口にしていいのかな? といっても、話の内容は悪だくみではなさそうだし……と、久が妙に安心したところで、丹賀が目を細めて久を見る。

「にしても、こりゃまた変てこなスパイ君を捕まえたものだな」と苦笑する丹賀。「これがスパイだとしたら、よく化けとるなあ。どうみても、ただの浮浪児、いや欠食児童にしか見えん。ええと君」と、名前を書いてある黒板を見て、「キュウ君か、身体が細いぞ、筋肉不足だぞ、ちゃんと食べとるのかね?」

 健康状態まで心配してくれるのは感謝に堪えないが、“早くドロを吐いて、カツ丼を食らったらどうかね”と勧誘されてもいるような。しかし、それほど悪気もなさそうに見える。

「どうかなあ、キュウ君、折角のドンブリが冷めてしまうよ」

 と語り掛ける万城の言葉には、いたぶりの意図はなく、警戒心を解いて一言でも喋ってくれれば取引成立だぜ、という思いやりも感じられた。

 喋ってしまおう、と久は決めた。もともと、喋りづらい原因はスパイ行為とは関係ない。本当のことを言ったら、多分、正気を疑われてしまう、という理由だ。

「なら、言いますよ。本当に本当のことを言いますから、笑わないで下さいね」

 くどいほど前置きを並べるのは情けないが、仕方がない。

「いいとも、笑わないよ。絶対に笑わないと約束する。キュウ君の腹の虫もキュウキュウペコペコで、笑うどころじゃなさそうだしな」と、丹賀は気軽に請け合う。

「所属団体は、都立辰巳第三高等学校、一学年B組」

「ふむふむ」と、今度は漆田がえなずき、白い飛行チョークが角ばった字で板書ばんしょする。「で、住所は」

「江東区辰巳の都営辰巳団地」

「タツミ団地? 聞かないなあ。漆田君、地図を持ってきて……」と、丹賀。

 そこで、こよみがどこからともなく、小さく折り畳んだ市街地図を出して渡す。

「こよみくん、用意がいいねえ」と感心する漆田。

「ええ、火の用心の夜回り用です。よく道を尋ねられるので」

 詳細は不明だが、こよみの仕事には、夜間の市街地パトロールも含まれているようだ。

「すまん、ちょっと借りるよ」と地図を広げる万城は久に、「君の家を指してくれたまえ」

 しかし、久の指は地図の上をしばらくさまよい、ためらいながら一点に降りた。

「このあたりのはず……」と声が細くなって、消える。

 そこは“七号埋立地”とあるだけで、町名も番地もなかった。

 それどころか、陸地そのものが、足りない。首都高の湾岸線がない、JR京葉線がない、隣の“夢の島”は、まだ輪郭も定まっていない未完成の島だ。

 手が震え始めた。やはりこれが現実なのだ。僕の家は、この世界には存在しない……?

「僕は、未来から来たんです。信じられないでしょうけど、西暦二〇二四年の東京から来たんです。どうやってか、方法はわからないけれど」

「二〇二四年?」と、万城と漆田が声を揃えて驚いた。「六十年後の? 二十一世紀から?」

 久は深くうなずいた。そして予想した。これがアニメなら、この二人は顔を見合わせ、一瞬おいて爆笑する……。

 やっぱり。

 久の落胆をよそに、これぞ予定調和とばかりに室内に爆笑がどよめいた。

 万城と漆田、丹賀と真幌場が、ポーズはそれぞれだが、腹を抱えて笑う。こよみだけは必死で笑いをこらえているが、こらえ方が中途半端なので、唇が“~《ニョロ》”形になってしまい、微妙に可愛いと感じたものの、それよりも腹立ちがまさってしまう。

「どうして笑うんですか!」

 久の怒りに、丹賀は破顔しつつも、「いや、すまんすまん」と謝り、「こりゃあいい。万城君、一本取られたな。君が書いてる趣味のSF小説もかなわんだろう」

「いやまったくです。未来からやってくる秘密工作員なんて思いつかなかった。これ、絶対に使えるアイデアですよ。草川書房の“月刊SFM”に持ち込んでみようかな。ボツにされたら同人誌の“宇宙仁”がありますし。ストーリーの骨子は……第三次世界大戦で滅びに瀕した、未来の地球を救うため、現代へタイムトリップしてきた時間エージェント。目的は全世界の核兵器を無力化すること、そうやって歴史をやり直すことです。とにかく今、SFは大いに盛り上がっていますので、いけるかも」

 久にとっては、SFどころかライトノベル全般でも大流行している“過去に転生して未来をやり直す”パターンのアイデアで、通例的テンプレすぎてあきれるしかないのだが、この時代の彼らには斬新そのものらしい。いや、本当に斬新なのだろう。

 未来人であると告白する久を笑い倒して目じりに涙すら浮かべる万城だが、彼の“企画課”はそういった業務も担当しているようだ。つまり、特撮映画作品の企画と、その売り込み。

 かれらの真の正体は秘密ながら、表向きは“特撮の四谷プロダクション”なので、世間を欺く見せかけの映画制作も、実際に受注してこなしているのだ。それにしても、変な連中に捕まってしまったものだ。本当にこの人たちの頭の中は大丈夫なのだろうかと、僭越ながら一抹の不安を覚える。

「どうせなら、くノ一がいいですよ、時を駆ける女工作員」と漆田が悪乗りする。

「ほう、ゼロゼロセブンもびっくりだな」と丹賀も興味を示す。

 この時代の人々は、ダブルオーでなく、ゼロゼロと呼ぶらしい。

「ドイツ語ならヌル・ヌル・ジーベンです」と付け加える真幌場女史。

「それ、両生類みたいな粘液感があっていいですね。女工作員はネバネバな液体美女ってことにしましょう。仮のタイトルは“未来からの潜入者スパイ……液体美女ヌルヌルバージン”ということで」と、万城が黒板にタイトルを書く。

 あろうことか、社長の丹賀も乗り気を見せる。

「おう、液体美女、気体美女、電波美女はSFの定番だな。ひとつその線で企画書を上げてくれ。日宝さんか帝映さんに話をしてみよう」

「タイトルの音感からすれば、東活さん向けじゃないかしら。アクション活劇路線で行けば? 小森アキラや石戸ジョーの主演で」と真幌場女史。

 二十一世紀なら、これぞセクハラで一刀両断、即、没の憂き目に遭うはずのクズ企画が、この時代では日常会話的に纏められていく。こんなものを大手映画会社に売り込む気なのか。

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