020●第4章●四谷プロダクション…1964年6月16日(火)夜②:スパイ尋問
020●第4章●四谷プロダクション…1964年6月16日(火)夜②:スパイ尋問
「すまっほ? 須磨ホテル?」と一発芸人な顔の漆田が尋ねた。やはりスマホを知らないようだ。
ならばこの世界は本当に西暦一九六四年、自分の世界から六十年も昔の東京なのだろうか?
そう信じるしかないのだが、いまだに自分がTVのドッキリ企画の手口で、周りの連中にだまされている気がしてならない。疑いながら答える。
「スマートフォンのことですよ」
「へえ、スマート、かっこいい呼び名だね。いかにもスパイ道具だ。スマート君といえば、かの国にそんな名前の同業者がいて、TV出演を考えているらしい。君、あっちのスパイなの? CIAとか」
お気軽な調子で尋ねる万城に、「いえいえ」と首を振る久。
万城は興味津々の笑顔で、いつのまにか久のスマホを手に出している。
「フォンと言うのは電話か、じゃ、写真機だけでなく無線通信機でもついているのかい」
「本来、それがメインですよ。携帯電話の一種だし」
「携帯する電話か! すごいな。やっぱりスパイ道具だ」と驚く漆田、万城に向いて「靴底に無線電話を仕込めないかと研究していたンすが、“敵性組織”のやつら、ここまで科学が進んでいるとは、油断できませんねェ。立派な秘密兵器っスよ」
「あのう、日本全国、誰だって持っていますよ」言っても無駄と思いながら、久は続けて、「スマホ、返して下さい。写真のことは謝ります。勝手に撮って、悪いことをしました。画像は消しますから」
通常のカメラ機能とは多少異なる画像表示になっているが、きっと画面のどこかに消去ボタンがあるだろう。
しかし万城は久に、かえって怪訝な顔を向けた。
「いや、君はなにひとつ悪いことはしていない」
「でも、写真撮ったのが、ダメなんでしょう。肖像権の侵害とか」
「
本気で困惑している様子なので、肖像権という概念は空気よりも希薄らしい。
万城が言葉を続けた。
「写真撮影のことは横に置いといて、問題は、第一に、我々が魔自であることを君が知っていたこと。第二に、この精巧なスパイカメラの存在、そして第三に、君にはあの恐竜型の甲種魔物が見えていたこと……」
黒板の前に白いチョークが浮かび、カキカキカキと音を立てながら、万城の言葉と共に第一、第二、第三……と箇条書きした。目を丸くする久。街角で大道芸のマジックショーに遭遇する気分だ。
「あ、魔物のことですが」と漆田が口をはさむ。「ついさっき
「……そうか、じゃ、その、スケルタルドンという怪獣の姿がキュウ君にはしっかり見えていたということだ。そうだとしたら、キュウ君はありふれた
「ぼ、僕が魔法使い?」
中学の修学旅行で関西に行ったとき、大阪の映像系テーマパークで魔法の杖を掲げて呪文を唱えながら、自分も本物の魔法使いになってみたいと憧れたことはあったけれど、この珍妙な特撮プロダクションの人々から「君は魔法使いだよ!」と宣告されても、悪いが、ありがたみは皆無に近い。
万城はもっともらしく、うなずいて続けた。
「そこでキュウ君、我々が時節柄、特に警戒している“悪の組織”ってやつがあってね、そこで
「おおっ、そいつは怪しい。どこの組織の回し者ですかね」と、漆田がわざとらしく合いの手を入れる。
「はあ……」疑われても答えようがない。少しイラッときて、久は言い返した。「そっちのみなさんがマジかどうかなんて、僕に関係ないでしょう。それに、あなたたちこそ悪の組織じゃないですか。銃で脅迫したり、バケツ被せたり、こんなボロくてショボいアジトに連れてきたり、それこそ悪の組織の下っ端戦闘員がやることですよ。その制服だって、思い切りダサいし!」
久の頭の中には、主人公が食い物につられて秘密結社に入隊させられ、世界征服を手伝うはめになる……といったアニメ作品が浮かんでいたのだが、背後で「ぷっ」と吹き出す声に気を取られた。こよみが笑ったに違いない。あ、ウケたかな……と、つまらぬことを考えてしまう。
「いやいや、まあまあ」と二人の青年は久をなだめた。事態の険悪化は避けたいらしい。
これは捕虜に対する尋問に違いない。しかし、今から尋問するよ、覚悟しな……といった前置きは逆効果で、力で威嚇すればするほど本音を聞き出せなくなると心得ているようだ。万城はスマホを茶封筒の中にしまうと頭を掻き、愛想笑いで説得する。
「まいったな、キュウ君の言うとおりだ。恐れ入ったよ。すまないが、我々は君を拉致したのでなく、このアジトとやらに招待したのだ。招いておいて、きちんと自己紹介しないのは失礼と承知しているが、我々も秘密組織のはしくれなのでね。できれば先に君の方から、所属する団体名と、君のボスの名前とか、君の職務管掌とか、労務上の待遇なんかを不平不満も含めて打ち明けてもらえると嬉しいんだがね。そうすれば我々も君と親密になれるから、正体を明かすにやぶさかではない」
「僕が喋らなかったら?」念のため、久は訊いてみた。
「もちろん、拷問や自白剤……なんてことは絶対にヨシ子ちゃんだよ、約束する。それに、きっと、キュウ君は喋ってくれると思う。だって、君は何も悪いことをしていないからだ。そうだよね?」
なにを自信満々なのか、変な駄洒落男め……と思ったところで、ノックの音が聞こえた。
こよみが椅子ごとスルッと横に動いて、ドアを開ける。
「まいど!
出前を運んできた店員がドア越しに見え、こよみがアルミの岡持ちを受け取り、伝票の控にサインして渡す。白い厨房衣の店員は、久と歳が同じくらいの少年だ。振り向いた久と目が合った。
「面接なんです」と、こよみが適当にその場を繕い、岡持ちの中身を机に並べる。言われてみれば、企業の採用面接と捕虜の尋問とは、似ているような気もしないではないが……
受かるといいね! と言いたげに、少年は明るく会釈すると、空になった岡持ちを提げて出ていった。
「ということで」と、万城が楽しそうに丼の蓋を開けた。ほかほかのごはんに載せられた卵と出汁とサクサクの衣にくるまれたとんかつと、添えられた三つ葉の香りが、殺風景な部屋をふくよかな嗅覚四重奏で満たしていく。しかも豚汁とお新香つきだ。
「さて君は、どこから来たのかな。正直に答えてくれたら、このお食事を進呈するという
万城の猫なで声は、悪魔の誘惑だった。拷問や自白剤の代わりとしては、食べ盛りの少年に極めて効果的な手段である。
言われるまでもなく、久は腹ぺこだった。朝はパンひとつで、昼食は食べ損ねている。
「ホワット イズ ジス?」と丼を指さす万城。「さぞかし見知らぬ物体だろ?」
「かつ丼でしょ」と怪訝な顔で答える久、ごくりと喉が鳴る。
「ふむ、日本の食文化に明るいようだね、きみ」と漆田がふざけた調子で問う。「
「僕は日本人ですから」
「そうとは限らんよ」と万城。
物欲しげに、かつ丼を見つめてしまう久。食欲を掻き立てる香りに感覚が集中して、思考が麻痺してしまう。
「君の組織はなんていうのかな? 親分の名前だけでもいいよ。教えてくれたまえ」
「組織……ですねえ」久は口ごもる。答えられるものなら、さっさと答えてやりたいが、哀しいことに秘密組織にも秘密結社にも国家情報局にも内閣調査室にもご縁がない。
「君って、たぶん北の国から帰って来たスパイなんだろ? 鉄でなければ竹のカーテンの向こうとか、それともゲシュタポの残党か、スペクターかスメルシュか?」
あれこれ問われているうちに、腹が鳴った。
「なんだKGB《カーゲーベー》か。キュウ君の腹がそう言った」
「むちゃくちゃな…」とつぶやき、ふてくされてうつむく久。
こよみが不意に立ち、座っていた椅子をドアの前からずらした。人が来る気配。
ノックなしにドアが開き、鼻をひくつかせて、中年の男が現れた。
「いい匂いがするじゃないか。
濃いグレーの背広を均整のとれた体躯に着こなし、濃紺の地に赤い帯がグラデーションで斜めに入ったネクタイを小粋に締めた男は、中折れ帽が似合いそうなダンディな風貌だ。額が広く突き出て眉が濃く、目と眉の間が狭いので、眼力が恐ろしいほど鋭く見える。
が、久を見るとすぐに、にっと笑った。笑うと目元が優しい。万城や漆田と同じく、善人とまでは言えないが、卑劣な極悪人ではなさそうだし、漂う風格のハイスペック度は、二十一世紀の繁華街にはびこる“半グレ”のパリピおっさんに比べると雲泥の差である。とはいえ真の正体はわからないので、久は緊張した。
すると「私も」と、この中年男に付き添って、書類挟みを抱いた大人の女性が入って来た。
こちらは二十代半ばらしく、白い半袖のブラウスに紺のタイトスカート、黒いハイヒール。いかにも秘書でございます、しかも有能でございます! と言いたげな歩き方。髪は後頭部に丸くまとめ、銀縁の眼鏡が知的だが、もしも眼鏡を外したら、おきゃんな江戸っ子娘のイメージだ。将軍家のお転婆なお姫様が町娘に変装して、団子茶屋に立ち寄るみたいな。
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