第十六話
解放の英雄(1)
深い水底から徐々に明るい水面に浮かんでいく。そんな感覚に捉われる。
通常なら解放的な感覚なのだろうが、神経は不快感を伝えてきた。意識が覚醒するにつれ鈍い痛みが各所から伝わってくる。
「……ん、……ぐ」
苦しげな吐息が先行する。
「イムニ、目覚めたか?」
「クリス、ティン、様?」
「痛みを感じるだろうが我慢しろ」
少しずつ記憶が戻ってきた。
彼、イムニ・ブランコートは戦闘中だったはずだ。上官、クリスティン・ライナックの危機に彼の機体、黄緑色のオルドバンを割り込ませた。
「うう……」
「痛覚ブロック薬を弱めにしている。あまり強いと快復が遅くなってしまうらしい」
クリスティンが説明してくれる。
「命に別状ないし、後遺症の残るような傷もない。ただ、全身打撲と左半身の骨折で相当な痛みがあるだろう。すまない」
「そん……な。もったいない」
「無理にしゃべるな。ゆっくりでいい」
上官が覗き込んでくる。彼はベッドに寝ていて、クリスティンは傍らの椅子に掛けていたようだ。最前まで作業をしていたコンソールアームが脇に押し退けられている。
「自分は……、いえ、戦闘はどうなったのですか?」
しゃべるなと言われても気になってどうしようもない。
「敗北した。が、お前は気にしなくていい。私が決めたことだ」
「ぐぅ……。申し訳ございません」
「気にするなと言っただろう。割り込んでくれねば私はここには居ない。今頃はもっと酷いことになっていたはずだ。感謝している」
万が一にも正当なるライナックの後継者が喪われるようなことがあれば大混乱は必至である。派遣されたゼムナ軍は崩壊するだけでなく身動き一つできなくなるのは容易に予想される。そうなればイムニでは収拾など不可能。
「結果的にお前は私だけではなくゼムナ軍を救ってくれた」
「ですが、クリスティン様は自分のために敗北を決意してくださったのでしょう? 栄えある軍の歴史に泥を塗ってしまいました」
彼ならばそう決断するだろうことは長い付き合いで容易に想像できた。
「後悔などしていない。それどころか今はむしろ気が晴れている」
「なぜ?」
「おそらく苦しかったのだ。リューンが口にする理屈はでたらめさ。ライナックとしてはとても納得できるものではない」
心情を表すよう、薄く笑みさえ刷いている。
「だが、どこか私の戦士の部分が納得してしまっていた。戦場に立つ者として、そして心に忠実な一個の人間として彼の姿勢は間違っているわけではないと」
「そう……ですか」
「だから心が折れた。どこか芯の部分がリューンの強さを認めたんだ。強い感情が生み出す彼の強さを。幾度戦おうと勝てはしないだろうと、な」
否定したかった。イムニが尊敬するライナックの体現者は決して敗北することなど無いと。一時的に運命の潮流に翻弄されようとも、いつかは甦って勝利を手にするはずだと。
しかし、吹っ切れた面持ちのクリスティンに無理を言うのは酷だとも思える。どうやら心が折れたというのは方便ではなさそうだし、本人がそれを苦にしているふうはない。むしろ戦っている最中のほうが苦しげにしていたように思う。
(本当はお優しい方なのだ)
だから一生付いていこうと思ったし、命を賭してもいいと感じていた。
(敬愛するアーネスト様と同じタイプなんだろう。そうなりたいと願ったからこそ現在のクリスティン様になれたのだと思う)
戦士としては欠点かもしれない。
(でも、当主として人を統べるのであれば、この方こそが相応しい。能力の高さと決断力が当主の条件という風潮のあるライナックであれど、その思想が現状を招いている。立て直そうとお考えならばそれをお助けするのが自分のすべきことなのだ)
それが正しい在り方な気がしてきた。
(決意は変わらない。この方が何を成そうと、どこまでも付いていこう)
イムニも心穏やかになっている。
「艦隊はまだアルミナに?」
自分がどれくらい昏睡していたのか分からない。
「いや、もう間もなくジャンプグリッドに到着する。跳ぶ時に眠っていると悪夢を見るというからな。起こそうかと思っていたところだ」
「そうでしたか。もう全ては終わったことだったのですね」
「相談しなかったのはすまないと思う。即時撤収が約束だったのだ、リューンとの。それで見逃してくれた」
言葉の端々に諦めが見え隠れする。
「帰りましょう、クリスティン様。良い契機だったのだと思います」
「契機?」
「ご自分が本当に何を成したいのかお考えください。どんな決断をされようとも自分はお傍で仕えさせていただきます」
クリスティンは目を細めて「ありがとう」と言う。その笑顔こそが本来の彼なのだ。それを奪ったのはリューンではないような気がしてならない。
「思うんだ。歴史は美化された姿を伝えてくるが、始祖であるロイド様やディオン様はリューンのような男だったんじゃないかってね」
「いえ、違うと思いますよ」
イムニは一言の下に否定する。
「少なくともディオン様はあなた様のような方だったはずです」
「そうかな?」
「でなければ家族が不自由ない暮らしができるよう、遺跡技術の特許を取って財を成そうとは思われなかったはずです」
クリスティンは初めて気付いたように目を丸くする。
二人は病室で笑い合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます