逃げた英雄(11)

 父アーネストは子供をおおらかに育てるタイプだったようで、特に何か言われた記憶がない。ただ欲に捕われず誠実に生きるよう諭されたくらいか。

 ただ生母のフェニシティは元軍人だったらしく、こっそりと身体の鍛え方を教えてくれていた。リューンは忠実に習って、思い通りに動いてくれる身体作りに励んでいる。


 ヤングエイジスクールの年齢になり、学校に通うようになると勉学にもそれなりに打ち込む。知識よりも知恵が欲しかった。いずれ父母の無念を晴らす時のためには、体力だけでは足りない。相手は強大な国家権力に育ってしまっている。

 だから考える力を欲した。押し付けてくる知識はおざなりにして勉強する方法だけを重点的に学ぶ。物事の要点を拾い上げ、それを活用する知恵を身に付けたのだ。


「気を遣わんでいいから遊んでこい」

「嫌だ。親父の言う通りにしてたら、いつまで経ったって仕事を教えてくれねえだろうが」


 八歳になった頃にはディドのパン作りを手伝うようになっている。無論、恩返しの意味もあるが、手伝える身体もできてきたから腕試しの意味もある。

 乱暴な口調も養父に似てきている。それは半ば望んでのことだったので、誰に何を言われようが悔いたりはしない。養母ペギーも苦笑いで軽く窘める程度だった。


「ふえー! こぼれたー!」

「あらら、やっちゃったわねぇ」

 粉まみれになったフィーナが泣き出す。


 彼を真似て家の手伝いをしたがる妹だが、七歳ではいささか覚束ない。失敗も多く、それを家族で見守る日々が続く。その暖かさがリューンの身に染みる。この家族だけは絶対に守ろうと心に決めていた。


(親父、お袋、悪ぃがとうぶんは報いてやれねえぞ。俺はやることがいっぱいだ)

 そんなことを望む両親ではなかったと思う。だが、父アーネストの憂いたゼムナの現状に一矢報いる覚悟はできている。或る意味、彼の名こそがライナックの覇権に杭を打ち込む一因になるはずだった。


   ◇      ◇      ◇


 十歳にもなると色々なことが分かってくる。

 普段は過去に触れたがらない養父も、アルコールが入ると多少は饒舌になるということ。リューンは居間のテーブルに酒肴を運んではディドの横に座って昔話をせがむ。


「アー……、アレスは本当に誠実な方だった」

 本当の父の名が出てくる。

「ただ、根っからの芸術家肌で繊細な心の持ち主だったから、自分の一族が大勢の涙の上で成り立っているのが耐えられなかったんだろーなぁ。きっと距離を置かないと押し潰されそうに感じちまったんだろーさ」

「その辺はなんか嫌だ。親父は目を背けたかったんだろ?」

「そう言ってやるな。真正面から向き合う胆力がありゃ残ることもできたんだろーが、ゼムナ、特にポレオンって場所はちょっと空気が違う。あの一族の方々の、敬意が欲しくば力を示せみたいな風潮の中で育ったんだよ」

 アーネストはライナックとしては出来損ないだと呼ばれていたそうだ。

「だからほとんど表舞台には顔を出さない方だった。オレだって縁が無けりゃお名前しか知らなかったからな」

「で、逃げ出しちまったのか」

「でもな、あの空気の中じゃ生きられなかっただろーし、このクルダスだからこそニースやお前に愛情を注いで普通の男にもなれたんだって」


 肉体的にも精神的にも弱さばかりが耳につくアーネストだったが、家族が家族でいられたのは今の環境あってこそだという。ポレオンでは望めない生活であり、リューンが生まれることもなかっただろう。


「それでもあいつが居りゃもうちっとは違う生き方もできたはずなんだ」

 幾度か耳にした青年の名前が挙がる。

「セトが居ればたぶん死なせないで済んだんだ。あいつの頭脳があればずっと楽な暮らしをさせてただろーし、ちゃんと情報収集もやって危険を察知しただろーからな」

「親父?」

「オレは駄目だ。あの方を食わすだけで精いっぱいだった。情けねー」

 声に涙が混じってくる。

「挙句に気を遣わせて、自分で稼ごうなんて思わせたからあんなことになっちまったんだ。すまねー」

「やめてくれよ。俺はあんたに謝ってほしいんじゃねえ」

「そうですよ。そのくらいにしておきなさい、ディド」

 肴の皿を運んできたペギーも窘める。

「だってよー、お前だって本当はもっと子供が欲しかったんだろ?」


 秘密を抱えてふた家族が暮らしていくには目立ってはいけない暮らしだったという。子供が増えて、うっかりアーネストのことを漏らそうものなら、噂が罷り間違ってゼムナへ流れようものなら、一瞬にして壊れてしまう秘密なのだ。


「悪ぃ。オレが甲斐性が無いばかりにお前に本当の幸せをやれなかった」

 ディドは後悔を口にする。

「やめて。あたしは十分幸せよ。リューンとフィーナが居て、あなたと暖かい家庭が築けたんだから」

「うう……、セトだってあんな死に方をしなきゃいけないような奴じゃなかったんだ。大事な親友を置き去りにしてオレだけこんな……」

「そんなすごい人だったのか?」

「あいつは本物の天才だ。生きていりゃいくらでも偉業を残せたはずなのに……、それなのに……」


 今宵の酒は養父にとってあまり良い酒ではなかった。

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