混沌の宙域(6)

「何を考えていらっしゃるのですか、お母様?」

 思ったよりも険悪な声が出てしまい、戸惑いも感じるがそれは今はいい。

「創業家に嫁いだ者がグループを窮地に陥れかねない組織に身を置くなど、許されざる行いだとは思わなかったんですか?」


 事が明らかになったというのに悪びれたふうがない。それどころか普通に母親然としている部分に強い憤りを感じてしまう。


「何を怒っているの、ラティーナ。変ねぇ。ユーゴといい、あなたといい、どうして理解してくれないのかしら?」

 心底困ったように口元に手をやる。

「公人としての務めは十分に果たしてきました。ですけど、わたくしとて公人である前に一個人でしょう? 女であり母であるのを願って何がいけないの?」

「はい?」

「夢見ておりましたのよ。忙しいながらも家庭を大事にして愛してくれる夫。自由気ままにとはいかないまでも普通に朗らかに育った子供たちとの暮らし。そんな当たり前の家庭を」

 穏やかに語っていたルーゼリアの面持ちに影が差す。

「ところが実際はどう? レイオットは次代を担う子を産む道具のように接したりはしなかったわ。一人の女として愛してくださいました。でも家庭に重心を置いてはくれなかったの」

「無茶を言わないでください。お父様の立場でそれは不可能に近い。それでも十分に家庭を顧みる父親だったではありませんか」

「極めつけはその家庭での生活」


 母親はラティーナの言葉が耳に入っていないかのように振る舞う。自分の不遇を嘆き、それに酔っているかのようだ。溜まったフラストレーションが彼女の記憶にまで影響しているかのように見える。


「可愛い盛りの子供を手放すよう強要され、一人孤独に家で過ごすしかありませんでしたのよ」

 それにはラティーナも思うところがあるが納得もしている。

「社内派閥の争いに利用させたくはない? 高度技術を保有する我が社の機密を守るためには略取などの危険から遠ざける必要がある? そんなごたく・・・はどうでもいい」

「それでも現実にある危険です。お父様はそれらから私たち姉妹を守ろうとしてくださったのです」

「挙句の果てにどこの誰かもしれない女がわたくしの可愛い子供たちの母親代わりをしていたそうじゃない。どれだけ侮辱されればいいの? まるでわたくしにはできないことを代理にしていたみたいじゃない」

 言葉に熱がこもってきた。

「ジーンおば様のしてくれたことはお父様の指示ではありません。単なる善意だし、元は私たちが頼っていったんです」


 ひどく短絡的な思考に陥っていると思う。それでも彼女にとってはそれが現実以外の何ものでもなかったのかもしれない。多少は哀れに感じるが、だからといって御者神ハザルクに加担する理由にはならないと思う。


「考えましたのよ、どうしてわたくしだけがそんな目に遭わなくてはならないのか?」

 その頃の心痛を表したいのか眉根を寄せる。

「それはガルドワに力が足りないから。もし人類圏にあまねく比類なき力を示せたなら。もしそれが創業家を含めたグループ幹部の確固たる結束力によって成し遂げられたものなら。そしてその基盤となる仕組みが確立されたものだったら。ガルドワを揺るがすことなど誰もできないほどであれば何も悩む必要など無いのです」

「それは誇大妄想です。たゆみなき努力も無しに成り立つ企業など有りません」

「作り上げればいいのです! それはガルドワに忠誠を誓った破壊神ナーザルクが支えてくれます! ガルドワの戦士たちが! それこそが軍需を主とするガルドワの未来志向の本来の形なのです!」


 熱弁は最高潮に達し、声音は陶酔を帯びる。ルーゼリアはそれを理想形として受け入れてしまっているのだろう。ひどく歪な仕組みを。


「おかしいとはお感じにならないのですか、お母様」

 おぞましい思想が母親の口から漏れ出しているのを聞いていると軽い嘔吐感が込み上げてくる。

「命も意思もないがしろにされた戦士、それも年若い少年少女を戦場に送り込み、無理矢理生み出した安定の上で自らの幸せだけを享受するのがあなたの理想なのですか?」

 彼女の後ろでエイボルンは苦渋の表情を見せている。欺瞞をえぐられたと感じているらしい。

「無論彼らは尊ばれ讃えられるのです! 世界の未来を支えるものとして! 使命に殉ずる力強き戦士として! そのほまれに喜び涙するでしょう!」

「犠牲として苦しむ者の思いを歪曲してはいけません! 勘違いも甚だしい!」

「……どうしたの?」


 心底不思議そうに見つめてくるルーゼリア。彼女は完全に踏み外してしまっているのだと分かる。この議論は平行線をたどるしかないだろう。


「そう思っているのはあなただけなのではなくて、ラティーナ? この通り、プロトツーは協力を容認しているのですよ?」

 彼女の中で何かが切れる音がした。

「ユーゴをそう呼ぶのは許しません! あなたの処遇はお父様と協議して決めます。ですが、今日を境に二度と母親だと思うことはないでしょう、愚かしい人よ」

「なんでそんなひどいことを言うの?」

「もう終わりです」


 憤怒と落胆、悲哀、何もかもがない交ぜの状態でラティーナは頭を垂れた。気力が根こそぎ持っていかれたような気がする。それでも対応は急がなくてはならない。


(ユーゴは本当に諦めてしまったの? ハザルクに協力するつもりなの? 教えて)

 母親の死がまた少年を変えてしまったのだろうか?


 懊悩する少女の耳に観測員ウォッチの敵襲の報が飛び込んできた。

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