ナーザルク(2)
ユーゴは目を瞬かせた。一瞬何を言われたのか分からなかったのである。
「フィメイラ?」
つい訊き直してしまう。
「そう」
「フィメイラは僕のアームドスキンだよ。偶然おんなじ名前なのかな?」
「いいえ、偶然じゃないわ。皮肉にもね」
二人から見て左側の壁が静かに下へと格納され始める。女性のフィメイラも
下りている隔壁の向こうにも分厚いガラスが填められていて中の様子が窺えた。深く掘り下げられたそこにはオレンジ色のアームドスキンが屹立している。間違いなく彼のものと同じフィメイラであった。
「私が乗るべきだったアームドスキン。だからフィメイラと名付けられたの」
呆気に取られていたユーゴも話し掛けられ我に返る。
「乗るべきだった? 乗ったことないの?」
「一度も。この通り、わたしはこの無菌状態の部屋の外には出られない身体なの。だから、このフィメイラに乗ってあげられなかったわ。この子は造られてから一度も人を乗せて動いたことがない。かわいそうな子」
彼女は憐れむような眼差しでオレンジの機体を見る。
「君のフィメイラはちゃんと動かせてもらっているようね」
「うん、動いてる。最近ちょっとサボる時あるけど」
「え、フィメイラでも反応できないほどなの? すごいのね」
女性のフィメイラは一時期からずっとここに居るそうだ。だから時間を持て余して、閲覧できる資料を読み漁っている。その内容からフィメイラが極めて特殊なアームドスキンであることも知っていた。
「ねえ、君のことを教えて」
椅子を持ってきてガラスの傍に座った彼女がお願いしてくる。
「いいよ」
「優しい子ね」
ユーゴがキャスター付きの椅子を引っ張って彼女の前に座ると、そう言ってきた。
フィメイラは長い間ここから出たことが無いと言っていた。少年はできるだけ詳細に伝えてあげねばならないと思って言葉を費やす。
レズロ・ロパの針葉樹の森。そこに積もる雪の冷たさ。警戒心の緩い動物たちの様子。厳しい吹雪。帰った時に家から漏れる明かりの暖かさ。そして、母ジーンに抱き締められた時の温かさ。
「大丈夫?」
気付くと彼女は涙を流している。
「ごめんね、羨ましくてつい。資料通り、君は普通に育てられたのね。その条件下でどんな成長をするのかって」
「フィメイラは違うの?」
「ええ、わたしは人と接することなく育てられたの。この身体の所為もあるし、当初の計画通りだったとも言えるわ」
まだ、幼かった頃は度重なる治療を受けたのだそうだ。免疫不全だけでも治ればアームドスキンに乗ることはできる。実戦には耐えられなくともパイロット適性の度合いを測るのは可能であろう。
「何度も死にかけたわ。その度にどうにか持ち直してきたけど、とうとう見放されてしまった。わたしは失敗作だと見做されたのよ」
胸に手を当てながら言う。
「それからはここへ移送されてずっとこんな状態。地下のプラントで製造される食料を消費するだけの存在。たぶん、処置の結果で生じる寿命の変化を測られているの」
「僕はやっぱりプロト
「同じ
のちに知ったのだそうだが、フィメイラが失敗だと判断された同時期からプロトタイプ1と2の計画が始動していたらしい。その情報もここには眠っているそうだ。
「次は違うコンセプトに移行したみたい。遺伝子にあまり手を加えすぎるとどこから異常が発生するか分からない。で、プロト
フィメイラはその結果を確認するように手を伸ばす。ガラスに阻まれて触れることは叶わないが、ユーゴの容姿を慈しむように見ている。
「それは成功したみたい。トニオには会ったことはないけど、君はこんなに愛らしく成長していて普通に人の中で暮らしている。君は人間でいて、やはり
「フィメイラを使えるから?」
彼は今は頭部だけが見えるアームドスキンを指して言う。
「そう。あれは常人が乗れば動かせるのは数分がいいところだと思う。σ・ルーンを経て流入する情報量は普通じゃ耐えられないはず。こう言うのは酷かもしれないけど、君も意図して生み出された存在なのよ」
「でも、トニオは僕とはずいぶん違うみたい。母さんが居るって言ったら変だって言うんだよ?」
「彼は戦闘技術を注ぎ込むようにして育てられたはずよ。ずっと監視下に置かれて、必要な訓練だけをして養成されたタイプの
それを聞いて、トニオを憐れだと思ってしまう。
「自由に遊んだりできなかったんだ、トニオもフィメイラも。不公平だね。ごめんなさい」
「いいのよ。それを決めたのは私たちではないから」
「うん、決めた人がいけないんだ。僕たちだってやっぱり人の中で暮らさないと駄目なんだ。だからたぶんトニオには
彼の反応を見ていてそう感じた。
「灯?」
ところが、フィメイラは彼が何を言い出したのか分からないようだった。
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