其の漆 魔族の姫君

 窓の外に見えるのは、どんよりとした曇り空だった。


「姫様、どちらへ向かわれるのですか?」


 わたし付きの侍女であるカレナが、自室を出ようとするわたしの背に向けて問い掛ける。


「少し気分転換をしたいので、書庫に本を取りに行って来ます。すぐに戻りますから」

「左様でございますか。それでは、午後のお茶の支度をしてお待ちしております」

「はい、そうしてください」


 お城の中を散歩するだけなら、わたし一人でも許されていることだ。

 お父様から禁じられているのは、勝手にお城の外に行くことと、厳重に封印されている書物を読むことの二つだけ。

 それが子供の頃から何度も言い聞かされている、わたしとお父様との間での約束事だった。


 お母様が亡くなられて随分経ってしまったけれど、もうその寂しさに枕を濡らすような歳ではない。

 いつも誰かが話し相手になってくれるし、皆が忙しそうにしている時には、一人で本を読んで暇を潰していた。

 そして今日もわたしは、話し相手の代わりになりそうな本を探しに向かっていた。


 書庫はお城の地下にある。

 わたしが読書好きというのを知ったお父様が、元々あった書庫を地下に移し、拡張してくださったのだ。

 任務でお城を離れていた皆も、わたしへのお土産にと本を買って来てくれる。

 もうじき帰って来るであろう彼も、いつものように魔術師が大活躍する冒険譚を描いた本を贈ってくれることだろう。

 これまで、彼がくれる本の主人公が魔術師以外のものだったことは無い。

 それが魔術師である彼のこだわりなのだと思うと、自然と頬が緩んだ。



 書庫へ向かう途中、慌ただしい様子の兵士達を見掛けた。

 何故かはわからないけれど嫌な予感がしたわたしは、恐る恐る彼らに尋ねてみた。


「あの、何かあったのですか……?」

「み、ミーティア姫様っ!」


 突然わたしに話し掛けられたのに驚いたのか、それとも別の理由なのか。兵士達の顔色は真っ青だった。


「それが……つい先程、玉座の間に重傷を負ったジャーマ様が転移して来られまして……」

「ジャーマが……!? か、彼は今どうしているのですか?」

「まだ玉座の間におられます。現在、アミーキティア様がジャーマ様の治療にあたっていらっしゃいます」


 あのジャーマが重傷を……!?

 わたしは居ても立っても居られなくなり、急いで玉座の間を目指して走り出す。

 走って髪が乱れるのも気にしていられない。わたしが全力で走るのを見て驚く侍女や兵士達の間を駆け抜け、息を切らしてようやく玉座の間へと辿り着いた。

 そこでわたしの目に飛び込んでのは、腹部から真っ赤な血が溢れ出すジャーマと、彼の傷を癒すべく奮闘する親友のアミーの姿だった。


「ジャーマ!」


 わたしが彼の名前を叫ぶと、力無く仰向けに倒れるジャーマはこちらに目を向けた。

 既にかなりの量の血液を失っているらしく、その顔は病的なまでに青白い。

 わたしはすぐさま彼の元へ駆け寄る。


「あ……姫、様……」

「いったい何があったのです⁉︎ あなたがこんな大怪我をするだなんて、今まで一度も無かったではありませんか……!」


 普段の彼からは想像も付かない、あまりにも弱々しい笑顔を見せるジャーマ。


「オレ……油断、してたらしい……。あんな、おかしなカッコした野郎に……」

「アンタはもう喋らないで!」


 すると、アミーがジャーマを叱り付けた。

 彼が黙った代わりに、アミーが治癒の魔法を施しながらわたしに言う。


「ミーティア。コイツが魔剣回収任務で妖刀ムラマサを探しに向かったのは知ってるわよね?」

「え、ええ……」

「任務の最中、ジャーマより先にムラマサを手に入れた人間が居たらしいの。その人間達と闘って、コイツは……」

「人間に……。それはもしや、例の勇者候補という者だったのですか?」

「それは知らねえ……けど、ハメられたのは……間違いねェ……」

「だからアンタは黙ってろって言ってんでしょ!! そんなに姫様に看取られながら死にたいの!?」


 凄まじい剣幕で怒鳴る空色の髪の少女に、赤髪の青年は表情を歪めつつも、今度こそ口を閉ざす。

 すると、部屋の奥から低く響き渡る声がした。お父様だ。


「ジャーマの報告では、妖刀センゴ・ムラマサを持ち去った男の名は、ヒムロというそうだ」

「ヒムロ……」


 玉座に座り、眉間にしわを寄せるお父様。

 わたしと同じ白い髪に、黒の鎧に身を包んだお父様は、更に言葉を続ける。


「我らに敵対する人類……魔剣の中でも一、二を争う能力を持つムラマサが──覚醒した魔剣があやつらの手に渡ったのは許し難い。やはり、この任務をジャーマに任せるべきではなかったか……」


 神代の時代に誕生したとされる魔剣は、わたし達の目的に必要不可欠の存在だ。

 時に神が、時に人類が、時に魔族が創り出したという魔剣。その中でわたし達が探しているのが、ムラマサを含めた四振りの剣である。

 その四振りの魔剣を集めるという重要な任務に名乗りをあげたうちの一人が、今現在、瀕死の重体であるジャーマだった。


「……わたしに、何か出来ることは無いでしょうか? ムラマサが人類の手に堕ちた今、わたしも魔族の姫として務めを果たしたいのです」


 わたしはお父様の──魔族を統べる魔王の娘だ。

 大切な家臣であるジャーマは、人類によって傷付けられた。お父様の目指す理想の世界の実現を邪魔立てする者が居るのであれば、わたしも魔族の姫として黙っていられない。

 けれども、そんなわたしの決意は簡単に跳ね除けられてしまった。


「お前は何もせずに良い、ミーティア。この件はプロクスに引き継がせる」

「で、ですがお父様……!」


 お父様はわたしの言い終えるよりも早く、転移魔法でどこかへと姿を消してしまう。

 玉座の間に残されたのは、わたしとアミー、そしてジャーマだけ。


「わたしだって……この世界の未来の為に、働きたいだけなのに……」


 お父様は、わたしの気持ちなんてわかってくれない。


「……それなら、わたしにも考えがあります」


 国の一大事に何もしないお姫様だなんて、そんな飾り物のような女になるつもりはない。

 わたしはぐったりと目を閉じたジャーマの姿を見て、決意を新たにするのだった。

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