魔人の逆襲 十五 幻獣召喚士
「貴様、一体何をした!」
ナイラは鬼の形相で吼えた。
だが、アスカは剣を構えたまま、黙って隙を伺っているだけだった。
その時、突然にナイラは気づいた。
「まさか、その剣……ミスリルか?
いや、ミスリルならもっと青白く輝いているはず――ならば合金?
そんなもので何故、わらわの身体が傷つくのじゃ?」
与えられぬ答えに苦しみながらも、少しずつナイラは冷静さを取り戻していった。
「まぁ、よいわ。
認めよう、今のはわらわの油断であった。
だが、貴様の相手など片手で十分じゃ。
もう手加減などしてやらぬわ!」
ナイラは右手に握った長剣をぶんっと振った。
唇からは白い牙がにゅっと伸び、悪鬼のような表情でアスカに向かって突進する。
片手であろうと彼女の力は一向に衰えない。
激しく打ち込まれる長剣をアスカはどうにか両手で受け止める。
火花だけでなく、砕けた刃が鉄粉となって飛び散り、顔の肉にめり込んで血の玉が浮かんでくる。
先ほどまでとは格段に剣の重さが違う。
アスカは受けるだけで精一杯だった。
ナイラが左腕を失ってから、すでに十数合の打ち合いが続いていた。
だんだんとアスカの息があがってくる。
もはや連撃を繰り出す余力はなく、隙をついては一撃、二撃を打ち込むのがやっとになっていた。
相手の疲労はナイラが一番に感じ取っていた。
『もうこいつは十分と持つまい』
そう確信しながら激しい打ち込みを大上段から肩口に打ちおろすと、アスカは何とか受け止めたが、その斬撃の重さに思わず膝をついた。
そこを逃さずナイラは裸足でアスカの鎧の腹部を蹴り飛ばす。
文字どおり宙を飛んでアスカの巨体が壁に叩きつけられた。
壁の漆喰がバラバラと砕けて降ってくる。
今度はさすがに立ち上がれず、アスカは膝をついたまま剣を構えることしかできない。
それを見たナイラはその場からいきなり跳躍した。
アスカに躍りかかるのではなく、リディアを守っているアリストアとマリウスを一撃でしとめようとしたのだ。
高い天井に頭をぶつけそうになるほど跳んだナイラが空中から襲いかかる。
「がっ!」
激しい音がして、
あと一メートルで剣が届くというところで彼女は弾き飛ばされ、どうにか転ばずに床に飛び降りる。
「何だ、また結界なのか?」
ナイラが吼えると、へらへらした若い男が応えた。
「対物理防御――魔法というやつです。
ミノタウロスの怪力をも防いだ障壁です。
あなたに破ることはできませんよ」
ナイラは顔をゆがめて凄みのある笑いを浮かべた。
「それはどうかな。
わらわの無限の体力と根競べをしてみるか?
貴様の魔力が底なしだとよいがな。
ふん、やはり先にその鎧女を片付けるか。
あのいまいましい剣さえなければ、もう貴様らにわらわの身体を傷つけることは不可能になろう」
――この間にアスカは立ち上がって態勢を整えていた。
しかしプレートメールは大きく上下に波打ち、彼女が体力の限界を迎えつつあることは明らかだった。
アスカが倒されれば、吸血鬼の言うとおりナイラを倒す手立ては失われる。
そうなったら例えこの場はやり過ごせても、いずれ赤城市と第三軍が壊滅するすることは目に見えていた。
「これは……まずいことになったな」
アリストアがつぶやいた。
「ユニさん、大丈夫ですか?
顔色が悪いですよ」
ぼそりと言ったマリウスの言葉に、アリストアもリディアもユニの存在を忘れていたことに気づいた。
マリウスが言うとおり、ユニの顔面は蒼白で額には脂汗をかいている。
肩で息をしており、かなり体調が悪そうな様子だった。
ユニは苦しそうに小声で答えた。
「大丈夫、大したことはないわ。
それよりマリウス、この障壁の範囲はそのあたりまでかしら」
ユニが目で指し示したのは、さっきナイラが障壁に激突して床に落ちた箇所だった。
「そうですけど、何をするつもりですか?
障壁の外に出たら、もう中には戻れなくなりますよ」
ユニは荒い息をつきながらにやりと笑った。
「アスカと約束したのよ」
* *
蒼城市のアスカ邸で出発の準備をしていた夜、ユニはアスカに吸血鬼の情報を詳しく話していた。
彼らの再生能力はミスリルの宝剣で阻害できるとして、問題は人間離れした怪力だった。
「実際に戦ったオオカミたちの話では、オークを軽く凌ぐ怪力だそうよ。
しかも動きが速いの。
人間みたいな見た目は無視して、怪物だと思った方がいいわ」
アスカは少し考え込んでから口を開いた。
「相手を野獣だと考えるなら、大きな問題はないと思う。
向こうが生身の丸腰ならその差を埋められる。
だが、その吸血鬼が武器を扱えて、それなりの技量があるとすれば話は別だな……」
ユニは溜め息をついて首を振った。
「真祖のナイラって女は、ナフ国の女王だったらしいわ。
南方諸国って実力主義でね、強くなければ王にはなれないらしいの。
男尊女卑の国柄だからね、女王になったということはかなりの遣い手だと思っていいわ。
噂だと〝百の戦場に出て不敗〟だそうよ。
アスカほどじゃないけど体格も凄い――フロイア様並の背丈で、それ以上に逞しいみたい」
「それは……やっかいだな」
アスカは再び考え込んだあげく、言葉を慎重に選びながら話し始めた。
「こちらの優位は一つだけ、私のミスリル剣を敵が知らないということだ。
純粋のミスリル銀の剣は、青白い輝きを放っていてすぐそれと知れるそうだ。
その点でも、私の剣はミスリルとは思われないはずだ。
剣技にも秀でているというなら、そのナイラという女は自分に絶対の自信を持っているだろう。
多分、そこに隙ができる。
敵の油断に乗じて一太刀は入れられるとは思う。
――ただ、さすがに致命の一撃は許さないだろう」
ユニも黙ってうなずいた。
アスカの勝機は少ない――それはユニも覚悟していることだった。
わずかに期待できるとすれば、アスカの言うとおりナイラの油断を待つしかない。
そんな不確かな可能性に賭けて親友に戦ってくれと頼まざるを得ないのだ。
「問題は相手に手傷を負わせた後だ。
こちらがミスリルの宝剣を手にしていると気づかれたら、もう勝ち目は薄いだろうな」
アスカは淡々と語るが、それは即ち彼女の死を意味するのだ。
ユニはアスカの大きな手を取った。
彼女の手の平や指の節々は〝剣だこ〟で
「約束する。
一度だけ、必ず一度だけ隙を作るわ。
お願い、あたしを信じて。
あたしの命にかけて、あなたを殺させるようなことはしない!」
ユニの表情は真剣だった。
アスカは柔らかな笑顔を浮かべる。
「わかった。お前を信じよう」
彼女はそれだけ言って、具体的にユニが何をしようと考えているのかは問わなかった。
もっとも、この時点ではユニに具体策は浮かんでいなかったのだが……。
* *
「まぁ、ユニには何か策があるのだろう。
好きにさせてやれ」
アリストアが心配そうにするマリウスの肩を抑えた。
もうユニは彼らのことを忘れていた。
眼差しはナイラとアスカの戦いに注がれ、ぶつぶつと何かをつぶやいている。
『なるほど……そういうことですか』
彼はユニがしようとしていること、そして彼女が辛そうにしている原因まで理解した。
『相変わらず無茶なことを考える娘だ』
だがその呆れたような感想は、同時に彼女に対する高い評価でもあった。
ナイラがリディアへの手出しを保留して再びアスカに向かった瞬間、ユニは防御障壁の外へと飛び出した。
床に低い姿勢で膝をつき、片手にはナガサを構えている。
吸血鬼は目の隅でその動きを捉えたが、そのまま無視をした。
どう見ても自分への脅威にはなり得ないと判断したからだ。
そのまま片手を振り上げ、大上段から力任せに剣を振り下ろす。
相手の大女はその豪剣を受け止め、受け流し、隙があれば打ちこもうとしている。
さっきから自分と二十分近くも打ち合っているのだから、並の人間ではない。
認めたくはないが、人間だった頃の自分よりも数段強い。
ナイラは素直に感心していた。
だが、並ではないが所詮は人間である。
「――よくぞ戦った。誉めてやろう。
その褒美にそろそろ楽にしてやる」
ナイラは再び剣を振り上げた。
彼女は吸血鬼の凄まじい膂力で、全力の一撃を入れるつもりだった。
相手の疲労の仕方を見れば、とても受けられないだろう。
アスカの方も一瞬で覚悟をした。
次の攻撃を自分は防げない。
ならばせめて相討ちを狙ってやる。
敵の剣先を少し逸らすだけでいい。
ミスリルの鎧が即死を防いでくれるだけでいい。
腕の一本くらいならくれてやる。
だからこの一撃にすべてをかける!
ナイラは剣を振り下ろす寸前、アスカの瞳の中にその覚悟を見た。
そうか、わが剣を受けてでも相討ちを狙うつもりか。
面白い、できるかどうかやってみるがよい!
長剣の刃が鈍い光を放ち振り下ろされた瞬間、それは起こった。
ナイラの頭上の空間に黒いゆがみのようなものが発生し、そこから巨大なオオカミが飛び出してきたのだ。
オオカミは空中でナイラの右手首に噛みつき、巨大な顎を振り回した。
「ばきっ」という骨を噛み砕く音が響いたがそれは瞬時に再生し、腕を振り下ろす勢いそのままにオオカミは床に叩きつけられた。
その代わりナイラの剣の軌道は大きく乱れた。
剣の切っ先はアスカの鎧をかすめて床を叩き、長剣は中ほどからぽっきりと折れてしまった。
体勢を崩した隙を見逃すほどアスカは馬鹿ではない。
「うおおおおおおーーーーっ!」
今日初めてと言える雄たけびを発して、下段から宝剣が半回転してナイラを襲う。
だが、吸血鬼の驚異的な肉体と動体視力はその動きを捉え、寸でのところで身体を捻った。
必殺の剣はナイラの首を刎ねるはずだったが、それを
しかし、その代わりに宝剣はナイラの右腋の下から肩までを斬り飛ばした。
折れた剣を握った右腕が丸ごと吹っ飛び、たちまち黒い霧となって消滅する。
カランという乾いた音を立てて、長剣だけが床に転がった。
「があああああーーーっ!」
絶叫をあげ、肩口から青い泡を噴出させたナイラは、そのまま前蹴りを放って再びアスカを蹴り飛ばした。
そして次の瞬間には部屋の隅へと跳躍し、影となった床の中にずぶずぶと沈んでいった。
「貴様ら、覚えておれ!」
憎しみのこもった叫び声だけを残し、吸血鬼は消えてしまったのである。
* *
「アスカ、大丈夫?」
ユニはすぐさま壁に叩きつけられぐったりとしているアスカを助け起こした。
兜の中の彼女の顔は笑っている。
「ああ、何とかな……。
それにしても驚いたぞ、ユニ。
ライガを空中から出すなんて、あれはどんな奇術だ?」
「幻獣界からライガを召喚したのよ。
夕方からライガの召喚を解いていたの。
あの女の不意を突くにはこれしかないと思って……。
あ、そう言えばあんた、平気なの?」
ユニは初めて気づいたようにライガの方を振り返った。
『痛えよ、馬鹿!』
ライガが不機嫌そうに答える。
『何だよあの馬鹿力は?
息が止まるかと思ったぞ』
「ありがとう。助かったわ」
ユニが笑いかける。
彼女の頬には赤みが差し、さっきまでの苦しそうな様子とはまるで別人だった。
ユニがライガを召喚し契約して以来、彼の召喚を解いたのはこれが初めてだった。
召喚士と幻獣は、魂のレベルで結びついているため、離れてしまうと拷問のような精神的苦痛を覚える。
それは肉体にも影響を及ぼし召喚士を苦しめるのだ。
ユニはその苦痛に耐えて機会を窺っていた。
ライガをどこかに潜ませるくらいでは、鋭敏な吸血鬼の感覚を騙せないだろう。
だが、異世界にまではその感覚は及ばないはずだ――そう考えたユニの苦肉の策だった。
『あの女、傷口から酷い臭いを撒き散らしていたぞ。
あれならかなり離れたところでも見つけられるだろう。
群れの連中に伝えてくるよ。
これは俺の勘だがな、あの女あまり遠くまでは逃げられないぞ』
そう言ってオオカミは部屋を駆け足で出ていった。
ユニは彼の言葉を部屋の者たちに伝えた。
ライガの言うとおり、部屋には何とも言えない腐臭が漂っていた。
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