呪われた宝珠 十七 作戦会議

 魔人の復活から二日ほど遡る。


 レリン市内は首長国連邦迎撃のため各地から集結してきた兵たちと、王都へ疎開しようとする市民たちでごった返していた。

 食料品と武器・防具以外の店は開店休業状態で、実際に店を閉めた商店も多い。


 もうじき昼飯時というころ、そんな商店の一つに、ぶらりと若い男が入ってきた。

 客が一人もいない店の奥から、店員が出てきて愛想よく迎える。

「いらっしゃいませ。今日は何をお求めで?」


 男はぐるりと店の中を見回した。

「銘柄は問わない。店の商品を全部もらおう。

 倉庫にある在庫もすべてだ」


 店員の顔が笑顔を浮かべたまま固まってしまう。

「あ、あの……お客さん。ご冗談はおやめください」

 男は平然として、カウンターの上に重そうな革袋を乗せた。

 口紐を解くと、じゃらりと音がして、中から金貨がこぼれ出た。


「冗談を言うつもりはない。

 このとおり、金もある。

 荷馬車は手配してあるから積み込んでもらうよ」


 客が外の方を振り返る。

 確かにガラス戸を通して外の通りに荷車が停まっているのが見える。

 すでに麻袋が十数個積まれている。

 恐らくこの男が別の店でも同じように買い付けてきたのだろう。


 店員は改めて客の姿を上から下まで確かめた。

 二十代半ばくらいのなかなかハンサムな男だ。

 栗色の巻き毛で、顔に笑顔を湛えているため目が細くなっている。

 軍人とも商人とも、ましてや貴族とも言えない、少し風変わりな服装で、言葉にも聞き慣れない訛りがある。

 恐らくは外国人――旅人か何かだろう。


 しかし、目の前に金貨を積まれては無下には断れない。

「しょ、少々お待ちを……」

 店員は奥へ引っ込み、事務室で帳簿に突っ伏して居眠りをしていた主人を揺り起こした。

 寝ぼけ眼の主人にことの経緯を説明すると、主人は思い切り疑わしげな顔で、渋々と店に出ていく。


「お客さん、在庫ごと全部寄こせとは穏やかじゃないね。

 家にだってお得意さんはたんといるんだ。

 商品は買い占められました。品切れでございます、なんて言ったら信用問題だ。

 あんまり無茶なことを言わんでください」


 苛立ちを隠そうともしない主人の目の前に、男は懐から書面を取り出して突きつけた。

「一体何を……」

 ぶつぶつ言いながら主人が鼻にかけた眼鏡を持ち上げ、文面を読む。


「こっ、これはっ……!」

 主人の顔がさっと白くなった。

 客の男は小太りの主人の肩を抱くようにして、その耳に顔を寄せる。


「ねっ、軍から正式に徴発命令が出てるのよ。

 これを使えばどうなるかわかるよね?

 軍の買い上げ価格は法定価格だ。市場価格よりずっと安いことは知ってるでしょう。

 ちゃんと適正価格で売って儲けた方が得じゃないのかなぁ?」


 男はさらに声をひそめる。

「なぁに、二、三袋くらいは『うっかり忘れて』もいいんだよ?

 人間誰しもうっかりすることはあるもんさ。

 考えてもみなよ。明日からは街中で品不足が始まるんだぜ。

 表向きは品切れってことにして、どうしてもっていうお得意さんには、こっそり売ってあげればいい。

 もちろん、特別だから値段は好きなように上乗せできるよね?」


 主人は脂汗を流しながら、こくこくとうなずいた。

 男は主人の身体を放すと、心配そうに見守っている店員に声をかける。

「商談成立だ。さあ、表の荷車に積み込んでおくれ」


      *       *


 再び魔人復活の日に戻る。

 レリン市の郊外には、ほぼ全軍が集結を終えようとしていた。


 大公国の正規軍一万人に王国第三軍の五千人、それとは別に後方には輜重隊や工兵隊が五千人以上集まり、忙しく働いている。

 物資や食料の補給をする輜重隊の重要性は言うまでもないが、首長国連邦との戦いでは工兵隊の役割が極めて大きい。

 連邦の主力はラクダ騎兵であり、この突撃を防ぐための馬防柵の設置やマキビシの散布は工兵隊が担っていたからだ。


 王国第三軍は比較的騎兵の割合が多く、大公国軍は金属鎧と大型の盾、そして長い槍を装備した重装歩兵が主力となっている。

 度重なる連邦軍との戦いで、大公国軍では防御を重視した陣形・作戦を経験的に採用することが多い。


 一方、攻撃の主力は召喚士の幻獣――とりわけ大型幻獣を扱う二人の准将(王国で言う国家召喚術師)が中心となっている。


 一人はネイサン准将で、体長十二メートルという巨大なゾウに似た幻獣ベヒモスを従える。

 もう一人はヴィンス准将で、ライオンに似た幻獣マンティコアを使役する。マンティコアもベヒモスほどではないが、体長五メートルに及ぶ大型幻獣である。

 この二頭の幻獣の凄まじい暴れぶりは、大公国の兵士なら知らぬ者はいない。


 そこへ今回はリスト王国から、空を駆ける幻獣グリフォンを従えるヒルダ大尉が参加するとあって、大公国軍の士気は大いに上がっていた。

 もちろん、幹部将校や召喚士を除いて、一般兵は魔人の復活を知らされていない。

 すでに前線には小山のようなベヒモスの巨体と怒気を全身に纏ったマンティコアが並び立っている。


 待機を命じられている兵士たちは、整列しながらあれこれと王国の召喚獣について噂し合っていた。

 そんな中、何人かの目のよい兵士が、遥か前方の上空から近づいてくる影に気がついた。

 遠くの空に浮かぶ黒い点がぐんぐんと近づいてきて、その姿を大きくしていく。


 始めは鳥のように見えた影が、近づくにつれ異形の化け物であることに多くの兵士たちが気づいた。

 兵士たちのどよめきの中、グリフォンは落下する岩石のように空から降ってきて、地上数メートルのところで激しく羽ばたき、急制動をかけた。


 最後はふわりと音もなく地面に降り立ち、広げると五メートルを超す大きな翼を畳む。

 鷲の上半身とライオンの下半身を持つキマイラは、翼がなくとも三メートル近い体長があり、鋭い鉤爪は鎧を着た騎士であろうと一掴みに切り裂きそうである。


 大公国の兵士にとって、飛行する幻獣を見るのは生まれて初めてである。

 感嘆の声に混じって、万歳を叫ぶものまでいる。

 そして整列する彼らの最前列には、これら国家召喚士クラスほどではないが、それぞれの幻獣を従えた召喚士たちが二十人ほど並んでいる。


 さほど戦闘力は高くなくとも、それぞれの幻獣には一定の特殊能力があり、彼らには索敵、攪乱、防御など得意な分野に合わせた役割が与えられてきた。

 直接戦闘に参加しなくても、その力は一般兵たちの命を献身的に守るものであった。

 大公国で召喚士が尊敬を集めているのは、決して故のないことではない。


 幻獣たちのすぐ近くには中型のテントが立てられ、臨時の指揮所となっていた。

 その中で、今まさに作戦会議が開かれていた。

 グリフォンの上空偵察の結果を受けてのことであるが、その報告は衝撃的なものであった。


「推定二十メートルだと?

 馬鹿な! そんなことが信じられるか――」

 怒鳴ったのは、一般兵を率いるヤンダ中将である。


「事実です。

 恐らくベヒモスでも魔人の動きを止めるのは難しいと思われます」

 ヒルダ大尉が冷静な物言いで指摘する。


「それともう一つ。

 連邦軍の戦力が大きく変動しました」

「変動? さらに増員があったのかね」

 軍服を着こんだ大公が眉根を上げてヒルダに尋ねる。


「いいえ、その逆です。

 これまでおよそ二万四千と見られた敵の兵力が、一万二千人に半減しました」

 ヒルダの言葉に、その場にいた全員が驚いた。


「ヒルダ大尉、どういうことだ?

 まさか魔人が復活したから半分の兵士を帰還させたとでも言うのかね」

 ヴィンス准将が見事な口髭を指でひねりながら口を挟む。


「そうではありません。

 私もグリフォンが見たまましか説明できませんが――。

 復活した魔人の周囲に、一万二千人の兵士の残骸が転がっていたそうです。

 魔人が暴れたり、戦闘が行われた形跡はありませんでした」


「〝残骸〟とは何だ、死体ではないのか?」

 准将が再び尋ねる。ヒルダは少し口ごもった。


「それが……とても死体と呼べるような物ではないと――グリフォンが申しております。

 あえて言うなら人の抜け殻――でしょうか。

 人間のような厚みが感じられなかったそうです。

 グリフォンは人間とは比較にならない鳥類の視力を持っていますから、確かな情報だと思います」


 彼女の説明はますます場を混乱させた。

 参謀将校や、現場指揮官たちが口々に勝手な発言をして、テントの中は騒然となった。


「バンッ!」

 激しい音が鳴り響き、その場は一瞬で凍りついた。

 大公が乗馬用の鞭で机の上を激しく叩いたのだ。

 彼はゆっくりとした落ち着いた声で再びヒルダ大尉に尋ねる。


「君はこの事態について、何か説明できるかね?」

「はい。推測ではありますが……」

「構わん、言いたまえ」


 ヒルダは小さく大公に頭を下げ、女性にしては低いがよく通る声で話し始めた。

「グリフォンの報告では、前線に集結している一万二千の兵に変化はないそうです。

 前線部隊は旗からしてサキュラ首長国の兵と見て間違いありません。

 倒れていた兵は、恐らく他の四首長国から派遣された部隊で、配置からすると後衛の任に当たっていたものと思われます」


 大公は小さくうなずきながら先を促す。

「うん、それで?」


「今回の敵の陣立ては異常です。

 あまりにサキュラの割合が多すぎます。

 この先は私の推測になりますが――」


 ヒルダはいったん言葉を切り、念を押すように大公の目を見た。

 大公は黙ってうなずく。


「恐らく魔人の心臓を入手したのはサキュラなのでしょう。

 そのため、他の四首長国はその下に付かざるを得なかったのだと思います。

 倒れた一万二千の兵士は、魔人復活の生贄にされたのではないでしょうか。

 極端に四か国の出兵数が少なかったのは、生贄としてはそれちょうどよかったのでしょう。

 下手に多くの兵を集めたら、仲間を殺された生き残りの兵が反乱を起こしかねないですからね」


 ヒルダは目を閉じ、息を吸い込んだ。

「サキュラは始めから一国で戦争をするつもりです。

 魔人にそれだけの力があると、確信しているのだと思います」


 彼女の話が終わって数分、誰も口を開かなかった。

 「ふう」という溜め息が聞こえ、口を開いたのはやはりルカ大公だった。

「結局、行き着くところは魔人をどうするか、だ。

 何か策はあるのか?」


 その目は参謀将校にではなく、相変わらずヒルダに向けられたままだ。

「不確かで……危ういものですが。

 大公閣下にお願いしたのもその準備です」


「ああ、あれか……。

 にわかには信じられない手だが……一体誰が考えついたのかね?」

 ヒルダの顔が困ったようにゆがむ。

「その……閣下の使いを務めたユニという召喚士が言い出したのですが……。

 うちの赤龍帝がひどく乗り気で――」


 大公はもう一度、深く溜め息をつくと、椅子に体重を預けクッションに身を沈めた。

「戦争は博打とは違うのだがな……。

 だが、ほかに代案があるわけではない。

 是非もないか」


 大公は懐から書状の束を取り出した。

 そして一通ずつ、その場に集まった現場指揮官の前に放り投げるようにして配る。

「その中に作戦命令書が書いてある。

 中を読んで頭に叩き込んだらその場で焼き捨てろ。

 内容について口にすることは厳禁する!」


 投げやりな態度とは裏腹に、口調は厳しいものだった。

 命令書を手にした各指揮官たちは、どういうことだという顔をしている。


「これもそのユニという召喚士に言われたことなのだがな。

 サキュラの呪術師は動物を操るのが得意だということだ。

 実際、〝鷹の目〟という奴はとんでもない軍事的脅威だ。

 だが、それだけではない。

 例えばネズミのような生き物を操り、目と耳を乗っ取れるとしたらどうだ?

 われわれの会議など敵に筒抜けになるのではないか?」


 指揮官たちの顔が青ざめる。

 今までの経緯を考えると、その危険性が極めて高いと気づいたのだ。


「……まったく。

 ユニにその危険性を指摘された時、私は自分の馬鹿さ加減に呆れたよ。

 ――まぁ、そういうことだ。

 会議はこれで解散する。

 兵を出すぞ!」


 大公は厳しい顔で立ち上がった。

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