呪われた宝珠 十六 魔人の復活

 サキュラ首長国の首都、カリバから東へ百キロほど離れた砂漠地帯に無数のテントが立ち並んでいた。

 ここはシャリド平原と呼ばれ、比較的岩石が少ない平坦な土地であり、ルカ大公国の都市レリンとの距離が近いこともあって、両国の戦争ではしばしばナサル首長国連邦側の兵力が集結する地点に選ばれてきた。


 今、ここにはサキュラ首長国の一万二千の兵と、他の四か国(カフタン、アフラマ、エラム、ナフ)から派遣された一万二千の兵、合計二万四千の兵が集まっていた。

 このほか、補給を担当する商人を中心とする民間人たちが五千人ほど忙しく駆け回っている。

 連邦の軍には輜重隊という概念がなく、補給や運送を民間が担当するのが伝統なのだ。


 広い平原でもひときわ目立つ大テントでは、各首長国の王たちが顔を揃え、軍議を行っていた。

 サキュラの呪術師が使う〝鷹の目〟によって、すでにルカ大公国側の配置や兵力は手に取るようにわかっている。

 そして、隊商路の封鎖をしていた部隊が敗れ、その敗因が王国の国家召喚士が使役する幻獣グリフォンによるものであることも知らされていた。


「敵に飛行能力のある幻獣がいるというのは想定外でしたな」

 アフラマ首長国のアナス王が険しい顔で指摘する。

「王国の派遣軍は戦闘部隊が五千、それに大公国が一万といったところですか。

 数の優位はいつものことだが、大公国もベヒモスとマンティコアを出してくるに違いない。

 大型幻獣三体がいるとなると、とても優位とは言えんだろう……」


 ナサル首長国連邦は、これまでもたびたびルカ大公国に戦争を仕掛けてきた。

 兵士の動員力という点では、人口で圧倒する首長国連邦が常に優位に立っていた。

 しかし、大公国には二人の(王国で言う)国家召喚士がいて、その幻獣は一体で千人以上の部隊に相当した。


 特にベヒモスという幻獣は体長が五メートルを超す巨大な獣で、その突進によって幾多の部隊を打ち破ってきた。

 連邦側は、強力な幻獣に対しては一定の犠牲を覚悟し、それを上回る人数で敵の通常部隊に襲いかかる作戦を取った。

 敵味方が入り乱れる乱戦となれば、幻獣の脅威は半減するからである。


 しかし、大公国軍(時にはこれにリスト王国の第三軍が加わった)は砂漠での会戦を避け、頑強に抵抗しながら後退する戦術を取り、時にはレリン市に籠城することもあった。

 そしてその間も、強力な幻獣の力で連邦軍の出血を強い続けた。

 結局、敵の防御線を抜けないまま、被害の拡大に耐えかねた連邦側が退却するという結果――それがこれまでの両国の戦いの常であった。


「――これまでならな」

 サキュラ首長国のシャシム王がそれを引き取った。

「だが、今回わが方には魔人がいる。

 幻獣など物の数に入らんさ」


「それなんだが――」

 ナフ国のナイラ女王があからさまな不満顔で口を挟んだ。

「事ここに至っても、魔人がどこにもいないではないか。

 どういうことなのだ? シャシム王よ」

 他の三王も「そうだ」と言わんばかりにうなずく。


 シャシムはその質問を当然予期していた。

 にやりと笑うと席を立ちあがった。

「そのことよ。

 せっかくの魔人の復活だ。

 その記念すべき儀式を、諸侯らに見せないで何とする」


 シャシム以外の王たちから「おお」というどよめきが起こった。

「魔人の復活など、めったに見られぬぞ。

 諸侯らには特等席を用意した。

 どうか楽しんでほしい」


 そう言いながらシャシムはテントの外へと向かった。

 他の四王も顔を見合わせながら立ち上がる。

 すぐに召使いたちが椅子を引き、シャシム王の後を追うように誘導する。


 大テントを出ると、すぐ近くに巨大なやぐらが組まれていた。

 高さは十メートル以上あるだろう。

 脇に手すりのついた階段があり、各王がふうふう言いながら登っていくと、上には日除けの天蓋がついた五つの椅子が用意されている。

 シャシム王はすでにその中央の一番立派な椅子に腰かけていた。


 何かと差をつけてくる傲慢な態度に、各王は内心の怒りを抑えて着座した。

 すぐに召使いが冷たい飲み物を差し出した。

 季節は春だが、日中の陽射しは強く、気温もかなり上がっているのだ。


 彼らの現前には、壮大な光景が広がっている。

 遥か前方には、サキュラ軍からなる先鋒部隊が豆粒のように広がっている。

 黄色い土埃で煙っているのは、ラクダに騎乗しているためだろう。


 一方、約二百メートル先にはその他四か国から派遣された各三千、計一万二千の兵が四つのきれいな長方形を描いて整列している。

 彼らはシャシム王の約束どおり、後衛の予備部隊となっているため、ラクダには騎乗していない。

 四つの長方形は、左右に二つずつになるよう並んでいて、中央は大きな通路のようになっている。


 その中央に茶色の薄汚いマントを被った小柄な人物が一人、立っている。

 櫓の上からは一体何者なのかさっぱりわからない。


「シャシム王、あの通路の真ん中にいる人物は何者ですかな?」

 カフタン首長国のバドゥル王が尋ねた。


「ああ、わが国に代々仕える力ある呪術師だよ」

 各王たちは驚愕の表情を見せる。

 彼らの国にもそれぞれ力ある呪術師が仕えているから、彼らが決して人前に姿を現すことなどないと知っているからだ。


「なんと大胆な……よろしいのですか?

 ――というより、よく呪術師が身をさらすことを承知しましたな」

 エラム首長国のサーレハ王が思わず口にする。


「俺も驚いたがな――。

 魔人の復活は特別な儀式だから、どうしても自らの手で行わなければならんそうだ。

 お、いよいよ始まるぞ……」


 シャシムの言葉どおり、呪術師はゆるやかに動き始めた。

 それは何かの舞踊のようにも思える。

 ゆったりとした、しなやかな動きでくるくると回り、手が高く差し上げられる。

 その片方の手には青い宝玉が握られ、キラキラと陽を受けて輝いている。


 王たちは呪術士の舞に引き込まれた。

 ひょっとして、あの茶色いボロの中身は女の踊り子ではないかとさえ思えた。

 それほど、呪術師の舞は蠱惑的で、情欲を掻き立てるものだったのだ。


 舞は数分続き、やがて突然止まった。

 呪術師は宝玉を両手を持ち、天にむけて高く掲げた。

 同時に何事かを高く叫んだ。

 王たちのもとにはその叫びまでは聞こえなかったが、恐らく魔人の復活を願う呪文のようなものなのだろう。


 やがて兵士たちの隊列の二十メートルほど先の方に、ゆらゆらとした蜃気楼が現れた。

 景色がゆがみ、崩れ、ゆっくりと渦を巻き始める。

 何か不確かなものが渦巻きを作り、それがどんどん広がっていく。

 渦の外縁は、兵士たちの隊列のすぐ側まで迫っていたが、彼らの隊列は崩れない。


 やがて、渦の中心から何か青黒い影がゆっくりと競りあがってきた。


      *       *


 アフラマ首長国の派遣部隊を率いる部族長ハサンは、目の前の異変を驚きの表情を浮かべて見つめていた。

 サキュラの部族長からは、事前に王たちの前で魔人復活の儀式を行うことが伝えられていた。

 魔人は兵たちの眼前に出現するが、決して動いたり列を乱さぬようにと厳命されてもいた。


 他国の部族長の居丈高な態度には腹が立ったが、彼が「魔人の出現程度で腰を抜かすような臆病者はいないだろうがな」と、皮肉っぽく付け加えたので、部下たちには名誉にかけて動くなと厳しく伝えていた。

 だが、さすがに目の前で繰り広げられる光景には驚きを隠せない。


 彼らの前で地中から徐々に巨大な頭部が〝生えてくる〟のだ。

 そう、それはまるで植物の生長を時間を早めて見ているような感じだった。

『これが伝説の魔人なのか……こんなにも巨大な生き物――いや、これは生き物なのか?』


 魔人の頭部はもはや首の辺りまで出現していた。

 頭には髪の毛がなく、口をへの字にした厳めしい表情をしている。

 目と口は堅く閉じられている。

 皮膚は鮮やかな青色で、生まれたての赤子のように柔らかそうである。


「うああああああああああああああああ――」

 大勢の悲鳴にも似た叫び声が湧き上がった。

 ハサンは怒気を含んだ眼差しで後方の部下たちを振り返った。


 驚いたことに、部隊の最後尾の兵たちがその場に倒れている。

 そして、その前の兵たちが、頭を抱え、喉を両手でかきむしりながら叫び声をあげている。


「何だ、何が起こっている!」

 ハサンは訳が分からず呆然と辺りを見回した。

 兵たちは次々に倒れていき、その波はどんどん先頭へと波及している。


 自分たちの部隊だけではない。

 他の三国の部隊でも同様のことが起こっている。

 一方で魔人はもう胸の辺りまで地表に現れ、その逞しい姿が徐々に露わになっていく。


 ハサンにはどうしようもない。

 すでに部隊の三分の一は倒れている。

 これは何かの毒ではないのか?

 残る兵たちを率いてこの場を脱出すべきか?


 ハサンが一瞬の迷いの後、部下たちに退避の指令を出そうとした時、いきなりそれがやってきた。

 頭の中に誰かの手が突っ込まれ、脳味噌も、内臓も、何もかもがずるずると引き出されていく感覚。

 思考も感情も、脈打つ生命すらも、いっしょくたになって身体の外に出ていく気持ちの悪い感覚で、全身が満たされたのだ。


 苦痛はないが、とてつもない喪失感と気味の悪さに、もはや思考は停止して叫ぶことしかできない。


 ハサンはばりばりと喉を掻きむしった。

 爪は皮膚を裂き、肉を抉ったが、一滴の血すら流れなかった。

 やがて、彼は干からびたカエルのような抜け殻となって、その場に崩れ落ちていった。


      *       *


 櫓の王たちは、地中から出現してくる巨大な青い魔人の姿に呆然となった。

 いや、確かに魔人が復活するとは聞いていたし、彼らの力ある呪術師たちもそのことを保証していた。

 だから覚悟はしていたとはいえ、目の前でかくも巨大な存在が、お伽話に出てくる天まで伸びる豆の木のようににょきにょきと生えてくるのだ。


 王たちの驚きはやがて歓喜に変わる。

 なるほど、これなら勝てる!

 大公国の最大戦力として連邦軍を退け続けてきたベヒモスなど歯牙にもかけまい。


 サキュラが魔人の力を手にしたことは業腹だが、これなら大公国を倒し、やがては南方諸国を統一することも夢ではあるまい。

 シャシム王の下についたとしても、この先よい目が見られるのは間違いないはずだ。


「待て、なぜわが兵が倒れている!」

 ナイラ女王の鋭い叫び声に、王たちはわれに返った。

 彼女の言うとおり、眼前に整然と並んでいた彼らの戦士たちが、手前からゆっくりしたドミノ倒しのようにバタバタと倒れていく。


 皆、気味の悪い叫び声をあげ、逃げることもなくただその場に崩れていく。

「シャシム王、どういうことだ!」

 ナイラ女王が詰問する。

 女だてらに王に推されるだけに、度胸も気の強さも男に引けを取らない。

 返答次第ではただでは置かぬという気迫が声に籠っている。


 しかしシャシム王は平然として答えた。

「どういうこと? 見てのとおりだよ。

 これは魔人の復活だ。

 俺は魔人の心臓を手に入れた。

 だが、お前らは何を魔人に捧げるのだ?」


 シャシムは立ち上がるとナイラの目の前に立ち、ずいと顔を寄せる。

「まさかただで魔人の恩恵にあずかろうなどと、都合のいいことを考えてはいまいな?

 魔人だとて、心臓だけではどうにもなるまい。

 復活にはその肉体が必要だ。

 それを諸侯らに用意してもらったまでのこと。

 たかが三千の犠牲で魔人の力を利用できるのだ、悪い取引ではあるまいよ」


 シャシムは高笑いをしながら、芝居じみた仕草でくるりと回る。

 身に着けたマントがぶわりと広がった。

 彼はかなたで青く逞しい裸体を見せつけている魔人を指し示した。


「見よ、あの雄姿を!

 これぞ伝説の魔人の姿だ!

 大公国の異教徒どもは、その猛威に恐怖するだろう!

 われらが預言者に栄光あれ!」


 魔人はすでに全身を現していた。

 片膝と片手を地面につけ、背を丸めて控える格好をしているが、立ち上がれば身長は二十メートルに達する巨人である。

 そして、その前には干からびたミイラのようになって折り重なる、一万二千人の戦士の成れの果てが転がっていた。

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