黒龍野会戦 十七 開戦

 戦争の様相は時代によって変化する。

 重装歩兵が盾の壁を作り、弓兵がロングボウで矢の雨を降らせる。

 騎兵が錐のように突撃し、歩兵がその穴を広げる。

 大軍が激突し、おのれの身体を肉片に変え、大地に血潮を吸わせてぬかるみにする。

 戦闘の後には、街で吟遊詩人がリュートの音にのせて英雄のいさおしをうたに謳う。


 そんな時代は、既に過去のものとなっていた。

 今、街道を挟んで対峙する双方合わせて二万の大軍の最前線は、実に閑散としたものだった。

 帝国軍の前衛には百人ほどの魔導士が三隊に分かれ、横列に展開している。

 その後方、二百メートルほど離れた場所に騎兵や歩兵が密集して待機している。


 対する王国軍はもっと極端だ。

 最前線に立つのはわずかに三頭の怪物モンスターのみである。


 右翼には体長二メートル余りの黒犬が低い唸り声を上げている。

 異様なのは首が三つに分かれていることで、それぞれに犬よりもオオカミに近い凶暴な頭がついている。

 その禍々まがまがしい頭は、耳元まで裂けた口を開き、だらりと垂らした長い舌からは、涎がだらだらと地面に滴り落ちる。

 口から吐き出される荒い息は、炎となって硫黄臭い息を撒き散らしてした。


 それは〝地獄の番犬〟の異名を持つ怪物、ケルベロスであった。

 ひたすら攻撃に特化した暴力装置、黒蛇帝の二人の副官の一人、国家召喚士のクラウゼ少佐の幻獣である。


 中央戦線の前衛にぽつんと立つのは、一見子どもかと見間違いそうになる人間型の幻獣である。

 身長は百二十センチにも満たないが、腕も脚も、頭も胴も何もかもが太く、がっちりとしている。


 太い眉、それにもみあげと口髭が長い見事な顎髭に合体し、顔中が髭に覆われているような印象を受ける。

 身の丈と遜色のない大きさの戦斧を肩に担ぎ、腰にぶら下げた瓢箪を時々手に取り、口に含んでいる。


 その都度、「げふぅぅーっ」という、野卑なげっぷが人気のない周囲に響き渡った。

 瓢箪の中身が火酒であることは間違いない。


 その見た目は明らかにドワーフ族だった。

 だが、ただのドワーフが、一人で全軍の中央に立つはずがない。


 それは黒蛇帝の副官のもう一人、クルト・マイヤー大佐の幻獣スプリガンである。

 彼は不敵な笑いを顔に浮かべ、瓢箪と反対側の腰に下げた重そうな革袋から無造作に石を数個取り出し、掌の上で転がしている。

 スプリガン本人の戦闘力もさることながら、魔石を使ってさまざまな術を駆使すると噂される万能型の怪物だ。


 そして左翼にはアリストアの幻獣ミノタウロスが、四メートルに達する雄姿で周囲を睥睨へいげいしている。

 彼もまた戦斧を手にしているが、その大きさはスプリガンのそれの三倍近い。

 巨人族に近い巨大な体躯に牛の頭。その実、たぐいまれな頭脳も有するのだという。


 これら三体の幻獣が、帝国軍の魔導士たちと直線距離にして百メートルほど隔てて対峙している。

 ユニやアスカ、黒蛇帝やアリストアを含めた一般兵たちは、やはり幻獣たちの二、三百メートル後方に展開している。


 帝国も王国も、最前線に立つ魔導士・幻獣が敵の防御を粉砕し、敵陣を蹂躙することを基本戦略としている。

 一般兵は、彼らがこじ開けた穴を拡張し戦果を拡大したり、伏兵として正面を迂回して突撃する、あるいは敗走する敵の追撃などといった役割を担当する。


 魔導士も幻獣も絶対数が常に不足しているため、こうした万を超す軍の睨み合いであっても、最前線では兵力がぽつぽつ点在するだけの寂しい光景が出現してしまうのだ。


 戦いの様相が変わり用兵が進化し続ける一方で、前時代的な習慣を捨て去ることができないのも、実に人間らしいと言わねばならない。


 王国軍の中央部隊から、一騎の将校が白旗を掲げて進み出てきた。

 彼は敵の攻撃を受けることなく、両軍の中間地点である街道上まで進み出た。

 迎える帝国側も、緋色のマントを翻したミア・マグス大佐が、自ら白旗を手にして馬を進める。


 ――軍使の交換である。

 お互いが口上を述べ、互いの正当性を主張して相手への警告を与える。

 この儀式を交わさずに戦端を開くことは野蛮人と見做され、蔑まれてしまうのだ。


 マグス大佐も街道へ馬を乗りあげ、王国の軍使にまみえる。

 男は豊かな黒髪をオールバックに撫でつけ、短い口髭を蓄えた、がっちりとした体格をしている。


「私は帝国ノルド進駐軍指揮官、ミア・マグス魔導大佐だ。

 貴殿のご尊名を伺おう」

 マグス大佐の型通りの問いかけに、男が応える。


「こちらは王国第二軍の指揮官である黒蛇帝の副官を務めている、クルト・マイヤー大佐だ。

 名高い〝爆炎の魔女〟殿のご尊顔を拝することができるとは、光栄の至りだな」

「ほう、では貴殿があのスプリガンの……。

 相手にとって不足はないが、何故われらに剣を向けるのか?」


 こうしたやり取りは、始めから決められていた儀式に過ぎない。

「何故――ですと?

 ここは王国の領土、あなたがた帝国が国土を侵そうというのなら、お相手するのが道理というものでしょう」


「いやいや、それではわれらが王国に宣戦を布告したかのようではないか?

 われらは自国民であるノルド人を保護しているだけの進駐軍だ。

 王国の領土は尊重しよう。

 だが、われらの正当な領土であるノルドに押し入るというのであれば、われらとてお相手するのが道理と思うぞ。


 ――と、まぁ、昨日突っ込んできた愚か者にも同じことを伝えたつもりなのだが、聞いてはおらなんだか?」


 マイヤー大佐は笑って肩をすくめた。

「では、これは戦争ではないと?」

 ナグス大佐はしかつめらしくうなずく。


「いかにも。

 国境線をめぐる小競り合いといったところでしょうな。

 ただ、貴殿らがあまりに強情で、われら進駐軍だけの手に負えないとなれば、本国に増援を要請することもありえよう。

 武人としてそのような恥はかきたくないものだが――」


「ではお手並みを拝見するといたしましょう」

 マイヤーは手綱を引き、馬の向きを変える。


「待たれよ!」

 マグス大佐に呼び止められた国家召喚士は、少し意外な表情を浮かべた。

「この争い、黒蛇ウエマク殿は介入されるのか?」


 マイヤー大佐は「ああ」という顔で爆炎の魔女の方を振り返る。

「それは、ご自身の目で確かめられよ」


 黒づくめの革鎧を身に纏った男は、軽やかに馬を扱い走り去っていった。

 マグス大佐も無言のまま自軍へと引き返す。

 そして、前線で警戒線を張っている魔導兵とすれ違った時、低い声でぼそりとつぶやいた。


「やれ」

 それが黒龍野会戦始まりの合図となった。


      *       *


 余談だが、再三述べたように帝国軍が布陣しているのはノルド地方の東方、黒龍野の西端の荒野である。

 泥炭地帯である黒龍野を天然の防壁とし、街道もしくはその南側からの敵に備えていた。


 したがって、帝国の本隊は黒龍野から外れた地点に布陣している。

 一方、攻め込む側の王国は、街道の南側に布陣したのだが、そこは特に名前のない荒野であった。


 つまり、黒龍野会戦は「黒龍野近郊の戦い」と呼ぶのが正しい。

 ――というのは、後世の研究家たちの主張であるが、一般市民にとってはわかりやすさが一番、黒龍野会戦という戦いの名前も戦後に定まったものだ。


      *       *


 魔法にも射程距離というものがある。

 無論、魔法の種類、魔力の多寡によって変動はあるが、大体弓の射程と同程度と思えばいい。

 マグス大佐の爆裂魔法は例外中の例外である。


 したがって王国軍の兵士は、前戦に立つ幻獣の後方に十分な距離をとっていた。魔法攻撃の被害を防ぐためであった。

 ただし、王国軍の魔法知識は乏しいものだった。


 例えば、マジックアローという魔法は比較的長射程の術だということは理解していても、術者の魔力によってどこまで距離が伸びるのかまでは把握していない。


 マグス大佐の命令で、帝国の魔導兵が一斉に放ったのが、そのマジックアローだった。

 帝国の部隊には、大佐子飼いの部下を始めとして、よりすぐりの魔導兵が集められていた。

 その隔絶した魔力で放たれた魔法の矢は、両軍の距離を軽々と越えて王国軍に降り注いだ。


 光の矢による一方的な攻撃。

 王国の兵士たちは盾を頭上にかざしてマジックアローに備える。

 何人かは防御に成功したが、それは術者の未熟さゆえの幸運に過ぎなかった。


 大佐の部下が放った矢の大半は、鋼鉄の盾を紙のように貫き、兵士の身体をも突き抜けた。

 兵士だけではない、身体の大きな馬たちの被害はさらに大きく、結果として落馬で骨折する者、軍馬の下敷きとなって圧死する者が続出した。


 幸いだったのは、マジックアローの飛距離を伸ばすため、一度に放つ本数が抑えられたこと。

 そして、魔導士の攻撃を見た幻獣たちが、即座に吶喊とっかんして帝国軍に向け突っ込んだことだった。


 そのため、緒戦の魔法攻撃による死者・負傷者は三十人弱に留まり、それ以上の被害の拡大は防がれたのである。


 魔導士は盾を持った弓兵に例えることができる。

 弓を引き、矢を放って攻撃をする時には盾を構えることができず、自らは無防備となる。

 盾を構え、身を守ることもできるが、その間は攻撃ができない。


 魔法攻撃の開始を見た王国の幻獣が、魔導士の横列に躍りかかった時、彼らにできることは防御障壁を展開して敵を押しとどめることだけだった。

 単騎の相手を封じ込むことができれば、後方の一般兵がその隙に突撃することができる。


 ただ、王国側が魔法を甘く見ていたように、帝国もまた幻獣の力を過小評価していた。


 真っ先に帝国に襲いかかったのは、足の速い右翼のケルベロスだった。

 漆黒の矢と化した地獄の番犬は、数百メートルも離れていた彼我の距離を一気に詰めた。

 手近な魔導士に向かって跳躍し、飛びかかると同時に、左右の首が咆哮とともに火球を吐き出す。


 ケルベロスに近かった魔導士たちは、すでに防御障壁を張っていたので、どうにか魔獣の攻撃を撥ね返すことができた。

 しかし、距離が離れていた魔導士たちは迷った。


 自分たちは敵から十分離れている。ならば、防御魔法より攻撃魔法を放って同胞を援護すべきではないか――。

 そう考えた魔導士たちが少なからずいたことを、責めるのは酷というものだろう。


 彼らはそれぞれに印を結び、得意の魔法――ファイアボール、マジックアロー、サンダーボルトといった魔法の詠唱に入っていた。

 そこへケルベロスの放った火球が連続して降り注いだのだ。


 魔導士として最も無防備な瞬間に飛んできた火の塊りを、彼らが避けられるはずがない。

 地獄の業火は、たちまち魔導士のマントを灰に変えた。

 髪を焼き、皮膚を焼き、肉を焼き、脂肪を溶かして沸騰させ、血液を蒸発させた。


 口腔も、喉も、肺胞も焼け爛れ、彼らは断末魔の叫び一つとて上げることを許されず、無言のまま崩れ落ちた。

 叡智を学び、秘法を探索し、科学を極めた選良の姿は失われ、ただ燃え残りの肉と脂肪が黒くまとわりついた骨が転がっているだけだった。


 同僚の無残な最期を目の当たりにした魔導士たちは、あわてて魔法障壁を展開する。

 そして、それは第二の判断ミスだった。

 ケルベロスの火球は〝魔法〟ではなかったのだ。


 次々に降り注ぐ地獄の業火は、魔法障壁を存在しないもののようにすり抜け、哀れな犠牲者を増やし続けた。

 だが、その中に一人、ケルベロスの火球を撥ね返した魔導士がいた。


 彼はまだ若い、戦闘の経験も未熟な魔導兵だった。

 先輩たちが次々と景気のいい火柱を上げ、朽ち果てていくのを見た彼も、慌てて防御魔法を展開した。

 しかし、うろたえた魔導士は、魔法障壁の代わりに物理障壁を張ってしまったのだ。


 周囲では、魔法障壁をすり抜けた火球が犠牲者を増やし続けている。

 そして、運命は分け隔てなく、彼に向けても火球をプレゼントしてくれた。


「やられる!」

 若い魔導士は身をすくめ、目をきつく閉じた。

 しかし、何も起こらない。


 恐る恐る目を開けた男は、自分の無事を知る。周囲では惨劇が続いているというのに……。

 よそ見をした瞬間、彼の視界が突然オレンジ色の炎に包まれる。

 ビクッとして振り返ると、自分の張った小さな物理障壁そのままの形に炎が燃え広がり、徐々に弱まって消えていくのがわかった。


 彼は即座に理解した。この火球は魔法ではないと。

 若い魔導士は絶叫し続けた。

「物理障壁を張れーーーーーっ!

 これは魔法ではないぞーーーーーっ!」


 別の場所では、もっと経験豊富で冷静な魔導士もいた。

 彼は、ケルベロスの牙や爪を必死で防いでいる仲間たちを冷静に観察していた。


 地獄の番犬は魔導士の障壁を食い破ろうとして跳ねまわりながら、左右の首でそれぞれの方向に火球の雨を降らせている。

 だが中央の首はどうだ?

 確か最初の攻撃で、数発の火球を目前の魔導士に放ったはずだ。

 なぜ、今は体当たりしかしないのだ?


 結論は簡単に出た。

 物理障壁に火球は効かないのだと。


 その魔導士は、周囲に物理障壁を展開する指示を出すとともに、念話で全魔導士に伝えるよう、通信担当の魔導士に命じた。


 おかげでそれ以上の被害は防げたが、いかんせん初期に蒙った被害が大きすぎた。

 帝国軍の左翼に展開していた魔導士は四十人近かったが、それが今は二十数人にまで減っていた。


 そのため魔導士たちは、ケルベロスをありたけの人数で取り囲み、対物障壁で押しとどめ、何とか後方に突破させないだけで精一杯となってしまった。

 彼らは敵を攻撃する余力を失ってしまったのだ。


 魔導士たちの魔力とケルベロスの体力の、どちらが先に尽きるかの消耗戦となった左翼は、膠着状態に陥ってしまった。

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