獣たちの王国 二十 交渉

 巨大な獣人の姿が消え去ると、魔導士たちの顔に安堵の色が広がった。

 マリウスは障壁魔法を解き、全身を襲う倦怠感に膝を突きたいところを必死でこらえた。

 その背中をマグス大佐の部下がそっと支えてくれている。

 彼が消耗しきっていることを、敵に知られてはいけないのだ。


 マグス大佐は部下たちをその場から下がらせた。

 そして一人でユニたちのもとに歩み寄った。

「話のわかる相手でよかったな。

 私も無駄な殺生を好まないのだ」


 アスカが「嘘をつけ!」という顔をして鼻を鳴らした。

 大佐は気づかぬ振りをして続ける。


「それでは先ほどの続きだ。

 私はミア・マグス。帝国の魔導大佐だ。

 王国の召喚士、名前は何と言う?」

「ユニ。ユニ・ドルイディア。

 民間人なので階級はないわ」


「そちらは王国の騎士だな?

 蒼龍帝の部下とは聞いているが、名前までは知らんのだ。伺えるか?」

「アスカ・ノートン大佐だ。

 ただし、ゆえあって今は軍務を外れている。

 ユニと同じ民間人の立場でここにいると思ってほしい」

 アスカはむっとした顔のまま答える。実を言うとマグス大佐に〝オーク女〟と呼ばれて内心傷ついていたのだ。


「二人とも民間人だというなら、ユニとアスカでよいな?

 私のこともミアでよい。堅苦しいのは好かんのだ。

 それでアスカ。そなたなぜファイアボールを喰らって平気だったのだ?

 魔法の心得でもあるのか?」


 アスカは少し考え込む。手の内を明かしてよいのかどうか、迷ったのだ。

「当たらずとも遠からずだ。

 あまり詳しいことは教えられんが、魔法的な耐熱処理をした鎧だと思っていただければよい」


「王国にそんな技術があるのか……。それは興味深いな。

 だが、今はそれどころではなかったな」

 マグス大佐はユニに向き直った。


「さっきの続きだ。

 ユニとやら、お前はオークの召喚が失敗する。われわれがろくな目に遭わないだろうと言ったが、この状況が予想できたということか?」

「そうなるわね」


「なぜそれがわかったのだ?」

「実験が失敗した要因はいろいろあるわ。

 だけど、一番大きな原因は、あなたたちがこの場所を選んだということなの」


 ユニが言ったように、実際には失敗の原因はさまざまあったのだが、それをすべて教える程ユニもお人好しではない。

 今は獣人たちの聖地が、帝国にとって意味をなさない土地だということを納得させなければならないのだ。


「さっき現れた獣人――この村の人たちが〝神〟と呼んでいるのは、彼らの先祖の一族よ。

 はるか昔、その先祖の一人が幻獣界からこの世界へと現れたのが、この聖地と呼ばれる場所なの。

 もともと一度開かれた通路は、再びつながりやすいことが知られているわ。


 ――さらにこの村の人たちは、数百年にわたって彼らの神の再来を祈り続けてきたのよ。一日も欠かさずにね。

 村の人たちの祈りの力は微かなものでも、それが数百年にわたって蓄積すればどうなるか。

 この場所と彼らの先祖が住む幻獣界との通路が固定化されてしまったのよ。


 ――そんな場所であなたたちが不完全な召喚を行ったために、彼らの神が呼び出されてしまったのね。

 もともとつながりやすかったのが、長い年月をかけて固定化され、そして今、再度の召喚で決定的になった。

 もう、この場所では何をしても獣人の先祖以外を呼び出すことは不可能だと考えていいわね」


 マグス大佐は考え込んだ。

「ならば、われわれはここであの獣人ならば、召喚可能ということになるのではないか?」

「無理ね」

 ユニは即座に否定する。


「召喚士でもないのに、あれほど高位の幻獣を召喚するのは不可能だわ。

 アルケミスから聞いているのでしょう?

 人間を触媒にするのでは、霊格の低いオークが限界だって。

 それもよほど条件のよい場所でなければ成功しないことも」


 マグス大佐はそれに答えなかったが、図星であるのは明らかだった。

「あなたたちにできるのは、この地を不安定にさせて幻獣界との通路を開くきっかけを作ることだけ。

 その結果現れる獣人の先祖は、正式な召喚じゃないからあなたたちの意のままにはならない。

 逆に同じ一族であるこの村の人たちを守ろうとして、あなたたちに襲いかかるわ。

 よかったわね。

 バーグルさんたちが説得してくれたから、あの獣人は帰ってくれたのよ」


 最後の話は大嘘だったが、獣人が時間切れで元の世界に戻ったことを知られるのはまずい。

「……ふん、一応筋は通っているな。

 よかろう、この地に関しては接収の方針を撤回すよう、上層部に進言しよう。

 バーグル殿、それでは条件を詰めよう。

 われらが手ぶらでは帰れぬことぐらい、貴殿も理解しくれるだろうな?」

「無論だ」

 バーグルは重々しくうなずいた。


「では、マグス大佐には村にご同行いただこう。

 死者はどうする? ここで葬るか?」

「いや、連れて帰る。

 大事な部下だ。ねんごろに弔いたいところだが、貴重な物証でもある。

 不完全だが腐敗の進行を抑える魔法を扱える者がいるから、手助けは無用だ」

 そう言うと、大佐は部下に短い言葉で、死者の処理と船への積み込みを命じた。


「マリウス中尉、貴様は私と同行しろ」

 中尉は「え~」という、心底嫌そうな顔をした。

 マグス大佐の血圧が瞬間的に跳ね上がったが、こいつはこういう性格なのだと自分を何とか納得させて抑える。


 実際、彼の機転や能力がなければ、今頃部隊は全滅していただろう。

 獣人に皆殺しにされていたか、大佐が相討ち覚悟で放つ爆裂魔法に巻き込まれていたかは不明だが……。


「ユニ、それにアスカ。

 お前たち王国の者には遠慮してもらうぞ。

 ここから先は帝国内の問題だ」

 マグス大佐の言葉にバーグルも同意する。


 ユニたちに異論を唱えることはできない。

 マグス大佐は、暗に二人の不法入国とスパイ行為に目をつぶる代わりに、帝国が非武装地帯で自国民相手に戦闘を行ったことにも文句を言うなと要求しているのだ。


 結局、獣人たちの側は見張りをしていた若者二人が殺され、帝国兵は実験で斃れた二人を含めて七人が死んだ。

 帝国側にしてみれば、特殊能力を持った貴重な魔導兵を一度にこれだけ失った痛手はかなり大きい。

 それでも、指揮官である大佐を含めて五人が生き残ったことでよしとするしかない状況だった。


 ユニたちも村に戻った。

 すでに村には〝神〟が降臨したことと、その神の活躍で帝国兵が和睦に応じてきたことが伝えられていた。


 アスカとライガも魔導兵を倒したのだが、その活躍はまったく伝わっていない。

 それは仕方がないことである。いずれ後になれば、詳しい状況が伝わるだろう。


 すでに避難をしていた老人や女、子どもも戻ってきており、男たちの無事を喜ぶとともに、神の降臨を目の当たりにした者たちから詳しい話を聞こうとやっきになっていた。


 フェイもシェンカの背中に乗って帰ってきた。

 ユニはジェシカも含めて姉妹の苦労をねぎらった後、傍らに寄り添っていたライガの首を抱きしめた。

 巨大なオオカミの顎から胸元にかけて、毛並みが血で汚れていた。


「……ごめん、ライガ。

 あなたに人間を殺させてしまった……!」

 ライガは尻尾をゆったりと振り、ユニの頬を大きな舌でべろりと舐めた。

 ユニの目から零れ落ちる涙がぬぐわれる。


『俺は気にしていない。

 人間もオークも大して変わらんさ』

「あたしが嫌なのよ」

『……よくわからんな』

 ライガはそれ以上何も言わない。

 ユニにはユニのこだわりがあるのだろう。


 アスカの方はフェイの相手をしていた。

「どうやらうまく話がまとまりそうだぞ」

 フェイの頭を大きな手でぽんぽんと軽く叩く。

「へぇ~、帝国の魔導兵相手に生きて帰ってくるなんて、姉ちゃんたち案外すげぇな!」

「まぁ、運がよかったんだろうな。これなら帰りの危険はないだろう」


      *       *


 マグス大佐とバーグルの交渉は二時間近くに及んだ。

 彼らが会談の場となった村の集会所から出てくると、全員が広場に出てくるよう触れが出された。


 もっとも、すでにほとんどの村人たちが会談の行く末を心配して集まっていたから、病人などを除いた全員が集合するまでさほど時間はかからなかった。


 木箱で急拵えに作った壇上に、バーグルとマグス大佐が並んで立つ。

 人々のざわめきが収まるのを待って、マグス大佐が口を開いた。


「私は帝国軍の魔導大佐、ミア・マグスだ。

 この数か月、不幸な誤解から諸君とわが軍の間にいざこざが発生したことを、まずは謝罪しよう。

 今回、その原因となった誤解は解けた。

 われわれは今後、諸君の聖地に手を出さないことを約束しよう。

 また、君たちがこれまでどおり、帝国に恭順の意を示すならば、これ以上諸君に危害を加えることもない」


「おおおおおーーーーっ」

 獣人たちの間から、声にならないどよめきが起きた。

 そして村長むらおさであるバーグルが半歩前に出て、仲間に語りかける。


「今、マグス大佐殿が言われたとおりだ。

 われわれは今までどおり、川向うの森で自由に狩りをすることも認められた。

 帝国に対する朝貢もこれまでどおりだ。

 これまで、こうしたことは昔からのしきたりに従った暗黙の了解であったが、これを機会に後日、狩猟の権利と朝貢の約定は文書にして正式に交わされることとなった。


 ――われわれは徴兵に応じない以上、正規の帝国臣民として認められはしないが、属国民としてこの中之島の管理を任されるということも、文書に謳われることとなった。


 ――今回のことで帝国兵に多大の損害を与えたことについては、このバーグルが村の長としてその責めの一切を負うことも認めていただいた。

 したがって、私はマグス大佐とともに帝都に出頭しなければならん。

 立会人は一人しか認められないということだ。

 わがままを言って済まぬが、わが息子をその任に立てようと思う。承知してくれるか?」


「ウオオォォォーーーーン!」

 あちこちから遠吠えの声があがり、それはすぐにその場にいた全員に広がった。


 バーグルがこの危難を平和裏に解決したことへの感謝、その勇気と決断に対する賛辞を表したものだった。

 彼は獣人たちの遠吠えに片手を突き上げて感謝の意を示し、マグス大佐の後に続いて演壇を下りた。


 そこでバーグルはマグス大佐と向き合い、両腕を差し出した。

 傍らのマリウス中尉が、あらかじめ用意をしていた鎖のついた手枷をはめる。


「ちょっと、何の真似よ!

 それではまるで罪人じゃないの!」

 しんとした広場にユニの叫び声だけが響いた。


 獣人たちは、その屈辱的な姿に対して何も言わず、静かに見守っている。

 アスカがユニの肩を抑え、黙って首を振った。


「言っただろう、これは国内問題だと」

 マグス大佐は、少し不機嫌そうな声をあげる。

「村長一人の首で済ますのだ。感謝されこそすれ非難される覚えはないぞ」

「首ですって?

 まさかバーグル殿を処刑しようというの!」


 ユニの肩を掴むアスカの手に力が入る。

 ユニはアスカの方に引き戻され、その顔を大きな手がふさいだ。

「すまんな、ミア殿。

 ユニは軍人ではないのだ。大目に見てくれ」


 大佐は「ふん」と鼻を鳴らし、マリウス中尉とバーグル、それに若い獣人の男――恐らく彼の息子なのだろう――が続き、南の浜を目指して立ち去っていった。


「どういうことよ!」

 ユニはアスカの手を振り払って、彼女の顔を見上げる。その目には涙が滲んでいた。


「なぜバーグルさんが処刑されなければならないの?

 無理難題をふっかけて、軍をけしかけてきたのは帝国じゃない。

 何の責任を取る必要があるというの!」


 アスカは溜め息をついて、静かにユニを諭す。

「どちらが正しいとか、そういうことは関係ないのだ。

 軍には軍の面子というものがある。

 特殊部隊を全滅させられ、今度は虎の子の魔導部隊の半数以上を失った。

 獣人の代表者を帝都に連行して、公開処刑でも行わない限り、帝国は納得しないのだ。

 むしろ村長一人で済んだというのは幸運だと言えるのだよ。

 みんなそれがわかっているから、誰一人として騒がないのだ。

 あまりお前が騒いでは、バーグル殿のお覚悟を汚すことになる。

 辛いだろうが、諦めろ」


 ユニは喉が詰まって、それ以上言葉を発することができず、ただ悔し涙を流していた。

 その傍らを黒い影が飛び出していった。


 フェイだった。

 彼女は子どもとは思えない速さで、村の外縁に広がる森に消えようとしている一行を追いかけた。


 気配を感じてマグス大佐たちが振り返る。

 バーグルは目を細め、大佐に何事かささやいた。

 少し時間をもらったようだった。


 駆け寄ったフェイは息を切らしながら、バーグルに向かって叫ぶ。

「おっちゃん、行っちまうのか?」

「ああ、お前には済まんことをした。

 弟の忘れ形見だ。何か私にできることを考えていたのだが、こんなことになってしまった。

 お前には弟の強い血が流れている。きっと世間に負けずに生きていくことができるだろう。

 獣人の誇りを忘れるな!

 お前の両親とともに天から見守っているぞ。……達者でな」


 それだけ言うと、バーグルは大佐に詫びを言って再び歩き始めた。

 フェイはその場に立ち尽くして、何も言えずに見送っていた。


 幼い頃の記憶にある父親そっくりの逞しい姿が目に焼き付き、急その姿がぼやけ、慌ててごしごしと涙をぬぐう。


 父も母も、自分を置いて逝ってしまった。

 今また、父の兄もそれに続こうとしている。

 自分はまた取り残されようとしているのか……。

 小さな胸が締め付けられ、涙が止まらなくなっていた。


 いつの間にかアスカが側に近寄り、黙ってフェイを抱き上げた。

 頬に当たる硬い鎧は夏だというのにひんやりと冷たく心地よかった。

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