獣たちの王国 十八 聖地の戦い

 ミア・マグス魔導大佐の機嫌は悪かった。


 そもそもこの作戦に自分と部下たちが駆り出されたことに納得がいかなかったのだ。

 未開な獣人どもから土地を取り上げるだけの任務を、軍が二度にわたって失敗したせいだということは理解している。


 だからといって、帝国軍の最精鋭と謳われる自分の部隊が出張でばるような任務ではないはずだ。

 自分たちは攻城戦や大規模な会戦でこそ威力を発揮する、いわばスペシャリストだ。

 このような川中の島で戦うのに適した部隊ではない。


 もちろん、爆裂魔法が使えないからといって、自分と部下たちが負けるはずはなかったが、不満を抱くなと言われても無理な話だった。


 上陸早々、さっそく獣人どもの襲撃があった。

 当然ながら一蹴して二匹を消し炭に変えてやったが、それしきでは不満は解消されない。

 この上は、さっさと任務を完了させて帰還するしかないだろう。


 最初の襲撃から後は、獣人たちはおとなしかった。

 だが、彼らが自分たちを監視していることは明らかだ。

 だから何だと言うのだ? 彼らに何ができると言うのだ?


 奴らが聖地とぬかしている目的地は、上陸した南浜からはおよそ二時間ほどだった。

 きちんとした道さえあれば、一時間もかからなかっただろうが、こればかりは仕方がない。


「大佐殿~、そろそろ休憩しませんかぁ?

 もう汗だくですよぉ……」

 場違いなほど気の抜けた男の声がして、マグス大佐の機嫌をますます悪化させてくれる。


「貴様、それでも帝国軍人か!

 もうじき到着するから我慢しろ!」


 情けない声を上げたのはマリウス中尉という若い男だった。

 とにかく緊張感がなく、いつもへらへらした軟弱な若者で、大佐の一番嫌いなタイプだった。


 大体、なぜこの男が部隊に配属されたのかがわからない。

 防御魔法の専門家だという触れ込みだが、そんな男を付けられて「どうだ、われわれは君たちの安全に配慮しているのだよ」と、司令部にドヤ顔されているようで彼女の自尊心はいたく傷ついていたのだ。


 十二人の部隊のうち、彼女とその子飼いの部下は八人。あとの四人のうち三人は実験に必要だから我慢するが、この軟弱男だけは癇に障って仕方がなかった。


 もっとも、彼の言うとおり暑いのは事実だった。

 七月の末はもう真夏と言ってよく、川の中だけあって風が涼しい代わりに湿度も相当なものだったからだ。

 マグス大佐も目深にかぶっていたフードを上げて、顔をさらしていた。


 炎魔法の遣い手だからというわけではあるまいが、見事な赤毛である。

 ゆるいウェーブのかかった長い髪を無造作に風になびかせている。

 年齢はアスカと同じ、三十代半ばといったところだが、体格は普通の女性と変わらない。

 背はユニよりも少し高いくらい――百六十センチの前半だろうか。

 顔立ちは整ってはいたが、とにかく目つきが険しく、美人とは言い難かった。


 大佐が有り余る不満を抱えきれずに、どこで爆発させようかと考え始めたころ、目的地にたどりついたのは、部下たちにとって幸運と言ってよいだろう。


 樹間を抜けて、少し開けた草原に出たところで、半ば予想されたことではあるが、獣人が行く手を遮る形で立っていた。

 場所が開けたせいか、木陰はなくなったものの吹き渡る川風が涼しく、蒸し暑さはずいぶんと薄れてきた。


「いつでもファイアボールが撃てるよう呪文を詠唱しておけ」

 マグス大佐は目を動かさずに小声で部下にささやいてから前に出た。


「バーグルと言ったか。その節は世話になった。

 覚えているだろうが、ミア・マグス大佐だ」

「覚えているとも。

 それで大佐が何用でわれらが聖地に足を踏み入れようとしているのか?」


「ふふふ、茶番はやめろ。

 わかっているのだろう。その聖地とやらを明け渡せと、何度も伝えたはずだぞ」

「断ると言ったら?」

 マグス大佐はふんと鼻で笑った。


「貴様らに選択肢は二つしかない。

 素直に明け渡すか、抵抗して皆殺しになるかだ」

 そこで大佐は周囲を見回してにやりと笑った。


「どうせ周りを囲んでいるのだろうが、何をしても無駄だぞ。

 私も余計な殺生はしたくないのだ。

 消し炭になりたくなければそこをのけ!」


「そうはいかん」

 ガチャリと金属の音がして、後方の大木の陰からプレートアーマーを身に着けた女騎士が姿を現した。

 兜を被り、面頬を下ろしているため顔は見えないが、女であることは声でわかった。

 大柄な獣人のバーグルよりもさらに大きく、尋常ではない体格をしている。


 そしてアスカに続いてユニも姿を見せる。

 思いがけない人間の登場に、大佐もさすがに驚いた。


「誰だ貴様らは?

 ふむ……その時代錯誤の鎧……大女、噂で聞いたことがあるな。

 蒼龍帝のところの女オークか。

 王国の者がなぜ帝国領にいる?」


「それを言うなら帝国の魔導部隊が非武装地帯で自国民相手に何をしているのか教えてほしいものね」

 ユニがずいと前に出て、よく通る声で切り返す。


「何だお前は?

 軍人には見えんが、貴様も王国の者か?」

「ええ、王国の召喚士よ」

 ユニの答えに魔導士たちの間に緊張が走った。

「召喚士だと?

 まさか王国は国家召喚士まで送り込んできたというのか!」


 彼らが身構えたのも無理はない。

 国家召喚士が相手では、マグス大佐といえども勝てるかどうか自信が持てなかったからだ。


「いやいや、私は軍人でもなければ国家召喚士でもないわ。ただの二級召喚士よ」

 ユニの答えにアスカが呆れたような顔をする。

「ここは嘘でも国家召喚士だと名乗っておけばいいだろうに……」

「でもね、アスカも見たでしょ。あいつらの慌てぶり。

 相打ち覚悟で爆裂魔法を使われたらどうすんのよ」


「なんだ、落第生か。脅かすな、馬鹿者。

 ……だが、お前の判断は間違っていないぞ。

 国家召喚士を始末できるのであれば、この島ごと吹っ飛ばしても本望だからな」


 そう言いつつも、大佐はもちろん、ほかの魔導士たちも明らかにほっとしているようだった。

「それで、落ちこぼれが偉そうに何の用だ」


 ユニは努めて落ち着いた声で語りかけた。

「二か月ほど前、王国領に帝国兵の死体が多数打ち上げられました。

 川の流れから見て、この島で戦闘が行われた結果だと断定されたわ。

 これは、ボルゾ川での戦闘行為を一切禁じている通商協定への明確な違反行為よ。

 私たちはその調査のためにこの島を訪れたの。

 悪いことは言わない。この島からは手を引きなさい。これ以上罪を重ねることはないでしょう」


 マグス大佐は高笑いをあげた。

「あははははははは……。馬鹿か、お前は?

 二級召喚士に鎧女、二人で何ができるというのだ。

 貴様らは帝国領に不法侵入したスパイだということを自白したのだぞ。

 今すぐ跡形なく焼いてやるからおとなしくしていろ!」


 ユニは魔導士の言葉に動じなかった。

「そう簡単に焼かれるつもりはないけどね。

 あなたたちとは戦うつもりはなかったのだけど、やるというのなら抵抗するわよ。


 ――だけどお願いだから、もう少し話を聞いて。

 あなたたちはここでオークの召喚実験でもやるつもりなのでしょう?」


「なっ! 貴様どこからそのような……!」

 大佐は完全に不意を突かれたようだった。

 上層部から最高機密だと念を押された作戦を、あっさりばらされたのだから無理もない。


「図星ね……。でも、悪いことは言わない。やめておきなさい。

 その実験は失敗する。それだけでじゃなく、あなたたちにとってろくな結果とはならないわ。


 ――この場所ではオークの召喚も転移門の展開も不可能なの。

 あなたたちはアルケミスからすべての情報を引き出したと思っているでしょうけど、あの爺様はそんな甘い奴じゃないわ。

 帝国を騙して、わざと不完全な知識を渡したのよ。

 今頃は地獄で舌を出してあなたたちのことを嘲笑っているでしょうね」


 マグス大佐は呆然として答えることができないでいた。

 何だこの娘は?

 何者なのだ?

 どうしてそこまで知っているのだ?


 一方、ユニの隣りに立っているアスカの方も驚いていた。

 なるべく口を動かさないように、小声でユニに尋ねる。

「おい、ユニ。

 ここでは召喚が失敗するとかできないとかって、本当なのか?」

 ユニも表情を変えずにささやき返す。

「半分は勘。あと半分は願望」


 そのささやきが聞こえたわけでもあるまいが、マグス大佐はやっとショックから立ち直り、どうにか虚勢を取り戻した。

「二級召喚士風情が何を根拠にそんなことを言うのだ。証拠があるというなら言ってみろ!」


 ユニはふんと笑った。

「証拠?

 今の私の話を聞いていなかったの?

 あなたたちが国家機密だと信じていることを、たかが二級召喚士の私が全部知っている。

 それが何よりの証拠じゃなくって?


 ――私たち王国は、何百年にわたって召喚術を研究してきたわ。

 私だって六歳の時から今に至るまで、二十年にわたって召喚の知識と技術を積み重ねてきたのよ。

 あなたたち帝国は、魔法に関しては先進国でも、召喚術については素人じゃない。

 先輩の言うことは素直に聞くもんだわ」


 マグス大佐は顔を紅潮させ、ぷるぷると震えていた。

 彼女の弟子でもある部下たちは皆、「あ、切れた」と思い身構える。

 こうなった隊長は誰にも止められないのだ。


「ふっ、ふふふふ……。

 言いたいことはそれだけか?

 ……ならば死ね!」


 彼女の叫び声が合図となり、部下の一人が手を突き出し、ファイアボールを放つ。

 アスカは手にした盾を構え、ユニをかばうようにその前に出た。

 マグス大佐はにやりと笑った。

「馬鹿め……」


 魔法によって生まれた光の球は、あやまたずにアスカにぶち当たったが、盾に阻まれて大したダメージを与えないまま四方にはじけ飛んだ。

 爆炎の魔女は少し驚いた表情を浮かべた。

「……ほう、ファイアボールをまともに受けて溶けんとは、いい盾を持っているな」


 その間にユニとバーグルは素早く物陰に姿を隠して退避していた。

「ユニ、私が突っ込む!

 バーグル殿はお仲間を抑えられよ。ユニの方が速い」

 そう言い捨てると、アスカは盾を構えたままブロードソード引き抜いて突進した。


 大佐は狂喜した。そうか、そんなに死にたいのなら望みどおりにしてやろう。

 彼女が両手を広げて合図をすると、さっきとは別の部下たちが、二人同時にファイアボールを放った。

 光の球は左右に分かれてきれいな弧を描き、突っ込んでくるアスカの左右から彼女を襲った。


 アスカは盾を持つ左手の方から襲ってきたファイアボールに正対して、再び炎の塊りを防いだ。

 しかし、その代わりに右の方から飛んできた光の球を、背中からまともに受けるはめとなった。


 白に近い熱エネルギーの塊りがアスカの身体を包み、すべてを焼き尽くした。

 地面の草は一瞬で灰になり、地中の水分が蒸発して白い煙を上げた。

 アスカの周囲の空気は瞬間的に千度を超える熱波となり、彼女の姿を出来の悪い蜃気楼のようにゆがめて見せた。


「どうだ、灼熱の鉄板に焼かれてバーベキューになる気分は?

 それとも肉を焼かれる前に肺と気道がただれて窒息する方が先だったか?」

 マグス大佐は狂気じみた高笑いをあげ、愚かな騎士の末路を楽しんでいる。


 アスカは炎の塊りに包まれたままそれでも数歩進んだが、そこで動きが止まり、ゆっくりとその巨体が前に傾いた。


 数百度に熱せられた鎧の内部で、焼けただれた肉の塊りなってその場に倒れる――その場にいた誰もがそう思った。


 だが、鎧の女騎士は前傾姿勢のまま身をかがめ、弦から放たれた矢のように飛び出した。

 一瞬でファイアボールを放った魔導士の前まで距離を詰めると、「ふんっ!」という気合を放ってブロードソードが一閃した。


 その魔導士は驚愕した。

 魔法をまともに食らった鎧の騎士が、倒れずにそのまま突っ込んできたのだ。

 さらに驚いたことに、魔導士の目の前の光景が一瞬で目まぐるしく変化した。


 彼は突っ込んでくる女騎士を見ていたはずだった。

 それが突然、彼の目には青い空が映った。

 次の瞬間、草原とそこに立つ隊長と仲間たちの姿が見えた。

 その光景がぐるりと回り、今度は地面が急激に目の前に迫り、視界のすべてが真っ暗になった。

 そこで彼の意識はぷつんと途切れた。


 アスカのブロードソードは魔導士の胴体を真横に切断していた。

 彼の上半身は一瞬跳ね上がり、そのままくるりと一回転をして頭から地面に激突したのだ。


 片手で放った一撃の威力がこれである。

 魔法が通じなかったという衝撃とともに、この光景は魔導士たちの動きを封じるに十分だった。

 同時に、アスカとは反対側の茂みから灰色の巨大な影が飛び出してきた。


 それはありえない大きさのオオカミ――ライガだった。

 彼は部隊の端にいた手近な魔導士に飛びかかり、首から肩にかけての肉をごっそりと噛み千切り、そのまま駆け抜けていった。


「馬鹿ッ! 何をしているっ、撃て!」

 我に返ったマグス大佐が金切り声を上げ、魔導士の一人が慌ててファイアボールを放ったが、ライガの姿は茂みの中に消え去った後だった。


 この炎魔法が目標を追尾できるといっても、それは術者が相手の位置を認識していてこそである。

 魔導士の放った光の球は、ライガが飛び込んだあたりの灌木や茨を灰に変えただけで消え去ってしまった。


 アスカも敵に隙を与えず、次の魔導士へと打ちかかる。

 狙われた魔導士は「ひっ!」と悲鳴をあげ、頭を抱えてうずくまった。

 彼ら魔導士は斬撃を防ぐ盾はおろか、剣すらも身に帯びていない。

 そもそも自分たちの炎魔法を受けてなお、立ち向かってくる相手というのが想定外なのだ。


 アスカのブロードソードが振り上げられる。

 彼女には、敵がどういう行動をとろうが関係ない。

 無慈悲にその剣が魔導士の頭蓋を叩き割るかに見えた。

 だが、その剣が振り下ろされることはなかった。


「!」

 アスカは異変を感じて飛び下がった。

 今まさに敵を葬ろうとした瞬間、目の前に見えない壁を感じたのだ。

 硬い壁ではない、空気の圧力のような感じだった。

 それが彼女の動きを封じた。


「障壁魔法か?」

 アスカの判断は早かった。

 飛び下がった次の瞬間には脱兎のごとく駆け戻り、遮蔽物の影に隠れた。


「マリウスか?」

 マグス大佐が振り返って若い男に向かって叫ぶ。

 彼は両腕を突き出し、普段の間抜けたような声とは違う、鋭い声で応えた。

「大佐! 自分が支えます。陣形を整えてください」


 マグス大佐の目は怒りで血走っていた。

 見事な赤毛の髪は、静電気でも帯びているようにぶわっと広がっている。

「よくも私の部下を……。

 あのオーク女、八つ裂きにしてくれる!」


「駄目です!」

 マリウスはあっさりと隊長の発言を却下した。

「自分の障壁が効いている間はこちらからも攻撃はできません」


 大佐は吐き捨てるように喚く。

「だったら、術を解いた瞬間に一斉に攻撃すればよいだろう!」


「だから駄目ですってば~。

 あの鎧女にファイアボールが効かなかったのは隊長も見たでしょう。

 多分何かの魔法処理をしている鎧なんじゃないですか?

 また突っ込まれてこっちがやられます。

 大体、一度術を解除したら、また張り直すのに結構な時間がかかるんですから」


「ぐう……!」

 大佐の顔が悔しさで真っ赤になっている。


 彼がアスカの鎧に魔法処理が施されていると推測したのは、当たらずとも遠からずだった。

 ミスリル合金製のプレートアーマーが驚異的な熱伝導の遮断効果を持つことを帝国軍は知らない。


「敵のことはほっときましょう。こっちが障壁を張っている以上、奴らは何も手出しできないんですから。

 そんなことより、とっととオークの召喚とやらをやっちまいましょうよ」


 マリウスの言葉に大佐の部下たちも同調した。

「隊長、奴の言うとおりです。

 われわれの目的は戦闘ではありません」


「むぐぐぐぐ……」

 耐え難い屈辱を無理やり飲み込んで、大佐は怒りを収めた。

「王国の犬ども!

 後で焼き殺してやるから、そこで黙って見ていろ!」


 マグス大佐は円陣を組んだ部下たちを引き連れて、獣人たちの聖地に足を踏み入れた。

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