獣たちの王国 十 検問所
ユニとアスカの旅が三週間近く続き、目的地に近づいた頃に船曳街道は南へと向きを変えた。
川の流れは一定ではなく、また直線的でもない。
地形に影響されて蛇行し、しばしばその流れを変えるのが当たり前で、この川もその例に漏れなかった。
ボルゾ川はこのあたりで大きな島にぶつかり、Dの字形に二股に分かれている。
島の北側は真っ直ぐに川の本流が流れ、南側は王国領に食い込むように南へと膨らんで流れている。
街道もその南側の流れに沿って湾曲しているのだ。
ユニたちの左手には川に浮かぶ島が見えるようになり、その状態が八キロ程も続いた。
これが中之島である。
うっかりすると対岸だと勘違いしそうになるほどその島は大きかった。
実際もともとは対岸の岸であったのだから無理もない。
かつての本流であった島の南側は、すっかり流量が減り、堆積する土砂で水深も浅くなっている。
アスカは学者たちが、あと百年以内に中之島と王国が地続きになるはずだと言っていることを教えてくれた。
「帝国領の島と地続きになれば、面倒ごとが起きるのは間違いない。
もっとも、その頃には私は生きてはいないから、心配しても仕方がないのだがな」
街道が北へと向きを変え、再び東へ向かうようになると、島の姿は後方に消え、代わりに街道沿いに軍の監視所が散見されるようになった。
雨風を防ぐ程度の簡素なものだが、数キロおきにこうした真新しい小屋が建っている。
どの監視所にも若い王国の兵士が一、二人詰めている。
軍がクロウラ事件を受けて、帝国への監視を強めていることがはっきりとわかる。
やがて行く先にやや規模の大きな建物が見えてきた。
そこは街道から、かつてアルケミスが支配した村へと道が分岐する地点だった。
道の両側には軍の兵士が立ち、検問をしているようだった。
「一時間に一人通るかどうかという道で、ご苦労なことだな……」
アスカがぼそりとつぶやいた。
プレートアーマーに身を固めた騎士と巨大なオオカミに跨る女。
退屈な検問業務に当たっていた兵士たちにとって、二人は格好の獲物のはずだ。
はるか前方で、早くも起きている騒ぎを認めてユニは暗い気持ちになる。
アリストアからの指令がうまく届いているとよいのだけれど……。
ところが、ユニたちが検問所の百メートルほど手前に差しかかった所で、検問所から一人の兵士が飛び出し、こちらに駆け寄ってきた。
兵士は数十秒でユニたちの前にたどり着き、荒い息で肩を上下させながらも直立不動で見事な敬礼をしてみせた。
「大隊長殿、お久しゅうございますっ! お元気そうで何よりです!」
アスカは彼が駆け寄るよりも早くに馬から降り、敬礼をする男の両肩をがしっと鷲掴みにして揺さぶった。
「ライナス伍長じゃないか! 貴様こそ元気そうで何よりだ。だいぶ日に焼けたのではないか?
逞しくなって見違えたぞ!」
どうやら兵士はアスカの部下のようだった。
「一体、大隊長殿がなぜこんな所へ?
それにそちらの御仁は……」
ユニに視線を移した兵士の目はあまり好意的なものではなかった。
「こちらは召喚士のユニ・ドルイディア殿、それに幻獣のライガ殿だ。
軍の特命で第八駐屯所に向かっているところだ。
私たちが来ることは参謀本部から伝わっていると聞いていたのだが、違うのか?」
ライナスはその言葉にハッとしたようにユニに向き直り、敬礼する。
「失礼しました召喚士殿!」
そして再びアスカの方を向いて弁解する。
「参謀本部からは〝召喚士ほか一名が向かう〟としか伝えられていないのであります。
ですが、その一名が大隊長殿というのは、どういうことなのでしょうか?」
兵士の問いにアスカは言葉に詰まった。
「う……。わ、私はフロイア様から暇をもらったのだ」
「は? おっしゃる意味がわかりませんが」
アスカは溜め息をついて諦める。
この元部下を納得させるには、本当のことを教えるしかないと悟ったのだ。
「実はな、王妃様の兄上が新市街で狼藉を働いた現場に居合わせてな。
懲らしめるために尻を殴ってさしあげた。
それを逆恨みされて、三か月の遠慮をくらったのだ。
蒼城市で家に籠っていては、どんな嫌がらせを受けるかもわからんので、ユニ殿に頼み込んで同行させてもらったのだよ」
兵士は大きく目を見開き、口をあんぐりと開けたまま、ぽかんとしている。
やがてその表情が崩れ始め、腹を抱えて笑い出した。
呼吸ができずに、ひぃひぃと息を継ぎなら笑う兵士を前にして、アスカはぶすっとした顔をしている。
「さっ、……さすがは大隊長です!
義理とはいえ、王兄殿下の尻を殴りましたか(ここでまた、兵士はしばらく笑い転げた)。
お、お願いです。詳しく聞かせてください」
アスカはぶすっとしたままその願いを撥ねつける。
「そうしたいのは山々だが、われらは先を急ぐのだ。
お前だとて勤務があるのだろう?」
兵士はまだくっくっと笑いながら引き下がる。
「いやぁ、確かにそうですね。
では、防人村にヤリスとシドがいるはずです。
奴らに詳しい話を教えてやってください。
ここの連中、娯楽に飢えていますから、きっと喜ぶと思いますよ」
「ヤリスとシドだけか?
ほかの者はどうしたのだ?」
「みんな私と同じ、監視所詰めですよ。
これで結構忙しいんです。
監視は暇でも、大工仕事と土木工事が山ほど待っていますからね」
「……そうか。
わかった。お前も体には気を付けるんだぞ」
ライナスという兵士は、二人の身分を説明するため検問所に走って戻る。
ユニたちはゆっくりとその後を追う。
おかげで検問所では、参謀本部が出した命令書を提示するだけで、簡単に通過することができた。
検問所では伝書鳩を飛ばし、駐屯所へ二人の来着を伝えてくれるという。
* *
「第八駐屯所」という文字と矢印が描かれた立て札を横目に、二人は街道から脇道へと逸れ、南を目指した。
もうここは軍関係者以外利用しない道である。
ユニは群れのオオカミたちに一緒に来てもいいと伝えたが、オオカミたちは森の中の方が気楽なようで、そのまま進むつもりらしい。
ただ、ジェシカとシェンカの姉妹は別だった。
彼女たちはこの長い道中、アスカと遊びたくてウズウズしていたのだ。
二頭はアスカの馬の両側につき、馬上の彼女を何度も見上げながら並んで歩いていく。
『おっきーお馬さんだぁ!』
『お姉ちゃんもおっきー!』
『遊んでくれるかなー?』
『くれるかなー』
姉妹は目をきらきらさせてアスカの顔を見上げる一方で、ユニの方にもチラチラと視線を送る。
暗にアスカと遊ばせろとユニに要求しているのだ。
もちろん、そんな手に乗るユニではなかった。
姉妹のことは気づかないふりでアスカに話しかける。
「ねえ、さっきの兵隊さん、アスカの部下だったんでしょ。
こっちに派遣された人って多いの?」
アスカはオオカミ姉妹の視線が気になるのか落ち着かない様子で、ユニの言葉に少し驚いてみせた。
「えっ? ……あ、ああ、すまん。
第八駐屯所には二百人余りが派遣されているんだが、大半は第四軍から引き抜かれたんだ。
蒼城市は一番辺境に近いからな。
私の隊からも二十人ばかり取られたよ」
「へー、そうなんだ」
アスカは何やらもじもじしている。心なしか顔も赤い。
「……な、なあユニ」
「ん? どしたの」
「……その、さっきからこのオオカミたちが私の方を見ているような気がするんだが……」
「ああ、気にしないで。
この子たちはアスカと遊びたいだけなんだから」
「遊ぶ? 私とか?
……そっ、そうか……」
どうもアスカの様子が変だ。
別にオオカミが怖いということではないだろう。
これまでも、アスカはライガと友好的な関係を築いていた。
休憩や食事の際には、よくライガのそばに行って彼を撫でたりしていたくらいだ。
微妙な空気が流れるまましばらく進むと、左手に小さな沼が見えてきた。
このあたりはサクヤ山の噴火の影響が色濃く残っており、緑が少ない。
だが、その沼の周囲には水源があるせいか、小さな草原が広がっていた。
「なあ……ユニ」
落ち着きのないアスカの顔が一層赤くなっている。
「そっ、その……。
まだ昼食には早いというのはわかっている。
だが、せっかくあそこに水場があるのだ。
馬にも水をやりたいし……休憩してはどうだろうか?」
ユニは首をかしげる。さっきの検問所の川辺で、アスカは馬に水を飲ませたばかりだったからだ。
「休憩するのはいいけど……。
ねえ、アスカ。
あなたひょっとして……この子たちと遊びたいの?」
馬上のアスカは身体をピクッと震わせ、うつむいてしまった。
赤かった顔がさらに真っ赤になり、耳まで茹でダコようになっている。
縮こまった彼女は、「……うん」と小さくうなずいた。
* *
ガッチャン、ガチャガチャ、ガシャッ!
プレートアーマーが立てる軽やかな金属音とともに、激しい獣の呼吸と唸り声が響く。
池のほとりの草むらで、鎧姿の女騎士が二頭の巨大なオオカミと取っ組み合いをしていた。
大柄な女騎士は、オオカミの首根っこを腕で抱え込み、そのままゴロゴロと地面を転がりまわっている。
もう一頭のオオカミは、女騎士の脛のあたりに噛みつき、四肢を踏ん張り、唸り声を上げて引っ張っている。
騎士はオオカミが噛みついている脚を高く振り上げる。
人間の大人と同じくらいの体重があるオオカミが軽々と宙に放り上げられる。
オオカミは空中でネコのように身を捻らせ見事な着地を決めると、それがとても面白いらしく『もっとー!』と叫んで再び飛びかかってくる。
ユニは池のほとりの木陰で、ライガと並んで休みながら、呆れてその様子を見ていた。
アスカとジェシカ・シェンカの姉妹は、さっきからもう二十分近くもそうやって暴れまわっている。
……どんな体力お化けだ。
ユニがあんな真似をしたら、確実に次の日は筋肉痛で寝込んでいまうだろう。
アスカは『次はあたしがやるのー!』と喚いているシェンカを組み伏せると、わしゃわしゃとお腹をくすぐってやる。
シェンカは『きゃはははは!』と笑いながら、アスカの腕をガシガシ噛んでいる。
「あんたたちー! その鎧は高級品なんだから、あんまり歯形つけんじゃないわよー」
無駄と知りつつ、ユニは姉妹に注意を与えた。
「アスカもー! いい加減にしなさいよー、鎧が泥だらけじゃない! 子どもか、あんたは?」
ユニに
まだじゃれついて彼女の脚に噛みついている姉妹をずるずる引きずりながら、満面の笑みで戻ってきた。
「いやー、堪能した!」
そう言いながら、どっかとユニの隣りに腰をおろす。
ユニが差し出した濡れタオルで顔の汗をぬぐうと、荒い息を整える。
アスカが白状したところでは、彼女は無類の動物好きで、中でも犬には目がないらしい。
子どもの頃は複雑な家庭環境のため、そして成人してからは軍に入ったため、ついに犬を飼うことができなかった。
それがユニと旅をすることになって、オオカミと一緒だと知り、彼女は心密かに興奮していたのだ。
道中ユニを背中に乗せているライガは彼女の幻獣でもあるし、簡単に遊んでくれそうにない。
群れのオオカミたち、中でも一番小柄な(それでも普通のオオカミよりははるかに巨大だ)姉妹と遊びたくてウズウズしていたのだ。
ただ、船曳街道では、群れが別行動を取っていたため、それもできなかった。
今日になって、初めてそのチャンスが訪れ、ドキドキしていたところに、姉妹の方も同じ気持ちだと知って、もう辛抱がたまらなくなってしまったそうだ。
ジェシカとシェンカも長い舌をだらんと垂らし、ハアハアと苦しそうに息をしているが、大いに満足したようだった。
『ねー、ユニ姉ー』
『この大っきいお姉ちゃん、あたしたちの言葉がわかるみたいー』
『みたいー』
そんなことはない――とユニが言おうとした時、
「ああ、お前たちも私の言葉がわかるようだな!」
と、アスカが答えたものだから、ユニはびっくりした。
「え? まさかホントにオオカミの言葉がわかるの?」
アスカは笑って答える。
「いや、さすがに言葉はわからんが、この子たちが何を言いたいのかは伝わってくるぞ」
そして彼女は立ち上がると、プレートアーマーの留め金を外し始めた。
「さて、あの池の水は澄んでいたから湧き水らしい。少し汗を流してくる。お前たちも行くか?」
オオカミ姉妹はピョンピョン飛びあがって『行く行くー!』と騒いでいる。
アスカはためらいもなく全裸になると、池の方に走っていく。
そのままざぶんと池に飛び込むと、二頭のオオカミがそれに続き、たちまちバシャバシャという水音と、『キャハハハハ!』という姉妹の笑い声が響いてきた。
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