獣たちの王国 二 船曳街道

 リスト王国の北側を西から東へと流れ、東洋海に注ぐ大河ボルゾ川は、そのまま北のイゾルデル帝国(一般には単に帝国と呼ばれる)との国境線となっていた。


 そのボルゾ川南岸沿いに、中央平野(ガザ平野の西半分)北端の古都・黒城市から、東洋海に面したカシル自治領の首都・港町カシルまで、実に千キロメートルもの距離をつなぐのが船曳ふなひき街道である。


 街道と言っても、例えば中央平野の白城市と王都を結ぶ中央街道のように、石畳で舗装された幅広く真っ直ぐな道とは全く異なる。

 未舗装の荒れた道が多く、道幅が狭く獣道に近いような区間も珍しくはなかった。


 それはひとえに物流の主役が舟運しゅううんであることに起因している。

 この時代、人や荷物を大量に、かつ長距離を運ぶためには船以外の選択肢がなかった。

 牛車や馬車、場合によっては人足を使った陸上の輸送は、河川・運河がない地域に対するやむを得ない手段であった。


 ともあれ、大河ボルゾ川はリスト王国にとっても、イゾルデル帝国にとっても、きわめて重要な物流の大動脈であった。

 そのため両国は協定を結び、ボルゾ川を非武装地帯として互いに舟運の自由を保証していた。


 海を渡ってきた大型船は、港町カシルで荷を降ろし、いったん倉庫に入れられる。

 そこで種類や目的地別に仕分けされ、喫水きっすいの浅い川船に積み替えられて上流へ送られる。


 ところで、船が河川を航行する際、川上から川下へ向かう場合は何の支障もない。

 問題はその逆、河川を遡上する場合である。


 川幅が広く、流れが緩やかな場合はで漕いだり、帆を張ることで川を遡上することができた。

 しかし、川幅が狭く流れが急な場合は、自力ではお手上げとなる。


 結局、解決法は極めて原始的なものであった。

 人が引っ張るのだ。

 船から渡されたロープを、岸で待機していた人足――ひきが人力で引っ張って遡るのである。


 水上に浮かぶ船を曳くのは意外に容易たやすい。

 陸上で五人がかりでやっと動かせる荷車があったとすると、同じ量の荷物を載せた船は一人で楽に曳けた。

 小型で喫水の浅い川船ともなればなおさらである。


 はじめの内は、船の乗組員がこの曳子を務めていたが、いちいち彼らを降ろしたり乗せたりするのは面倒だということで、陸上に専門の曳子が常駐するようになった。

 船の持ち主と一括契約をし、その契約主の印を掲げた船を自動的に引っ張る仕組みを作ったのだ。


 そのため、どこの河川でも、難所と呼ばれる流れが急な川沿いには曳子が待機する小屋があり、船を曳くための道があった。


 船曳街道も、もともとそのような道をつなぎ合わせて出来た街道であった。


 したがって街道と言いながら、物流には適さないので人の往来は少ない。

 薬などの行商人、川漁師、船大工、飛脚、そして人足たちが時々通るに過ぎない。


 そうした数少ない通行人にとっても、その旅人たちはあまりに異様であり、誰もが驚きの目ですれ違っていく。


 一人は三メートルを超す体長の巨大なオオカミに跨った小柄な女性だった。

 オオカミは背中の毛が黒っぽく、それ以外は青みがかった銀色の毛並みである。


 ゆったりと歩くたびにしなやかな筋肉が動き、それを包む毛皮がつやつやとビロードのような輝きを放っている。

 その背に慣れたように跨っている女性は、黒い綿シャツに茶色い革の上着をはおっている。


 腿のあたりがゆったりとした綿ズボンを穿き、裾の方は幅広の布を巻いて縛っている。それだけに底の分厚い黒のブーツの大きさが目立っていた。


 明るい栗色の髪を後ろでまとめ、ゆるい三つ編みにして垂らしている。

 年齢は二十代半ばくらい、陽に焼けた顔をしていたが、もともと色白のようで、明るい小麦色といったところだ。

 化粧気はないものの、整った顔立ちは十分に美しかった。。


 二級召喚士ユニ・ドルイディアとライガである。


 そしてその隣りを歩む騎馬の同行者がいた。

 ある意味そっちの方が異彩を放っていたといえる。

 乗馬は一目で軍用馬とわかる種類だった。


 とにかくでかい。


 馬の肩のあたりで二メートル近い高さがある。体重は一トン半ばに達していると思われた。

 最近の騎士の間で流行している競走馬系の馬は体重が六、七百キロ程度だから、その大きさがわかるだろう。

 農耕馬系の軍馬は脚が太く、頑丈で重い荷物を平気で運ぶ。

 あまりスピードは出ないが持久力があって、長期の行軍にも耐える。


 その馬に跨っているのは甲冑の騎士だった。

 甲冑と言っても、当時王国の兵士たちが主に着用している軽装の革鎧ではない。


 プレートアーマーと呼ばれる、金属製の全身鎧である。

 戦闘の主力を召喚士が操る幻獣に任せ、兵士はその補助任務に当たるというのが、この頃の王国軍の基本戦略である。


 そのため、敵の正面に立つよりも奇襲や追撃、包囲殲滅を主任務とする兵士たちは、速度と動きやすさを重視して軽い革鎧を好んでいた。

 防御力こそ高いものの重いプレートアーマーは、もはや時代遅れの遺物となっていたのである。


 馬の歩みに合わせて、その鎧がカチャカチャという軽い金属音を立てている。

 旧態依然に見えても、技術の進歩はこの鎧にも及んでいた。

 十分な防御力を保ちながら金属を薄くして軽量化を図る技術が普及し、この時代のプレートアーマーの重量は二十キロ台にまでなっていた。

 それでも重いことに変わりはないのだが、騎士は気にしている風もなかった。


 その金属鎧を着こんだ騎士も大きかった。横幅はそうでもないが、身長は百九十センチ以上はありそうだった。

 そしてさらに驚くべきことは、面頬めんぼおを上げて露出している顔が、女性のものだったことだ。

 女性軍人はそう珍しくはないのだが、これほどの体格となるとめったにいるものではない。


 女騎士の名はアスカといった。


      *       *


 ユニとアスカは街道を並んで進んでいく。

 ゆったりと歩んでいるようで、二人が乗っている馬とオオカミが桁外れに大きいため、実際にはかなりの速度が出ていた。

 ライガの群れのオオカミたちは、人目につかないよう、街道のすぐ脇まで迫っているタブ大森林の中を並走している。


 ユニがアスカとともに旅立ってから三日目に差しかかっている。

 時々世間話めいたものをしているが、まだ会話はぎこちない。

 アスカは口数が少なく、あまりお喋りを好まないようだった。必要なことはきちんと話すが、どこかぶっきらぼうな口調である。


 ユニはとまどいつつも、少しずつ彼女との旅に慣れていった。

 アスカは寡黙だが、その行動は誠実かつ真摯で信頼に足る人物のようだった。年齢は三十代の半ばくらいで、ユニよりはだいぶ年上だ。

 軍での階級は大佐で第四軍の大隊長を務めているというから、かなり出世している方だろう。


 それでもユニは危惧していた。

 彼女は召喚士ではない。軍人といっても一般の人間である。

 ユニの任務は危険が伴うものだが、大丈夫なのだろうかと……。


      *       *


 街道の通行量が少ない代わりに数キロおきに曳子集落があり、物資は無理でもある程度の情報が得られるし、何かあった時の連絡手段が確保されているのは安心感があった。

 さらに数十キロ間隔で小さな川港があって、人足への食糧をはじめとした物資の供給、周辺漁師からの買い付けなどを行う小型船が頻繁に往来している。


 ユニたちは一日に約五十キロを踏破しているので、一日に一回はこうした川港を経由する。

 川港で食料や馬の飼料を手に入れられるのは、旅を楽なものとしていた(もちろんオオカミたちは自給自足である)。

 退屈だが安全な旅――なわけはない。

 ここは辺境よりも遥か奥、タブ大森林の北端に張り付いているような道である。


      *       *


 街道はゆるい登り坂になって、二百メートルほど先の方で曲がっているのか見通しがきかない。

 突然、その曲がり角のあたりから人影が飛び出してきた。五、六人の男たちは真っ直ぐにユニたちへ向かって駆け下りてくる。


「野盗か?」

 ユニはライガの背を滑り降り、腰のナガサに手を伸ばす。ライガはすっと彼女の前に出る。


 アスカもガチャガチャと金属音を立てながら下馬し、馬のくつわを取って暴走に備えた。剣には手をかけていない。


 ――男たちは全力で駆けてくる。

 前を開けた上着をひっかけ、下帯をつけている以外は裸体だった。どうやら曳子人足のようだ。


 彼らはユニたちの手前、十メートルほどの所で急停止した。

 立ち塞がるライガに恐怖したからだろう。行く手を遮られた男たちの表情には切羽詰まったものがあった。


「ああああ、あんた、いや姉ちゃん、そのでっけえオオカミは何なんだ?

 大丈夫なのか? 危なくないのか?

 いやいやいや、そんなことよりあんたらも早く逃げろ!

 オークが出たんだ!」


 なるほど、この曳子たちはオークに追われていたのか……。

 ユニは事情を理解した。

「私は召喚士だ。このオオカミは私の幻獣、人間に危害は加えない。

 オークは私たちが始末する。あなたたちは後ろに下がっていなさい」


 〝召喚士〟という言葉を聞いた男たちの顔に、明らかに安堵の表情が広がる。


 辺境において召喚士への信頼は絶大である。辺境に連なる街道筋の者は、当然そのことを知っていた。

 曳子たちは荒い息のまま恐るおそるライガの脇をすり抜け、ユニたちの背後に回って固まっている。


 すでにライガを通じて群れのオオカミたちには召集がかけられている。

 すぐにハヤトとトキが街道脇の茂みから飛び出してきて(曳子たちが小さな悲鳴をあげた)ライガの両脇に並ぶ。

 オオカミの女衆は茂みに潜んだまま、奇襲の機会を待っているはずだ。


 やがて街道上にオークが姿を現した。

 二メートルに近い巨躯。棍棒を手にしてどすどすと坂道を大股に駆け下りてくる。

 ユニにとっては見慣れた姿だ。


「危ないですから、アスカさんも下がってください」

 女騎士は素直に背後の人足たちのもとに近づき、一人の男に愛馬の轡を渡して世話を頼んだ。

 そして、そのまま一人で戻ってくると、ガチャリと面頬を下ろし、剣を抜き、地面に突き刺した。


 その剣は幅の広いブロードソードと呼ばれるものだったが、尋常ではなく刀身が長かった。

 斬馬刀、あるいは胴田貫どうたぬきなどともいう物騒なしろものだ。


 彼女は突き刺した剣の柄に両手を重ね、仁王立ちしたまま近づいてくるオークから目を離さない。

「心配するな。自分の身は守れる」


 ユニはここで争っても仕方がないと、ひとまずアスカの存在は無視することにした。

 オークは一体だし、オオカミたちが片をつけるるだろう。


 その油断がオオカミたちにも伝染したのかもしれない。

 突っ込んできたオークは、迎え撃つオオカミを横薙ぎにするようにいきなり棍棒を振るった。

 オオカミたちは飛び跳ねて難なくその一撃をかわす。


 しかしその瞬間、オークは意外なほど俊敏な動きで跳んだ。

 跳躍の最中で身をかわせないハヤトに体当たりするように飛び込み、すれ違いざまに左拳でオオカミの腹をしたたかに殴りつける。


「ギャンッ!」

という悲鳴を残して、ハヤトが街道脇の草むらに転がる。


 オオカミたちの防御線を大きく飛び越したオークは、着地するとそのまま方向を九十度変え、アスカに向かって怒号をあげなから突っ込む。

「しまった!」

 そう思いながら、ユニはナガサを手にしたまま飛び跳ね、ライガのいる方に転げて逃げるしかなかった。

 体勢を崩しているオオカミたちもすぐには対処できない。


「ぶんっ!」という風切り音とともにオークの棍棒が振り下ろされる。

「ブォンッ!」

 オークのものよりもさらに鋭い風切り音がそれに応じる。


「ガッ!」

 鈍い音とともにアスカのブロードソードが棍棒を受け止めた。

 オークはそのままりょりょくに任せて女騎士を押しつぶそうとする。

 が、動かない。


 棍棒を受け止めたまま、アスカの姿勢は全く崩れない。

 オークは怒りに燃えた咆哮をあげながら、幅の広い刀身が食い込んだ棍棒を引き抜き、再度の打ち込みを試みる。

 その攻撃を女騎士は楽々と跳ね返す。


 一合、また一合と、剣と棍棒の打ち合いが続いた。

 確かに両者の背丈はあまり変わりない。しかし質量には圧倒的な差があった。

 それなのに、アスカはまったく引くことなくオークと打ち合っている。


 その圧倒的な剣圧に、オオカミたちも介入できないでいる。

 三合めの打ち合い、オークが渾身の力を込めた攻撃をたびブロードソードが食い止める。


 しかし、角度が浅かったのか、棍棒に食い込んだ刀身はそのまま棍棒を割り裂いてしまった。

 残りの棍棒が自由を得て滑るように剣とすれ違い、兜の首筋から鎧の肩口のあたりにまともに叩きつけられた。


 「ゴンッ!」という嫌な音が響いた。

 確かな手応えにオークの顔が醜くゆがむ。どうやら笑ったらしい。

 そのオークの目に、不思議なものが映った。

 棍棒を握った自分の腕が、目の前でくるくると回転しながら飛んでいくのだ。

 

 次の瞬間、オークは鮮血を吹き出す肩口を抑え、悲鳴を上げて地面に転がった。

 すかさずオオカミたちが飛びかかってのしかかり、残る手足に噛みつき動きを封じる。

 彼らはオークにとどめを刺す権利が誰にあるのか、よく理解していた。


 アスカは仰向けになったオークの胸を片足で踏みつけ、喉元へ剣先を突きつける。

 そしてそのまま、ずいと剣を突き通した。

 オークは微かに痙攣し、息絶えた。


 ユニは慌ててアスカの元へ駆け寄った。

「大丈夫ですか、怪我は?」

 女騎士は面頬を上げる。


「大事ない。

 だが兜が少し歪んだかもしれん。面頬が引っかかる」

「すみません。うちのオオカミたちがしくじりました。

 こちらの油断です」

 そう言ってユニは頭を下げる。


「気にするな。

 それに、……うん。これはなかなか得難い体験だった。

 あれだけの打ち合いはめったにできるものではない」


 一見すると無愛想なままに思えたが、アスカが嬉しそうにしていることが、何となくユニにもわかった。

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