学院の七不思議 十三 学院の七不思議

 ユニが魔導院に戻ったのは、夜の十時を回った頃だった。

 化粧を落としてからお湯で体を流し、寝間着に着替えてベッドにもぐり込む頃には十二時近くになっていた。


 そんな夜更けに彼女の部屋を忙しくノックする音がした。

 性急な感じのする音にライガが身を起こし、ユニは飛び起きて思わず腰を手でまさぐる。

 どうしても反射的に武器を抜こうとする癖は抜けないものだ。

 扉に顔を寄せ、「誰?」と小さくすいする。


「リデルです。

 ユニ先生、お願いします! 来てください!」

 ユニは片手でライガを制し、内鍵を外して扉を開ける。

 寝間着の上にカーディガンをひっかけ、小走りで先を急ぐやはり寝間着姿のリデルの後に続く。


 リデルの部屋に入ると、一瞬ですべての状況が飲み込めた。

 と言うより、リデルが呼びに来た段階で、あらかた予想がついていたのだが……。


 彼女の小さな机の上に、ピクシーがぐったりとして横たわっていた。


 妖精の身体から放たれているはずの燐光は失われていた。

 薄緑の肌は黒ずんでかさかさとしていた。

 背中の羽根もくたっと萎み、張りがなかった。


 ピクシーは苦しむでもない様子で、静かに目を閉じている。

 ユニは近づいて、頼りないくらいに細い首にそっと指先をあてる。

 ついでわずかに膨らんでいる胸に指をあて、最後に指を口に入れて湿らせると、妖精の唇のあたりに近づける。


「……死んでいるわ」

 言う必要はなかったかもしれない。リデルは多分それを知っていたのだろう。

 彼女はユニに顔を押しつけ抱きつき、いやいやをするように頭を振っている。

 声は出さないが、泣いているのは明らかだった。


 しばらくユニに抱きついていたリデルは、やがて顔を離し、ぐすぐすと鼻をすすりながら事情を話し始めた。


 十時ころベッドに入る時まで、ピクシーは現れなかった。

 最近は妖精が遊びに来ることがめっきり減って、たまに現れた時も、何だか元気がなかった。


 夜中に内容は覚えていないが嫌な夢を見て、ふと目を覚ますと机の上に微かな光があった。

 ピクシーだとすぐにわかったが、あまりにはかない光に胸騒ぎがして、リデルは飛び起きた。


 机にかけよると、ピクシーはぐったりとしていて、みるみる身体から放つ燐光が弱っていく。

 どうしてよいかわからず、そっと抱き上げると、妖精はうっすらと目を開き、リデルの顔を見て微笑んだ。


 そして、小さな、小さなかすれ声で「……ア……ソ……」とつぶやき、そのままかくんと頭がリデルの腕に落ちた。

 燐光は完全に失われ、妖精の小さな身体はみるみるうちに色褪せ、冷たくなっていった。


 リデルはそっとその身体を机の上に戻し、ユニを呼びに部屋を駆け出していった。


      *       *


 一般に霊格の高い幻獣ほど長命であるとされている。

 龍族や巨人族は数千年を生きると言われている。

 国家召喚士が率いる幻獣たちも、軒並み数百年の寿命をもっているのが当たり前だった。


 一方、霊格の低い幻獣は相対的に短命である。

 オークの寿命は三十年から四十年とされているし、ゴブリンに至っては二十年も生きない。


 中でもピクシーは短命なことで知られていた。

 かつては〝朝露から生まれ、日没とともに命を落とす〟と信じられていた。


 その後、幻獣に対する研究の進展で、それは迷信で、ピクシーにも一か月程度は寿命があることが明らかになったが、短命であることに変わりはない。


 ユニがピクシーのことを問いただした際、リデルは最初に妖精が現れたのは四週間前だと言った。

 ならば早晩命が尽きる。

 それはどうしようもない運命で、リデルも気がついているはずだった。


 ユニがあえて審問官に報告せず、静観することにしたのはそのためだった。


 ただ、自分の知らないところで、知らない者の手によって命が絶たれるのと、自分の目の前で命が尽きるのを見守るのと、どちらが辛いだろうか。

 その答えは誰にもわからない。


      *       *


「あたし、この子の名前も知らないの……」

 ぽつりとリデルがつぶやく。

 ユニは小さなリデルの身体をぎゅっと抱きしめた。

「きっと遊んでくれたお礼を言いに来たのね」


 そう言いながら、ユニは心の中でゴーマに示唆しさされた手段に思い至らなかったことを激しく後悔していた。

 少しの間でも心が通じ合えていたなら、リデルの悲しみも違ったものになっていたかもしれない。


 せめて妖精の名前くらい知ることができたかもしれない。

 しかし、すべてが手遅れだった。


 リデルはまだ時おり鼻をすすりながら、きれいな花模様が描かれたお菓子の空き缶を持ってきた。

 その中に柔らかなガーゼを敷き詰め、そっとピクシーの亡骸を入れ、蓋を閉める。


 二人は無言のまま寄宿舎の外に出て、木が生い茂って目立たない庭の一画にそれを埋めた。

 ほんの少し盛り上がった土の上に、リデルは小さな赤いガラス玉を置いた。


 子どものおもちゃでできたささやかな墓標を前に、リデルは手を組み、涙を零しながら無心で祈る。

 天気はよかったが、真冬の深夜である。冷気が薄い寝間着から染み込んでくる。指先はたちまち白くなった。


 祈り続けるリデルの隣りで、ユニは無言で立ち尽くしていた。

 ――彼女に〝使い魔〟の話をすることは、どうしてもできなかった。


      *       *


「おわわわわーーーーーっ!」

 派手な悲鳴とともに生徒たちを背に乗せたオオカミたちが疾走する。


 よく晴れた三月の一日、暖かさを増した春の空気を切り裂いて、彼らは走り、跳び、急激な方向転換を繰り返す。

 生徒たちはただただ振り落とされないようにオオカミの毛並みに必死でしがみついている。


 体長二メートルを超す巨大なオオカミたちの背中に乗り、仮想オークを追跡する演習は迫力に満ち、生徒たち(特に男子生徒)に大歓迎された。


 男の子たちは興奮に頬を赤く染め、女の子たちも甲高い悲鳴をあげながら、めったに味わえない刺激を満喫していた。

 その中には元気を取り戻したプリシラも、リデルも含まれていた。


 時間はすべてを解決する。


 ユニの受け持つ十年生たちは、賑やかだが平穏な日々を取り戻していた。

 〝笑う人魂〟が二度と現れることはなく、それは次第に生徒たちの記憶の片隅に追いやられ、話題にされることもなくなった。


 ただ、〝魔導院の七不思議〟にあった「音楽室に掲げられた肖像画の目が光る」という項目に代わって(もう何年も前にその肖像画は取り外されていた)、「笑う人魂」が新たな不思議として認定され、全学年に広まっていた。


 下級生たちはそれを語る時、

「これは、プリシラ先輩とレベッカ先輩が十年生だった時に実際に遭遇したって言うから、確かな話なんだけど……」

――と、前置きすることを忘れなかった。

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