学院の七不思議 八 模擬戦
「グオーーーッ!」
野太い叫びが響き渡る。
適当な間隔で植えられた背の高い樹木と、形よく刈り込まれた低木が点在するなか、棍棒を握った大柄な男がひいひいと駆けている。
体には分厚い革でできた部分鎧をびっしりと装着しているので、ずいぶんと走りにくそうだった。
その後ろから、茂みに身を隠すようにしてオオカミたちが追跡している。
「オオカミたちは姿を見せないように追跡していますが、自分たちの存在はわざと相手にさとられるように行動しています。
それは茂みをかきわける音、呼吸だったり唸り声などです。
複数の敵に追われていることをはっきり伝えることで、相手の恐怖心を高め、追い立てたい方向に誘導できます」
ユニは小高い丘の頂上から、下で繰り広げられている追っかけっこを解説している。
周囲には生徒たちが集まり、熱心にメモを取っている。
ここは王城のすぐ側にある中央公園である。もともとは王城に付属する広い庭園だったが、今は開放されて市民の憩いの場となっている。
その一画を借りて、魔導院の野外授業が行われているのだ。
「思いどおりに相手をコントロールしたら、仲間が待ち構えている地点に誘導します。
そこは逃げ道が絶たれてしまう場所、崖や壁で行き止まりだったり、水辺だったり、とにかく相手がいったん立ち止まらざるを得ない場所です。
そういう場所が見つからない場合は、わざと私の前に誘導することもあります。
オークの性格上、弱い相手を見つけると逆上して襲いかかってくるので、その隙をつく方法ですね」
ユニの解説が聞こえているように、男は王宮の壁の方へと追いつめられていく。
男が茂みを迂回して逃げようとしていると、突然目々に王城の壁が現れ行く手が塞がれてしまう。
壁に沿って右に逃げるか、左に行くべきか。
男は一瞬立ち止まって躊躇する。
そのタイミングを逃さず、周囲で待ち伏せていたオオカミたちが襲いかかる。
最初は左右から同時に。
一瞬遅れて背後から。
オオカミたちは真っ先に男の腕に噛みつき、武器の使用を抑え込む。
次いで足に噛みついて行動の自由を奪う。
とどめに一頭が体当たりをしてバランスを崩させ、噛みついていたオオカミたちが男の身体を引きずり倒す。
あまりの手際のよさに、生徒たちの口から思わず感嘆の声が洩れる。
「あのように抑え込んでしまえば、後はとどめを刺すだけとなります。
私の場合はオオカミたちに抑えさせているうちに、頸動脈を切断しています。
もっとも、一般には召喚士がそこまですることはありません。
普通は幻獣が全部かたをつけてくれます。
召喚士はできるだけ全体の状況を把握できる場所、なおかつ自分の身の安全を図れる所から指示を出すのが基本です」
「ライガ、みんなにもういいからご苦労さんって伝えて。
バイト代に仔牛が丸ごと一頭出るらしいから、後で持っていってあげてね」
ライガの指示が伝わったのか、オオカミたちは哀れなオーク役の男を解放して所定の控え場所に戻っていく。
後でユニが引率して城外、そして新市街の外縁まで連れて行かなけばならない。
ジェシカとシェンカの姉妹がその間おとなしくしてくれるのか、考えただけで頭が痛い。
ユニが魔導院に勤務する三か月の間は、ライガを除いた群れのオオカミたちは、王都から少し離れた王族の狩場で暮らしている(もちろん許可を得て)。
今日は生徒たちにオーク狩りの模擬戦を見せるため、彼らを呼び寄せたのだ。
「私の場合は召喚した幻獣がオオカミで、彼が自分の群れを呼び寄せました。
そのため私の狩りは集団戦になりましたが、どのような幻獣を呼び出すにせよ、その個性と能力をよく見極めて、適切な戦法を編み出さなくてはなりません。
大抵の場合、幻獣の方が戦いの経験を積んでいますから、最初は謙虚に彼らから学ぶこと。
――ただし、それは幻獣単独での戦い方であって、召喚士とペアを組んでの戦法ではありません。
その辺を自分の幻獣とよく話し合って、自分たちにもっとも合った方法を練り上げていくのです」
生徒たちは真剣な目でユニの話を聞いている。
そこへぜーぜーと息を切らしながら、オーク役を務めていた男が登ってきた。
格闘術を教えている教官である。
身長は二メートルに近く、もし太鼓腹だったならオークと言っても十分通用するような体格をしていた。
彼は丘の上まで登ってくると、どかりと腰を落とし、身体中に付けた防具を外しはじめた。
「まったく酷い目にあったぞ。
ユニ、お前んとこのオオカミは容赦がないな。
こんだけ防具をつけているのに見てみろ!」
彼が防具を外して、分厚いシャツをめくりあげると、そこにはくっきりとオオカミの歯形が付いていた。
いくつかは皮膚が破れて血が滲んでいる。
「あー、すみません。
これでもかなり手加減させているんですけどね」
ユニが恐縮していると、教官はからからと笑って気にしていないことを示した。
「それに攻撃が実にうまい。
一発くらいは入れて、キャンと言わせてやろうと思ったんだがな。
武器を持った右腕を狙うのに、左からフェイントの攻撃をして、防御させたところで右から襲ってくる。
そのタイミングが手馴れているんだ」
格闘術の教官は感心することしきりであった。
教官は一応手当をしてくると言って、魔導院に戻っていった。
* *
ユニは生徒たちに、今日の演習についてレポートを提出するよう命じ、教官が脱ぎ捨てていった防具を魔導院の用具室まで運ぶよう指示する。
防具は男子生徒三人でも持ち切れず、いくつかを女子生徒が持って帰ることになった。
城内の魔導院に帰り、用具室に防具を戻した後、ユニはレベッカに教官室に行って鍵を取ってくるよう命じた。
用具室を施錠したら、自分の部屋まで鍵を持ってくるよう付け加え、生徒たちを解散させてから自室に戻る。
彼女は素直に応じて駆け足で教官室へと走っていく。
久しぶりに体を動かしたのと、群れのみんなに会った満足感に大きくノビをすると、着替えをはじめる。
今日の予定を聞いたユニ付きのメイドは、運動着からその後にオオカミの群れを郊外まで連れていくための着替えまで、すべてコーディネイトして用意してくれていた。
いや、そこは運動着のままでいいだろうとユニは思うのだが、その考えが甘いのだそうだ。
まったく、これをエディスやロゼッタは毎日やっているのだろうか……。
ユニはなんだか彼女たちが気の毒に思えてくる。
そんなことを考えながら、さっぱりとしたポロシャツに袖を通していると、外からかすかに、だがはっきりと女性の悲鳴が聞こえた。
「ライガ!」
一言ですべてが通じる。
ユニは自室の扉を蹴り飛ばすと、ライガの背中に飛び乗る。
ライガは悲鳴の聞こえてきた方角へと、正確に、矢のように駆けていく。
ユニたちがたどり着いたのは体育用具室だった。
ユニは躊躇なく扉を開け放つ。
さっき部屋を飛び出した時もそうだったが、腰のナガサを引き抜こうとした手が空をきって泳ぐ。
魔導院内に私物の刃物の持ち込むことは禁止されているから仕方ないのだが、どうにも落ち着かない。
中に踏み込むと、すぐにレベッカが床にへたりこんで震えているのが目に入った。
左右を素早く見回したが脅威となるような気配は感じられない。
ライガも『ほかに誰もいない』と保証してくれた。
「だいじょうぶ? 怪我はない?」
安全を確認したユニはレベッカの側にしゃがんで抱き寄せる。
身体をざっと探ってみるが、特に外傷は認められない。
ただ、レベッカの顔は蒼白だった。
ガチガチと音がたつほど歯が震えている。
「立てる?」
ユニの問いにレベッカは震えながらどうにかうなずいた。
ユニは彼女の肩を抱いたまま引き起こし、ゆっくりと用具室の外に出た。
悲鳴を聞きつけたとみえて、プリシラを除く学年の生徒全員が駆けつけてきた。
明るい外に出たのと、級友たちの顔を認めたせいか、レベッカは少し落ち着いたようだった。
どうやら医師の手当までは必要ないようだと判断したユニは、レベッカを自分の部屋に連れていった。
もちろん級友たちも心配そうにぞろぞろ付いてくる。
用具室の中に入った時、武器保管庫の扉に鍵がささったままだったのに気づいていたので、フェリクスとクラースの二人の男子生徒に戸締りと鍵を持ってくるよう言いつける。
レベッカを自室のベッドに座らせ、備え付けのコンロにミルクを入れたポットをかける。
女の子たちがレベッカに「だいじょうぶ?」「どうしたの?」と涙ぐみながら語りかけているのを制して、少し静かにするよう命じる。
小型のポットはすぐに温まり、ユニはカップにたっぷりのハチミツを入れ、ミルクを注いでかきまぜ、レベッカに渡した。
椅子をベッドの側に引き寄せて座ると、レベッカがミルクを飲んで落ち着くのを待つ。
レベッカは両手でカップをもち、甘く温かなミルクをゆっくりと飲んだ。
「ほう」という溜め息がこぼれ、頬に血色が戻ってくる。
ユニはレベッカの目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと話しかける。
「レベッカ。落ち着いて、ゆっくりでいいから、何があったのか最初から話してくれない?」
レベッカはこくんとうなずき、ぽつぽつと話し出した。
周囲には級友たちが少し間をあけ、固唾をのんで囲んでいる。
「ユニ先生に言われたとおり、教官室に行って鍵をいただいてきました。
用具室の扉を開けて中に入ると、男の子たちが運んでくれた防具が床に積まれていました。
ああ、そうか。防具は武器保管庫に入れなきゃいけないんだって思い出して、保管庫の鍵を開けたんです。
中の棚に防具を全部入れ終わって、扉を閉めようとしたら、奥の方からくすくすという笑い声が聞こえました」
そこでレベッカは声を詰まらせた。
ユニは彼女の背中をさすって、「だいじょうぶだからね、続けて」と先を促す。
「きっとアイラがいたずらして隠れているんだろうと思ったんです」
名指しされたアイラは「違います!」という顔で、ぶんぶんと顔を横に振る。
「それで、『アイラ? そこにいるの?』って声をかけました。
奥の方は暗くて行くのが怖かったんです。
……そしたら突然、耳のすぐそばで囁き声が聞こえました。
『……ア…ソ…ボ?』
確かにそう聞こえたんです。
あたし、びっくりして振り返ったら、そこにぼんやりと光る球がゆらゆらと浮かんでいたんです!」
最後の方は叫び声に近くなった。
ユニはレベッカの両肩を抑え、「だいじょうぶ。落ち着くのよ」と言い聞かせる。
レベッカは自分を取り戻したようだったが、目からは涙がこぼれていた。
「それからどうしたの?」
ユニは落ち着いた声で尋ねる。
その声に少し安心したように、レベッカは話を続ける。
「あたし、びっくりして悲鳴をあげました。
これが〝笑う人魂〟なんだって。
でも、あたしが悲鳴をあげたら、その人魂がすっと消えちゃったんです。
それであたし、へたりこんじゃって。
――早くここから出て、みんなに知らせなきゃと思ったんだけど、怖いし、足に力が入らなくて立ち上がれないし……。
そしたら、ユニ先生が来てくれて……」
それが限界だった。レベッカは泣き出してしまい、話が続けられなかった。
一方、ほかの生徒たちは興奮してしまい、大変な騒ぎとなった。
自分の意見を述べ合うもの、今すぐ捜索に行こうというもの、レベッカが気の毒だと涙ぐむもの、怖いと言ってふるえるもの……。
ユニは「パンパン」と手を叩いて生徒たちを黙らせる。
「アイラ、レベッカを部屋に連れて行って寝かせてあげなさい。
あなたはそばに付いていること、何かあったらすぐ知らせること。
いいわね?
――ほかのみんなも自室に戻りなさい。
夕食の時間までは各自自習していること。寄宿舎の外に出ることは許しません。
はい、解散!」
生徒たちを追い出すと、ユニは少し考え込んだ。
そして用具室の鍵を手にすると、ことの報告のため教官室へ出頭するべく部屋を後にした。
ユニの報告を受けた教官たちの反応は、予想されたとおり冷ややかなものだった。
ただ、プリシラに続いて二人目ということもあり、教官たちの手によって用具室の捜索が行われた。
当然、何も出てくるはずもなく、レベッカは「何かを見間違えた」のだと結論づけられ、それで一件落着となった。
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