外法の村 九 白虎帝①

 白虎帝エランが率いる第一軍は、王国でも最精鋭と見なされていた。


 エランは白虎帝を継いでから十二年、自身が戦場に立つことはほとんどなかったが、尚武の将軍として部下をよく鍛え、公正で部下思いという評判が確立しており、将兵の篤い信頼を得ていた。


 白城市の中心に位置する城の中に第一軍の司令部が置かれている。

 オークの軍団が出現したという知らせが届くと同時に、第一軍は軍組織というシステムが非常時にどう動くかという見本を示していた。


 第一軍が真っ先に手をつけたのは、街道の安全確保だった。

 白城市に駐屯していた即応軍が未明に城門から出発して街道の警備に当たった。避難民の安全と軍の移動手段の確保が最優先されたのだ。


 訓練中だった予備部隊は宿舎のベッドから叩き出され、新市街の外縁に防衛線を展開することを命じられた。

 当然のことだが休暇中の兵士には休暇の取り消しと非常呼集が伝えられ、遅くとも昼までには原隊に復帰するよう求められた。

 彼らも順次指揮系統に組み込まれ、新市街防衛線に参加することになっていた。


 白城市に限らず四古都は、城壁の内部に市街を持つ城塞都市だったが、長年の発展で城壁内部だけに街区の発展を押し留めることは不可能になった。

 市民は城壁外に新たな市街地を作り、城壁内の街区を旧市街、壁外の新たな街を新市街と呼んだ。


 旧市街は貴族を始めとする門閥たちの街であり、新市街は活力に満ちた市民たちの街であった。

 当然のように新市街は発展を続け、城壁の周囲に放射状に街区を膨張させていった。


 年々膨らんでいく市街地に防衛のための城壁を築くことは不可能であり、外敵の侵入には無防備なままであった。

 ただ、安全な中央平原の中のことでもあり、そうした懸念は大きなものではなく、むしろ膨張する市街区と侵食される農地との争いの方が問題視されていた。


 いずれにしろ、固い鎧を身にまとった城塞都市にとって、新市街はさらけ出した柔らかい腹のような存在だった。

 オークたちが白城市へ進撃を始めたという情報が入る前にその弱点を守ろうとした行動は、軍の本能のようなものだった。


      *       *


「それで、わが軍の展開は順調なのかな」

 白城の会議室には白虎帝と副官、参謀のほかに連絡将校が数名いるだけだった、各軍団の将校は現地で指揮に当たっているから当然ではある。


「はっ、街道防備の部隊はすみやかに展開しており、こちらは心配ありません。

 新市街の防衛線は現在充足率が四〇%程ですが、五時間以内に八〇%を超える予定です。

 防衛線が長大になりますので、この遅れはやむを得ないかと……」

 きびきびと若手の連絡将校が報告する。


「オークの動きはどうか」

「奴らが前進を開始したのは夜が明けてからですが、動きは鈍くあまり進んでおりません」

「よろしい。敵の迎撃には僕が出るから新市街方面の遅れは問題ない。

 街道筋の防衛線への補給を最優先に、輜重しちょう隊の編成を急がせろ」


 エランのよく通る声が響く。

 背はあまり高くないがよく引き締まった体躯、栗色の巻き毛を短く刈り込み、青い目と整った目鼻立ちは、白城市の女性たちからは密かに〝プリンス〟と呼ばれているほどに高貴な雰囲気を漂わせていた。


「北方面はいかがいたしますか?」

 副官のベルコフが確認する。オルトロスという双頭の幻獣を使役する召喚士である。

「そこまでは手がまわらんよ。そっちは第四軍に任すしかないだろう。

 最初から東北方面は蒼龍帝に頼んでいるから多少は遅れても、まぁなんとかしてくれるさ」


「まったく、こんな時にエディスは何をしているのやら」

 ベルコフは同僚への不満を隠そうとしない。

 本来ならエランの副官二人が白虎帝を補助しなければならないのに……。


「まぁ仕方ないだろう。アリストアに貸したのは僕だからね。

 確かに彼女がいないのは痛手だが、ベルコフ、君がいれば心配はいらないだろう?」

「もっ、もちろんでありますっ!」

 顔を赤くして、その場で直立不動の姿勢をとるベルコフは実に嬉しそうだ。


 居合わせた連絡将校は悟られないように努力しているが、誰もが微笑んでいる。

 ベルコフが一つ年下の上司を敬愛してやまない、いや〝溺愛〟していることは有名であった。

 そのため一回り以上年下のエディスと露骨に張り合っている姿も、周囲から生暖かい目で見守られていた。


「報告では総数一万余ということだが、今のところオークだけのようだ。

 僕のラオフウだけで十分蹴散らせるが、逃げ出したオークたちを一匹でも逃したら大変なことになる。

 ここは辺境じゃないからね。


 ――街道筋は大丈夫だろうが、やはり怖いのは手薄な新市街だ。君の負担は大きいだろうが頼んだよ」

「はっ!」

 ベルコフはますます固まっている。もし彼に尻尾があったなら、そこだけがブンブンと振れていたことだろう。


「それにしても、誰が何のためにこんなことをしているのか……。

 おそらくエディスはそのための調査に引き抜かれたんだろうが、アリストアが出し抜かれるとは珍しいこともあるものだね。

 こちらに指揮本部を移すと連絡が来ていたが、どんな顔をしているのか見てみたいものだ」


「全くです。例え万のオークが攻めてこようとも、白虎帝がいらっしゃる限り無駄なことです」

 ベルコフはアリストアに関するアランの発言には触れずに答える。

「そうでもないさ、王国が蒙る被害は甚大だよ」

「ご謙遜は困ります。万に一つも白虎帝がオークどもに遅れを取るなど……」


「そういう意味じゃないさ。

 いいかい、奴らが進撃してくるのは収穫前の麦畑だ。踏み荒らされるだけでも大変なのに、これからそこを戦場にして焼き払うんだ。

 どれだけの被害になると思うかね?


 ――当然オークどもは一匹たりとも逃さないが、一万ものオークの死体を処理するのがどれだけの大仕事か、想像すらしたくないよ。

 断言するが、兵士たちの悪夢は二週間以上続くだろうよ」


 それを言われるとベルコフには答えようがない。

 農務大臣も財務大臣も今頃対応に大わらわだろう。

 穀倉地帯で穴を掘ってオークたちの死骸を埋めるわけにはいかない。


 埋葬場所の選定、そこに穴を掘り死骸を運搬して埋葬する労力、人間や家畜への伝染病発生の懸念……。

 軍としては戦いに勝てばよいとはいえ、その後の後始末を考えれば王国の経済への影響は計り知れない。


「なぁ、そう暗い顔をしなさんな。

 幸いと言うべきか僕らのする仕事は決まっているんだ。悩むことはないさ。

 君は新市街の防衛線の指揮に向かってくれたまえ。

 僕はラオフウを呼び出しに行くからね」


 召喚士と召喚された幻獣は、四六時中行動を共にするのが普通だが、四神獣だけは特別で、彼らは基本的に幻獣界で生活している。

 今回のような非常時は別だが、平常時は月に数日しか召喚されないらしい。


 普通は数日離れただけでも、召喚士・幻獣の双方に強い喪失感によるストレスをもたらすのだが、四帝と四神獣の間にはそうしたことが起こらないという。

 理由ははっきりとしないが、四神獣が現世に留まるには膨大なエネルギーが必要だからではないかと推測されていた。


 また、一般の召喚士は最終的に幻獣の世界に転生して、新たな幻獣として生まれ変わるのだが、四神獣を召喚した者は新たな神獣となるのではなく、現在の神獣に取り込まれてその血肉となると言われている。


 これは誰にも確かめようのない話なので、神獣自身がそう説明したとしか思えない。

 世人は〝智慧ある蛇〟――黒蛇ウエマクが伝えたのだと噂していた。


 白城(他の古都の城もそうだが)には、王都の魔導院と同様に召喚の間があった。

 舞踏会でもできそうな天井の高い大広間で、床には巨大な専用魔法陣が描かれている。

 エランはその中心に立ち、掌を下向きにして片手を前に伸ばし、召喚の呪文を静かに口にした。


 数分にわたる呪文を唱え終えた時、――それは存在した。

 煙をあげて出現するでもない、地の底から浮かび上がるでもない、まるで最初からそこにいたように突然に巨大な白い虎が存在していた。


 体長は八メートルほど、尻尾を含めると十メートルにもなる巨大な白虎。それがラオフウだった。


「あらエラン、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」

 聞こえてきた声は落ち着いた大人の女性のものだった。

 頭の中に響く声ではなく、音声として誰でも聞き取れる人間の言葉だ。


 しかも声がするのはラオフウの頭の方からではなく、後ろの方からだった。

 ラオフウの尻尾は大部分が普通の虎の尾だったが、その先端だけが蛇の頭となっており、その蛇が喋っていたのだ。


 蛇よりはまだ虎の口の方が人語を話しやすそうだが、どういう仕組みなのか尻尾の蛇はチロチロと細い舌を出し入れしながら、かなり明瞭な発音で話すことができた。


 蛇の首から下は毛皮をまとった虎の尾なので、尻尾の先端に穴が開いていて、そこから蛇が顔を覗かせているようにも見える。


「事情はおおよそ理解しているわ。

 暴れるのっていつ以来だったかしら。ちょっと楽しみね」

「こういうことって、前にもあったのかい?」

 エランは馴れているので普通に尻尾の蛇に向かって話しているが、傍からで見るとそれはかなり奇妙な光景だった。


「そうねぇ……。

 何百年か前にあったような気がするわ。でも〝穴〟から直接オークが出てきたと思うわ。

 ああ、その時は中央平野のすぐ近くに〝穴〟ができたのよね。

 魔法陣からってのは初めてだわ」


「そうですか……。

 まぁ、その辺を調べるのは僕らの仕事じゃありませんからね。こちらはこちらでやるべきことをやりましょう。

 新市街の端まで乗せていってください」


 ラオフウはエランの体を傷つけないようにそっと口で咥え、自分の背中に乗せてやる。

 エランが姿勢を整えるのを待って白虎は巨体を起こし、召喚の間から中庭に出る。


 そこからは手慣れた様子で軽々と城壁を飛び越していく。

 着地の際、地面には相当の衝撃があるはずだが、猫族の特性なのかほとんど音がしない。


 巨大な白虎がピョンピョンと飛び跳ねながら城から大通りに降り立つと、街はちょっとしたパニックになった。

 何しろラオフウの姿を見るのは城勤めの兵士ですら年に数回、市民に至っては大半が初めての体験である。


 ラオフウは大通りをゆっくりと歩く。

 彼女なりに市民や建物に被害が及ばぬよう、慎重に行動しているのだ。

 エランはその上から兵士に向かって大通りから市民を一時的に退去させるよう指示を出す。

 大通りからは蜘蛛の子を散らすように人の姿が消え、代わりに通りの両側には黒山の人だかりができた。


 白虎が歩くたびに肩のあたりの筋肉が大きく上下する。

 それを包む白銀の毛並みが陽の光を浴びてキラキラと輝き、ビロードのような艷やかな光の帯が現れては消えていく。

 見る者を呆けさせてしまうほどの神々しい美しさだった。


 沿道で母親のスカートを掴みながらこわごわとラオフウを見ていた男の子が、上気した顔で母親の顔を見上げて訴える。

「きれい……。

 ねえ、ママ、すごくきれいだね!」


 すると、ラオフウの尻尾がひょいとその男の子の目の前に現れ、

「あら、坊や。ありがとう」

と蛇の顔で話しかけたものだから、男の子も母親も「ひっ」と叫んだきり動けなくなってしまった。


      *       *


 白虎とエランは城門(さすがにここだけは通り抜けることができた)を抜け、新市街の大通りも抜けて郊外に出た。

 そこでエランはラオフウの体を降り、馬に乗り換える。


 すぐに副官のベルコフが駆けつけ、エランの直衛隊を選抜するなどてきぱきと指示を出す。

「あとどれくらいか?」

「は、八キロ地点に近づいております」


「ん? 何だ、ほとんど進んでいないじゃないか」

「はい、奴らは隊列を組むわけでもなく、好き勝手に動いているようです。

 仲間同士のいさかいも確認されております。

 どうも指揮官がいないというのは事実のようですな」


「そうか。あまり市街に近づけてもやっかいだ。

 ラオフウに突入させる。住民の避難は済んでいるな?」

「ぬかりありません」


「僕は近くで指揮を取る。

 直衛の者は連れていくが、他の者は近づけるなよ。巻き添えを食ってはつまらんだろう」

「分かりました。ご武運を!」

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