第41話 ロミオとジュリエット

 辺りはすっかり闇空に包まれ、街を照らすのは無数のランタンの灯り。

 女子供は寝静まり、活気に溢れた酒場から聞こえてくるのは陽気な笑い声。


 そんな陽気な声とは対照的に、喧騒の中を険しい表情で突き進む俺とフィーネア。


 俺たちが向かう場所は街の北側に位置する女郎街。

 そこに今も恐怖と苦痛……孤独に身を焦がしているゆかりがいる。


 最後に目にしたゆかりの泣き顔が……耳を塞ぎたくなってしまう嗚咽混じりの声が……今も絶えず俺の頭の中で繰り返し響いていた。


 その度にこの心が鈍い音を立てて痛みを伴い、えぐられる。


 それはまるで大切にしまっていたアルバムの写真を一枚ずつ破り捨てられるような、幸せだった日々は奪われ、もう二度と戻らないのだと言われてしまったような、絶望感。


 ゆかりはどれほどの間、一人戦っていたのだろう。

 俺たちがこの世界に来て既に4ヶ月以上――その間ずっとゆかりは逃れられない苦痛と向き合い続けてきたのか……。


 考えれば考えるほど心が痛み足早になる。

 1分1秒でも早く大切な友の元にたどり着けと俺を急かす。


「ユーリ、ユーリッ!」


 はやる気持ちを抑えきれない俺を後方から呼び止めるフィーネアの声。

 俺の腕を掴み取り、焦る体を引き止めた。


「少し落ち着いてくださいユーリ」

「落ち着ける訳ないだろ! 友達が今も助けを待っているんだ!」


 落ち着けと言うフィーネアの声をかき消して、俺は思わずフィーネアの手を払い除けてしまった。

 少し驚いた表情のフィーネアが深呼吸してから、ゆっくりと口を開く。


「ユーリの気持ちは痛いくらいわかります。だけど考えもなしに飛び込むのは無謀です。ユーリはゆかりさんたちを助けなければいけません。しかし、現在居場所が判明しているのはゆかりさんのみ。他のご友人がどこに何名いるのかもわかっていません……ユーリはとても優しい。だけど今のユーリは怒りに我を忘れ、自身の危険を顧みずにいます」


 闇夜に浮かぶ紅蓮の瞳が真っ直ぐに俺を見据える。


 フィーネアが俺の身を案じてくれているのはわかってるし、有り難い。

 だけど今は俺のことよりもゆかりたちのことが心配だった。


 だから俺は今のこの気持ちを包み隠さずフィーネアへ打ち明けた。


「俺のことはいいんだよ。最悪……俺が死んでもゆかりだけは助けてやりたいんだ。今すぐに大丈夫だって、もう何も心配しなくていいんだって伝えてやりたいんだ!」


 吐露する俺の気持ちを黙って聞いているフィーネアの瞳がうるうると潤んで揺れる。

 そして――震えるフィーネアの掌が俺の頬を力なく叩いた。


「さっきのあれはなんだったんですかっ! 家族の待つダンジョンに帰ると……皆さんと約束したあの言葉はなんだったんですか! ユーリはゆかりさんに近付き、怒りで大切なことを見失っています!」


 初めてフィーネアが俺に声を荒げる。

 その表情は悲しみに満ち、必死に俺へなにか伝えようとしていた。


「大切な……こと」

「ユーリが死んでしまえば悲しむ者がいます。ユーリの帰りを待っている者たちが大勢います! それに……自分を犠牲に助けられたゆかりさんたちはきっと心から笑えません、幸せになれません! 自分が死んでもいいなんて言う人に助けられても……全然嬉しくありません!」


 今にも泣き出してしまいそうな声が、その相貌が俺の焦りをゆくっくりと溶かし、俺を俺へと引き戻す。

 俺はフィーネアに頭を下げた。


「申し訳ない。フィーネアの言う通りだ。俺はここへ……街に来て焦っていたんだろう。でも……もう大丈夫だよ。フィーネアが俺を憎しみの闇から救い出してくれたから」

「言ったはずです。ユーリが暗闇で前が見えなくなった時は、フィーネアがユーリの目となり希望の炎を絶えず燃やすと」


 涙ぐむ瞳を指で拭うフィーネアに、俺は感謝の言葉を述べる。


「ありがとう。フィーネアがいてくれて良かったよ」

「はい」


 微笑んだ俺の顔を見やり、フィーネアもにこやかに微笑んだ。

 だけど直ぐに手をバタつかせて慌てた素振りを見せた。


「あああああっ! そそそ、その、お顔の方は大丈夫ですか! 本当に申し訳ございません! 主人に仕えるメイドがその主人に手を上げるなど……フィーネアはメイド失格です! いっそ死んでしまった方がっ!」


 フィーネアは自らの首を締めて自害しようとしている。

 俺は「うわぁぁあああああ!」と慌ててフィーネアに落ち着くよう言い聞かせて、さっきのは愛情だと思っているから気にしないでくれと宥めた。


 フィーネアは「グスンッ」と喉を鳴らしすっかり意気消沈してしまった。

 これから大事な戦闘を前に、俺はとんでもない過ちを犯してしまったとガクッと肩を落としそうになったが、『俯いても過ちは消えぬ』と言ったグルメの言葉を思い出して、下を見ることはなかった。



 それから俺はフィーネアと作戦を立てる。

 まず一番最初にすべきことはゆかり以外の囚われている者が何人居て、どこにいるかを探ることだ。


 その為に俺たちは二手に分かれることにした。


 俺がすることは単純。

 女郎街へ入り探知ダガーを使用して店の中に居る連中を片っ端から調べあげることだ。


 もしもゆかりの友人が居るとしたら、見抜くことは容易い。

 おそらくゆかりが共に行動していたのは同学年の者だろう。

 だとしたら俺でも発見することができる。


 ゆかりと付き合っていた期間は二週間と短いが、彼女の学内においての交友関係は把握しているつもりだ。

 つまり、見覚えのある者を見つけ出せばいいと言うだけのことなんだ。


 女郎街を練り歩き、人目につかないようにダガーを抜き取り探知する。


「また見つけた! これでゆかりを含めて6人目だ」


 だけどひょっとしたらまだいるかもしれない。

 念には念をと……俺は来た道を引き返しながらもう一度同じ行動を繰り返した。


「どうやらゆかりたちは6人で間違いなさそうだな」


 俺はゆかりたちに手紙を書くために懐から紙を取り出して、ダガーで親指を浅くきり血で文字を書く。

 それを肩に乗せたメアちゃんに咥えさせて、ついでに再生薬も咥えさせ窓から侵入させた。


「頼むぞメアちゃん。お前が頼りだ!」


 数分後――メアちゃんが侵入した二階の窓から飛び出して来ると、同時にガラガラと大きく窓が開き、ゆかりが俺を俯瞰している。

 遠い上に暗がりだったからはっきりとその表情を確認することはできなかったが、ゆかりは口元に手を当てて声が漏れてしまわぬように必死に堪えているように見えた。


 俺はジュリエットのように見下ろすゆかりに見えるように大きく頷き親指をグッと突き立てる。

 もう大丈夫だ。絶対に俺が助けてやると、この街からお前を連れ出して見せると、ゆかりを見上げた。


 そうだ、今晩だけは……情けないかもしれないが俺がお前のロミオになってみせるぜ。

 だけど俺はロミオのように悲劇で幕を下ろすつもりなんてない。

 笑顔の……ハッピーエンドなロミオとジュリエットをお前見せてやるぜ!


 俺は歩く。

 囚われの姫に背を向け、残りの5人にも同じように手紙と再生薬を届けるため。

 今は1分1秒が惜しいんだと言うように。




 ◆




 一方その頃フィーネアは――女郎街のボス、女郎蛇のマムシなる人物を特定するために潜入調査を開始しようとしていた。


「随分美人な姉ちゃんじゃないか。こりゃ高値が付きそうだぜ」


 フィーネアの周囲を柄の悪そうな男たちが鼻息荒く取り囲み、その肢体を撫で回すように視線を向けている。


わたくしこちらで働かせていただきたいのですが……可能でしょうか?」

「も、もちろんだぜ! 姉ちゃんみたいな美人は客がたんまり尽くさ。だけどな……クククッ。この女郎街で働く女には給料なんてびた一文でねぇーんだよ!」

「「「ハハハハ」」」」

「おっと、逃がしはしねぇーぜ。こんな上玉を見つけてきたとなりゃー、姐さんも上機嫌になるだろう」


 男たちの言葉から察するに、どうやらここ女郎街で働いている女は全員女郎蛇のマムシなる者の毒牙にかかっているのだろう。


 しかしフィーネアはそんな男たちの言葉を聞いても臆することはなく、艶っぽい表情を浮かべて口の端を吊り上げた。


「それは素敵です。私誰かに飼われ弄ばれることが夢だったのです。興奮して濡れてしまいます」


 フィーネアの変態じみた発言を聞き、男たちは口元を拭い声を弾ませた。


「クククッ、こりゃー飛んだ変態だぜ」

「ドMというか……こいつはプロだぜ!」

「ああー、まずは俺がやっちまいたいくらいだ!」

「だけど……そういう訳にもいかねぇーな。まずは姐さんの元へ連れて行き呪印を施すのが先だ。お楽しみはそれからでも遅くわねぇーだろ。クククッ」


 ゲスの極みと呼ぶべき男たちに赭面しゃめんし、変態を演じるフィーネアが心中を吐露する。


(本当にゲス以外の何者でもありません。今すぐにでもこの者たちを灰にしてしまいたいのですが……マムシなる人物の元へ案内させるのが先決ですね)


「早く……性奴隷にして欲しいです」

「おお、そうだったな」

「じゃ、姐さんの所まで行くとするか」


 男は嫌らしい笑みを浮かべながらフィーネアの肩へと腕を回して、歩き始めた。


 ほどなく女郎街の一角に聳え立つ、一際大きな建物にたどり着く。

 男はフィーネアを先導し中へ入って行く。


 建物の中はとても広く高価な作りをしている。

 きっと捕らえて奴隷のように扱われる女たちが稼いだ金を湯水のごとく使い、高価な美品を買い集めたのだろう。


 男に誘導され建物の中を進むフィーネアの耳に不快な声が聞こえてきた。


「さぁどうなの? 気持ちいいのよね? わちきをもっと興奮させなさい! このメス豚どもがっ!!」

「もう゛……やめでぐださい゛」

「ゆるじで……」


 その悲痛な声を聞き、フィーネアの表情が思わず曇る。


 建物最上階、最奥の部屋の前で立ち止まる男。

 男は中にいると思われるマムシに声を掛けた。


「姐さん! 上玉を連れてきやしたぜ」


 男が扉越しに声を掛けると――数秒沈黙が続き、ズキズキと頭に響く甲高い女の声が返ってきた。


「連れてきな」


 男はゴクリと生唾を呑み込み、扉を開けてフィーネアの背中を押した。


「ほら、入れ」


 薄暗い部屋には真っ赤なロウソクが立ち並び、年端もいかない娘が下着姿でガクガクと震えている。

 その顔からは鮮血が滴り落ち、体中の至る所に打撲痕が見受けられる。


 目を塞ぎたくなる光景に思わず顔を顰めてしまうフィーネア。


 さらに部屋の奥には高貴な椅子に腰を下ろした、ボンテージ姿の女がいる。

 女は手にした鞭でバシっと音を立てると、フィーネアの体を下から上へとなぞるように見ては口元を歪ませた。


「上玉じゃないかい! わちきの好みだよ。お前は下がれ、あとはわちきが調教する」

「へい!」


 男は女の指示に忠実に従い、フィーネアを残し部屋を後にする。

 扉が閉められ、密室にはほくそ笑む女と血まみれの少女たち――それにフィーネアの姿だけ。


 女は人差し指をクイクイッと曲げ、フィーネアにこちらに来るように言っている。


「わちきの奴隷にしてやる。こっちへ来い」


 フィーネアは少女たちを一瞥し、すぐに女へと視線を戻すと、


「あなたがここ女郎街を取り仕切る、女郎蛇のマムシさん……ですか?」

「如何にも、わちきがこの女郎街の女王様だ。お前はわちきの下僕になるのだ。アッハハハ」


 フィーネアの問いかけに頷いたマムシは勘に障る笑い声を響かせる。

 するとフィーネアの顔からは表情が消え、眼前のマムシを睨みつけた。


「あなただけは許しません! ユーリにあのような顔をさせたあなただけは……この場でフィーネアが灰にしてあげます!!」


 いつになく低い声を発したフィーネアは両手をマムシへと突き出して、怒りを口にした。


「炎の書――鳳凰編第一章、羽炎!!」


 フィーネアは有無を言わさず目の前のマムシを殺そうと炎を放った。



 それは遊理との作戦にはない行動だった。

 フィーネアの目的は飽くまでマムシの特定と居場所を突き止めることにあった。


 マムシを特定して居場所を突き止めたら素早くその場を離脱して遊理と合流する手はずだったのだが、フィーネアは目前の女を遊理と戦わせたくないと判断し、今この場で自身が始末しようとしたのだ。


 なぜフィーネアがその考えに至ったのかは至極簡単。

 ステータスオールFのユーリに出来るだけ戦闘をさせたくないという思いが、フィーネアを駆り立てた。

 結果、単身での戦闘を開始してしまった。



 それがさらに遊理を追い詰める行動になるとも知らずに……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る