第531話 嫌な予感が続く時はそそくさと帰るが吉日

「はぁぁ……帰りてぇ……」


 酒場でそう愚痴るのは哀愁漂う背中を見せながら、酒をあおっている1人の中年男性だ。勇者たちの引率役になってからというもの、通常勤務をしなくてよくなり『ラッキー! 楽できる』と勇者たちの行動を監視するでもなく、方向性を修正するでもなく自由に泳がせていた。


 そしてその間は自分もぐーたら生活を続けていたのだが、今までのぐーたらのしわ寄せが来たのか、いきなり『帝都に行く』と言われてしまい反対はしたものの、『もうどうにでもなれ』という半ば投げやりな態度でついては来たが、やはり魔王のお膝元というのが落ち着かないのか、日々酒場へ来ては酒を飲んでいる始末である。


「お客さん、飲み過ぎですよ」


 中年男性が連日店にやってきては酒を飲んでいるためか、既にマスターとも世間話をするほどの間柄となってしまい、酒を飲むペースが上がるとマスターが声をかけてペースを落とさせるというのが、ここ最近でのやり取りであった。


「マスター、聞いてくれよー俺はねー会いたくないのに会ってしまいそうなやつがいるんだよーもうねー家に帰りたいんだよー」


「それならば今日はお開きにして家に帰り、ベッドの上で休まれてはいかかですか?」


「そうだけどさーヒック……あぁぁ……何だっけ……何の話だ?」


「お客さんが家に帰ってベッドで休まれる話ですよ」


「そうそう! その家がとおーいんだよ。ここからじゃーバビューンて行かないと辿りつけないのー! バビューンだぜ、バビューン……」


「千鳥足ではバビューンをできそうにありませんね」


「そうなんだよー俺をバビューンて運んでくれるやつはいねーのかーヒック……バビューン、こーい! 俺をバビューンしろー!」


 このように中年男性が酔っ払っても他の客に絡んで問題を起こすでもなく、ただひたすらマスター相手に愚痴や意味不明な話をするため、マスターも邪険にすることはなく、合間合間で話し相手となって中年男性のよくわからない悩みを聞いている。


 そのような時に、新たに店に来たお客が酔っ払っている中年男性の隣の席へと腰掛ける。


「じゃあ俺がバビューンしてやろうか?」


「なんだぁ? バビューンは凄いんだぞーできるのかぁ?」


「楽勝だな」


「よーし、俺をバビュー…………ン……し……ろ…………」


 唐突にバビューン話に混ざってきた客に対して中年男性が顔を向けると、今までの酔いが醒める勢いで思考回路がフル回転し始める。


「どこへバビューンしたい? リクエスト通りにバビューンしてやるぞ? ちなみにオススメは空へのバビューンだ。上空から地上へ向けて真っ逆さまに落ちるバビューンは、中々にスリル満点で迫力があるぞ」


 奇しくも中年男性が会いたくないと願っていた者が、いきなり隣の席にいたことで中年男性は混乱の坩堝に陥ってしまう。


「あ……あ、あ……あんちゃん……??」


「どうした、タイラー? そんなお化けでも見たような顔して」


「何でここに……」


「帝都は俺の縄張りだぞ? そこら辺にいてもおかしくないだろ?」


「いや……今まで会わなかったし……」


「ああ、それはな。無敵たちが俺の弟子とバッティングしたみたいで、恐れ多くもこの帝都に無謀この上なく滞在している馬鹿な団長は、いったいどこのどいつだと思って捜してみたわけさ」


「あの馬鹿……」


「そして見つけてみたらなんだ? その団長はバビューンがしたいってクダを巻いてるじゃないか。そうとなれば俺のすることは1つ。歓迎会もかねてその団長をバビューンするしかないだろ?」


「い……いや、バビューンはアレだ……た、ただの言葉だ。歩くスピードが上がればいいなって……な?」


「そうか、タイラーは歩く状態を維持したままのバビューンがしたいわけだな? 中々に難しい注文だが、多分できないことはないだろ。そうなると水平移動になるから、帝都の外の誰もいない草原にでもいくか? ああ、今は雪原だったな。そうなると、タイラーをバビューンしながらの雪かきってのもアリか……」


 ケビンの言葉を聞いたタイラーは、自分が雪原の雪かき作業をするではなく、自分の体をシャベル代わりに使われて雪かきされている様子がすぐに思い浮かんだがために、慌ててバビューンの意味を変更し始める。


「いや、違った! バビューンは歩くスピードじゃねぇ。そ、そう、寝るスピードだ! ベッドの上でバビューンって寝落ちすることだ」


「寝落ちするスピードか……それならベッドに括りつけて上空から落とせばいいか? あまりのショックに一瞬で気絶できそうじゃないか?」


「それも違った! バビューンはそうっ! あんちゃんが俺の前から消えるスピードだ!」


 やっと理想的な回答を導き出せたと思ったタイラーは、内心ドヤ顔でケビンが消えるのを待ったが、タイラーよりも人をおちょくるのに頭が回るケビンに対して、それは悪手となる。


「タイラーの前から消えればいいんだな? それじゃあ、一瞬でその両目を潰してやるよ。視力を失えば真っ暗になって俺が消えたことになるだろ? さぁ、準備はいいか? 酒をたらふく飲んでるから痛みは感じないはずだ。なに、すぐに済む……痛いのは一瞬だ、一瞬……」


「ま、待てぇぇぇぇ! 痛みを感じないのに痛いのは一瞬っておかしいだろ! ってゆーか、俺が悪かった! バビューンは忘れてくれ! もう、降参だ!」


 何をどうしてもケビンからバビューン実行方法を聞かされてしまうタイラーは、とうとう白旗を上げて完全降伏する。


「なんだ? もうネタ切れか? 俺としてはもう少し遊びたかったんだがな。まぁいいか。マスター、このボトルを入れてくれ」


 そう言うケビンがカウンターに置いたのは、何を隠そう自作の酒である。


「な、何だ……その酒は……」


「これか? これは新作の【団長殺し】だ」


「……は?」


「いやな、暗殺者たちがやって来た時に【暗殺者殺し】にハマっていたから、団長用で新たに作ったんだ。帝都に来たら歓迎しようと思ってな」


「いやいやいや、作ったって……あんちゃんがあのシリーズを作ってたのか!?」


「当たり前だろ。酒屋ガーデンは俺の店だぞ」


「なっ!?」


「じゃあ、飲み直しといくか」


「いや、俺はもうだいぶ飲んでるから遠慮する。酔っ払いだし、そろそろ帰ろうかと思っていたところなんだ」


 そう言うタイラーは何とかこの場から立ち去ろうと画策するも、相手はあのケビンである。タイラーの考えるあの手この手など通用するはずもない。


「心配するな、タイラーの酔いは醒ましておいた」


「え……?」


「考えてもみろ? バビューンってクダを巻いていたへべれけの酔っ払いが、呂律の回る会話を成立させることができるわけないだろ? 思考だってまともに働いていただろ?」


「……」


「じゃあマスター、2人分のグラスを頼む」


「かしこまりました」


 酔っ払いタイラーが素面になっているのでマスターとしても止める理由はなく、ケビンの言われるがままグラスを2人分用意してカウンターに置いた。そのグラスにケビンが【団長殺し】を注ぎ込むと、タイラーとの再会を乾杯するのである。


「久しぶりの再会を祝して、乾杯!」


「……完敗……」


 ケビンの音頭に返したタイラーの返答の『乾杯』は『完敗』となっており、もう何をどうしても逃げられないことを悟ったのか、言葉となって心の内が漏れだしたようだ。今となってはマスターから『帰ってベッドの上で寝た方がいい』と言われていた時、そうしなかった自分の行動に対して後悔先に立たずとなっている。


「で、勇者たちはいつ攻めてくるんだ?」


「知らねぇよ。俺はその辺に関与してないからな」


 ケビンからの質問に対して返答するタイラーは、放任主義で自由にやらせていることをケビンに伝えて、勇者がどう動くかはわからないと説明する。それを聞いたケビンは、ふと疑問に思ったことを問い返すのだった。


「バングルの術式は使ってないのか? ある程度の意識誘導ができるだろ?」


「そんなことまでバレてるのか……」


「ポーチに追跡魔法が刻まれているのも知ってるぞ」


「はぁぁ……」


「俺がバングルの効果を打ち消したのは11人で、無敵たちのはいじってないから使えるはずだぞ?」


 ケビンがバングルの効果を消したと言ったのに対し、タイラーは低く見積もっても既に11人の勇者たちと接触していることを知ってしまうが、その問題は後回しにすると、タイラーが無敵たちに対してバングルの効果を使わなかった理由を語り始める。


「総団長が洗脳されてるって知ってからな、もうわけがわからなくなっちまった。もしかしたら自分も知らない内に洗脳されてるんじゃないかって。それを確かめるために今回の行動で無敵たちを自由に泳がせている。もし洗脳を受けていたのなら、そんな教団のためにならない行動は俺自身が控えるはずだ」


「それで? 結果はどうだった?」


「俺は洗脳されてねぇ。無敵たちの行動に口を挟んだのは、この帝都に行くって報告をしに来た時だけだ。ここにはあんちゃんがいるのを知っているからな。あんな若い連中を無駄死にさせたくはねぇ。まぁ、あんちゃんは遊ぶつもりだから殺されるってことはねぇだろうけど、民に手を出したらそうはいかねぇだろ?」


「そりゃそうだ。民がいてこその国だ。その民を蔑ろにするわけないし、害を及ぼしたものは排除する」


「だよなーだから帝都には来たくなかったんだ。うっかりここの民に対して喧嘩でも仕掛けたりしたら、あんちゃんが飛び出してくるだろ?」


「ん? 喧嘩くらいで俺は動かないぞ。現に無敵とここの民と言うよりも、教団が見捨てた弟子の九鬼だな。2人が喧嘩をしたけど別に何とも思わないし、たかが喧嘩だろ?」


「マジか……九鬼は帝都にいたのか……しかも弟子って……相当強くなってるのか?」


「無敵に勝ったって言ってたな」


「ありえねぇ……無敵は勇者たちの中でも上位にいる強さだぞ。それに対して九鬼が勝ったって……あんちゃんはどんな訓練を施してるんだよ」


「1人でひたすらダンジョン攻略だ。初心者用から始まり、今は挑戦者用を攻略中だ」


「1人っ!? あんちゃんは九鬼をダンジョンに1人で潜らせているのか!?」


「ああ、強くなるには効率がいいだろ? 押し寄せる魔物に対して1人で対処しないといけないからな」


「無茶苦茶だな……」


「しかも今は無敵たちと勝負しているみたいだぞ。飯をかけてどちらが先に最下層に到達できるかで」


「ガキの遊びかよ……」


「実際ガキなんだから仕方がないだろ」


 それからもケビンとタイラーの情報交換は進んでいき、そろそろお開きにするかといったところで、ケビンはタイラーにある提案をする。


「タイラー、セレスティア皇国が嫌になったのならうちに来い。騎士として雇うぞ?」


「俺が嫌なのはセレスティア皇国じゃなくて、洗脳なんてしている黒い教団だけだ。あの国はあの国で結構愛着があるんだよ。生まれ育った国だしな」


「んー……じゃあ、教皇と枢機卿たちを殺すか」


「待て待て待て、セレスティア皇国を滅ぼすつもりか!? 前にも言っただろ。あの国を回しているのは教団なんだ」


「まぁ、今すぐってわけじゃない。じわじわと準備を進めている段階だしな」


「……準備……? そういえばあんちゃんは、リンドリー伯爵領に用事で行ったことがあったよな? ナンパ……だったか? それは成功したのか?」


「ああ、人生初のナンパが成功して、美人さんを嫁にできたぞ」


「あんちゃんの女癖はさておき……とある時期からリンドリー伯爵家が、色々と嗅ぎまわってるって話が浮上したんだが……今思うと、それはあんちゃんが遊びに来た時の後なんだよな。嫌な予感しかしないんだが……」


「ああ、その情報なら俺も手に入れてるぞ。なんでもリンドリー伯爵家の夫人たちが【当主に悩まされている女性たちを救おうの会】を発足して、その情報を手に入れようと動いているんだろ。別に国家転覆を狙って、リンドリー伯爵家が暗躍しているってことはないと思うぞ?」


「【当主に悩まされている女性たちを救おうの会】? 何だそれは?」


 それからケビンはタイラーにレメインたちのやっている活動について、さも『私は知りません。情報を手に入れただけです』と言わんばかりに説明していくと、タイラーは頭を抱えてしまうのだった。


「それは国家転覆じゃなくても、貴族家転覆は狙ってるだろ確実に」


「いや、それはないだろう。現にリンドリー伯爵家は転覆してないんだろ? 貴族家転覆を狙っているなら当主は殺されて、傀儡当主にすげ替えられているはずだぞ」


 ケビンはぬけぬけと当主に暗示をかけていることを隠したまま、女性たちを救おうとしている女性たちの集まりだということを主張する。


「女性なんだから1つや2つくらい悩みがあるだろ。それを女性たちで話したり聞いたりして、お互いに救われましょうってだけじゃないのか? お茶会とかをしているだけだと思うぞ?」


「はぁぁ……お茶会ねぇ……確かに貴族夫人たちが集まってお茶会をするのは、当たり前の恒例だが……」


「タイラーは深く考えすぎなんだ。禿げるぞ?」


「禿げねぇよ!」


「まぁ、ぼちぼちこの帝都を楽しんでくれ。俺がタイラーを殺すことはないから、しっかりと羽を伸ばして満喫してくれよ? それで教団の金を帝都にじゃんじゃん落としていってくれ」


「ここにいるってバレた以上、コソコソしても意味はないな。俺は俺で楽しませてもらう。もとより教団の金で俺の金じゃねぇからな、好きなだけ飲み食いさせてもらうぞ」


 ケビンに見つかってしまったことで最終的には開き直ったのか、タイラーは教団の金を使って贅沢三昧することを心に決めるのであった。

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