第360話 逆鱗

 地面を踏み抜きケビンとの間合いを詰める紅の長は、根性の乗った拳をケビンへ向けて振り抜いたのだった。


(俺様、ちょーカッコイイぜ!)


 ちなみにこれは、紅の長が思い描いてたカッコイイ姿の自分をクララへ見せるシナリオである。


「ぷげっ!」


 そして今……その本人は想像していたカッコイイ自分とはかけ離れ過ぎている、轢かれたカエルのような形で地面にへばりついていた。


「そこのゴミ、今なんて言ったのかしら?」


 誰しもがいきなりの展開についていけない状態で静まり返った空間に響きわたる声によって、誰がこの状況を作り出したのか周りの者たちは理解するのである。


 ゆらりと立ち上がるソフィーリアの姿に、ケビンや子供たち以外の誰しもが息を呑んだ。


 威圧を放っているわけではないのに、その圧倒的存在感が周りの空気を呑み込んでいく。


 そのような緊迫した空気の中でも、嫁たちは逆鱗に触れないように注意しながらヒソヒソ話を開始していた。


(ヤバい……)

(ガクブル……)

(ソフィさんが怒るところ初めて見た……)

(ケビンっ、お茶飲んでる場合じゃないわよ)

(ケビン君お願いだから止めて)

(女神様の降臨です)

(ソフィ様の怒りを買ったのです)

(神聖なる神の裁きですね)

(あやつ……怒らせてはいけない相手を怒らせおって)

(これが本来のソフィ様ですか……)


 足音も立てずに歩きながら紅の長へ近づいたソフィーリアは、カエル状態で動くことのできない紅の長の頭を踏みつける。


「ぴぎゅっ」


 傍から見ているだけだとただ乗せているだけにしか見えないのに、紅の長の頭は地面へとめり込んでいく。


「ねぇ、私が聞いているのよ? 答えないつもりなのかしら?」


 紅の長は答えようにも現在進行形で地面とキスをしており、口を開けようにも受けたことのない未知の力で体が言うことを聞かないのであった。


「いったい誰の何を消滅させるの?」


「んふー!」


「まさか私の愛する健のことじゃないわよね? そんなことをしてタダで済むとは思ってないわよね?」


「んー!」


「無視するの? 私が聞いているのに? ゴミは所詮ゴミね」


 ソフィーリアが問いかけている間も紅の長の頭はどんどん地面へ沈みこんでいき、紅の長は唸るだけで精一杯である。


「貴方の魂は輪廻に戻さず消滅させるわ。嬉しいでしょう? 私自らの手で塵にしてあげるのよ。光栄に思いなさい」


 今にも紅の長が消されてしまいそうな雰囲気の中で、あとがないと感じたクララがケビンへ助けを求めるのであった。


『主殿、ソフィ殿を止めてくれ。あのままだと殺してしまう』


『んー……俺はソフィの怒ってる姿が見れて得した感があるから、まだ眺めていたいんだけどな』


『頼むっ!』


『わかった。愛するクララの頼みだし、ソフィを止めよう』


『愛しているぞ、主殿!』


 クララとのやり取りが終わったケビンがソファから立ち上がると、ソフィーリアの前へ転移するのだった。


「ぁ……」


 転移したケビンはすかさずソフィーリアの頬に手を添えると、そのまま口づけをしてソフィーリアの怒りを鎮めていく。


 紅の長の上で熱烈なキスを繰り返している2人がやがて唇を離すと、ソフィーリアは頬を染めながらケビンへ口を尖らせて伝えるのだった。


「もうっ、健ったら強引ね」


「嫌だったか?」


「健にされて嫌なことは私への愛が消えることだけよ」


「それなら心配ないな。俺の愛は未来永劫続いていくから」


「愛してる」


「俺も愛してる」


「今日はいっぱい抱いてね」


「ああ、寝かせないからな?」


「ふふっ、今から楽しみだわ」


「じゃあ、トカゲ未満のこのカエルは放っておいてソファでゆっくり観戦しててくれ」


「うん、でもいっぱい殴ってね。許せないのは事実だから」


「わかった」


 ソフィーリアは行きとは全く違って幸せいっぱいの笑顔を浮かべながら、ソファへ戻って座り直すのであった。


「……おかえり……ソフィママ……」


「ただいま、パメラ。怖い思いをさせちゃったわね」


「……こわくない……ソフィママ好き……」


「ありがと、私もパメラのことは大好きよ」


 先程とは違って和やかな雰囲気が流れ出すと、周りの者たちはようやく肩の力が抜けてホッとするのである。


 対してケビンはとりあえず紅の長が起き上がるまで待っていようと、空中に置いたままのソファへ移動したらくつろぎだした。


 しばらく何とも言えない雰囲気がドラゴンたちの間で流れている中でようやく紅の長が立ちあがると、先程の恐怖からソフィーリアを視界に入れないようにしながらケビンに対して睨みをきかせる。


「ようやく起きたか、紅ガエル君。だいぶ待ちくたびれてしまったが、戦う意思は残ってるか? 脚がガクガクして震えているようだが」


「死にさらせやぁぁぁぁっ!」


 ――バキンッ


 だがそこは空気を読まない男、ケビン。紅の長がブチ切れて殴りかかろうともケビンはソファに座ったまま、優雅さの欠片もないがお茶を口にしながら結界だけで対応していた。


「このっ、このっ!」


 無駄に結界を殴り続けている紅の長は傍から見れば哀れでならない。だがここは数匹のドラゴンと多数のケビン擁護者しかいないため、ケビンの現状に対してブーイングを出すどころか、子供たちに至ってはケビンの強さを見て応援を頑張っていた。


「てめぇ、戦いやがれ! 卑怯だぞ!」


「卑怯……? 懐かしいな、義姉さんと戦った時もそう言われたな。よって、俺の返す言葉はこれだ。俺の力を俺が使って何が卑怯なんだ?」


「男同士の真剣勝負ガチンコは拳で語り合うもんだろーが!」


「それはお前の価値観だな。俺の価値観はこうだ。何でわざわざ相手の価値観に合わせる必要がある? 戦い方は人それぞれだろ?」


「てめぇ……蒼みてぇなことぬかしてんじゃねぇぞ!」


「蒼……? そいつのことは知らないが美味い酒が呑めそうだ」


「よし、蒼を紹介してやる。だから俺様と殴り合え。そして負けろ」


「だが断る」


「くそっ! これでもくらいやがれ!」


 紅の長は一旦距離を取るとケビンへ向かってブレスを解き放った。長のブレスだけあって威力は絶大で、瞬く間にケビンは炎に包み込まれるのだった。


 やがてブレスが収まると、視線の先には先程と変わりなくお茶を口にするケビンの姿を捉えるのである。


「てめぇ……」


「『男同士の真剣勝負ガチンコは拳で語り合う』とか言っておきながらブレスかよ……お前、半端もんだな。紅の長が聞いて呆れるぞ」


「主殿よ、そやつをさっさと倒さないとピクニックが続けられぬ。クエストも終わらぬしの」


「それもそうだな」


 クララからの指摘でようやく重い腰をあげたケビンは、ソファやティーセットを【無限収納】の中へ回収すると紅の長へ対峙した。


「さて、行くぞ? お前の望んだ男同士の真剣勝負ガチンコだ。拳だけで語ってやる」


 ケビンは瞬時に間合いを詰めると紅の長の顔面を殴り飛ばす。放たれた拳は回転を加えて頬にめり込み、そのまま地面へ向けて振り抜かれると紅の長はきりもみ状態で地上へ向けて飛んでいく。


 ――ドゴォォン……


「……え?」


 地面に横たわる紅の長は何が起きたのか理解ができなかった。さっきまで自分がいた所にはケビンが立っており、そしてその自分は今地面にめり込んでいるのだ。


 紅の長が視線の先にいるケビンの姿を見失えば、次に起こったのは腹部への衝撃である。


「ぐぼぉっ!」


 気がつけばケビンの拳が自分の腹部に当たっており、衝撃で地面に亀裂が入ってはそれを物語るような音が耳に伝わる。


 痛みや混乱で正常な判断ができない紅の長は、ケビンにマウントを取られてしまったことも気づかないまま、猛烈なラッシュを顔面に浴びることとなった。


「ぶべべべべべっ――」


「いけー!」

「グーパン!」

「パパパンチ!」


 この状況においても子供たちは平常運転でケビンを応援しており、唖然としているのは空で浮かんでいるドラゴンたちだった。


「グルァ? グルァァ……」

「『ヤバくね? あれ本当に人間か……』」


 散々好き放題殴られてしまった紅の長の顔は、ハンサムだった頃の様子を見るかげもなくパンパンに腫れ上がってしまい、たらこ唇になってしまっていた。


「べめぇ……ばんてことびやばる……」


「何言ってるかわかんねぇよ」


「ぶべらっ」


 終わりとばかりに最後に1発殴るとケビンは立ち上がり、クララへどうするか尋ねることにした。


 するとクララは紅の長へ近づくと鉱山地帯から撤退するように伝えるのだが、中々言うことを聞かずクララからの鉄拳制裁が炸裂する。


「けばぶっ」


「生かしてもらえておるだけでもありがたく思わんか。私が頼んだからそなたは殺されずに済んでおるのだぞ」


「けっ、助けてくれなんて頼んだおぶべっ!」


「優しく言っておるうちに撤退せぬか」


 上空のドラゴンたちは明らかに優しくない対応に疑問を感じていたが、クララが怖くてとても口にはできなかった。


「誰がてったぶふぅっ!」


「火山の噴火も止めるのだ」


「ことわぶべっ!」


「まぁ、それはそなたがせずとも私ができるからどうでも良いのだが」


「じゃあ何できいだばっ!」


「単なる憂さ晴らしだ」


「くそババぶぅっ!」


「おい、俺の女にくそババア呼ばわりはするな。てめぇはただの紅ガエルだろうが」


 ケビンの乱入があったものの、その後もクララは喋っている途中の紅の長をわざと殴っては最後まで喋らせないという、ある意味ケビンよりも酷い仕打ちをするのである。


 クララに殴られ続けて1時間弱。ようやく紅の長の心が折れた。


「がえりまず……」


「最初から素直にそうしておれば良かったのだ。無駄な時間を消費させおって」


 クララからの教育が終わると紅の長は仲間を引き連れて遠くに離れて行くと、ケビンたちの方へ振り向いて罵声を浴びせるのだった。


「ばーか、覚えてろよ、ゴミ虫! ぜってぇこの借りはいつか返すからな! ババア、てめえもぶっべべべべべ――」


 紅の長の言葉にすぐさま反応したケビンが転移で眼前に移動すると、グーパンラッシュを叩き込んだら風魔法を纏わせたトドメのサイクロンパンチで紅の長を空の彼方へきりもみ状態で吹き飛ばした。


「――へぶんっ! ちっきしょおおぉぉぉぉ……」


「クルァァァァ……」

「『総長ぉぉぉぉ……』」


「俺の女をババア呼ばわりするなと言ったはずだ、紅ガエル」


 それを見ていたドラゴンたちはケビンへペコペコすると、飛ばされた紅の長を追いかけるべく空の彼方へ飛んでいく。


 それからケビンは火山活動を止めるためクララと鉱山地帯へ赴いて処置を施したら、家族たちと一緒にピクニックを再開して何事もなかったかのように残り時間を楽しみ始めるのだった。


 やがて夕刻が差し迫る頃、ケビンはピクニックの終了を宣言して帝城へ帰ると、せっかくだからとアルフレッドたちをそのまま夕食に招待して憩いの広場でお食事会を開いた。


 こうしてエレフセリア家のピクニックは満足のいく結果で終わることとなり、平穏な日常にちょっとしたスパイスを足すことになった。


 そしてその日の夜はケビンとソフィーリアでベッドを共にして、ボテ腹での行為を2人して楽しむのであった。

 

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