第156話 帰還

 カロトバウン男爵領に入ってからというもの、家に着くまでが物凄く早かった。サラが、長く家を空けていたことも起因して、行軍スピードが上がったのだ。


「やっと久しぶりの我が家だわ」


「何か帰ってきたって感じがするね」


 サラとケビンは、思い思いの言葉を口にした。


「それでは奥様、私は馬を厩舎に連れていきます」


「わかったわ。ニコル、ライラ、貴女たちも元の業務に戻りなさい」


「畏まりました」


「わかりました」


 マイケルとニコル、ライラがそれぞれの業務に取り掛かったら、サラはティナとニーナに向き直る。


「カロトバウン家へようこそ。歓迎するわ」


「こ、こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 ティナとニーナが、慌てて言葉を返しお辞儀をした。


「そんなに硬くならなくていいよ」


「だ、だってこんなに凄い御屋敷見たら、ケビン君ってやっぱり貴族だったんだなって思って、気後れしちゃうもの」


「三男だから大したことないよ。家を継ぐわけでもないし」


「それでも凄い。お貴族様の家に初めて来た」


 そんな話をしていると、サラが割って入る。


「いつまでもここにいても仕方ないから、早く中へ入りますよ」


 サラが玄関に向かって行ったので、残りの3人もあとに続く。サラが玄関の扉を開けると、いつの間にやらマイケルを筆頭に、使用人たちが全員整列していた。


 今日この時ばかりは、王都にある別宅の使用人たちも駆けつけていた。予めマイケルが、伝書鳥にてカレンに知らせていたからだ。


「奥様、長旅お疲れ様です。ケビン様、使用人一同、心よりお帰りをお喜び申し上げます」


 マイケルが発した言葉に続き、使用人たちが頭を下げ、ケビンの帰還を出迎えた。


「長らく家を空けて心配かけたね。記憶は一部しか戻ってないけど、みんなのことは思い出してるから安心していいよ。さぁ、頭を上げて。いつまでもそのままだと顔が見れないよ」


 ケビンの言葉に、使用人たちはそれぞれ顔を上げる。


「ただいま、みんな」


 続いて言ったケビンの言葉で、使用人たちは瞳から涙をこぼし始めた。ティナとニーナはその場面を見て、どれだけケビンが使用人たちに慕われているのかを知ることとなった。


 使用人たちは思い思いに抱き合って泣いていたり、ハンカチで目元を拭っていたりと様々である。


 いくら仕えている家の子息であっても、この光景は異常にも見えた。まるで使用人との隔たりをなくした、家族のようであったからだ。


 ティナとニーナは、貴族の事情には疎いのだが、ここまで愛されているのなら、何故記憶を失ってしまったのかが、疑問に思えて仕方がない。


 そんな中、ティナが空気を読まず、その疑問をつい口に出してしまった。


「ここまで愛されているのに、どうしてケビン君は、記憶を失ったんですか?」


 その瞬間、先程までの感動の空間は壊され、辺りは凍りついたかのように静寂に包まれた。


 使用人たちは顔が険しくなり、不躾にも看過できない内容の発言をしたティナへと視線を向ける。


 サラは、もう事件に関しては、気にしていないようなので平然としていたが、使用人たちはそうもいかなかった者がおり、無意識のうちにティナに対して威圧を放ってしまった。


「ひっ!」


 多くの使用人たちから、突き刺さるような視線と威圧を受け、ティナはガクガクと震え、生きた心地がしなかった。


「ダメだよ、みんな。ティナさんが怖がってしまったでしょ」


「し、しかし、ケビン様――」


「みんなだって、ティナさんが原因じゃないことくらいわかってるでしょ? 無関係の人を虐めたらダメだよ。ほら、威圧解いて。そんな怖い顔してたら、折角の整った顔も台無しだよ? マイケルさんやカレンさんを見習って澄まし顔をしてないと」


 ケビンの言った通り、サラ以外ではマイケルとカレンのみが平然としており、他の使用人たちは、ティナの言葉に少なからず反応してしまったのだ。


「ケビン様の仰る通りです。この程度で心を乱してはなりません。ましてや相手は事件に無関係の方です。それどころか、記憶をなくしたケビン様に、ずっと付き添われて守っていた方々ですよ。感謝こそすれ怒りを向けるのはお門違いです。謝罪致しなさい」


 マイケルの言葉に、使用人たちは頭を下げて謝罪した。既に威圧は解かれているが、ティナはまだ震えていたので、ケビンは申し訳なさでいっぱいだった。


「ごめんね、ティナさん。みんなも悪気があって、やったわけじゃないからね。ちょっと感情がコントロール出来なかっただけだから。許してあげてね」


 ケビンはそう言うと、少し浮かんでティナを抱きしめて、頭を撫でてあげた。


「……ッ……ご……ごめんね、ケビン君……無神経に踏み込んじゃったから……」


 ケビンに抱かれたからか、ティナは安心してしまい、我慢していた涙をこぼし始めた。


「大丈夫だよ」


 そんな時に、それまで黙っていたニーナが口を開いた。


「今のはティナが悪い。感動の再会をぶち壊した」


「ちょ、ニーナさん! 落ち着いてきてるのに蒸し返すの!?」


「ティナばかりがいい思いしてズルい」


 ニーナは、自業自得なティナがケビンに抱きつかれて、頭を撫でてもらっている行為に嫉妬していた。


「今、そういう場面じゃないよね!?」


「ふふふっ。ケビンはこれから大変ね。みんな平等にしてあげなくちゃダメよ?」


「ちょ、母さんまで!?」


 図らずともニーナのした発言により、場は一気に和むのであった。先程まで、険しかった使用人たちの顔も綻び、ケビンの様子を見て微笑んでいる。


 それから使用人たちは各々の業務に戻り、ケビンたちは、リビングにてくつろぐことにした。


「ケビン君、お姉ちゃんにも、なでなでするべきだと思うの」


「あらあら、ケビンったら、いつの間にお姉ちゃんが増えたの? お母さん初耳よ?」


「いや、ケンの時に、言ってただけだからね?」


「もう違うの? お姉ちゃん悲しい……」


「ケビン、お姉ちゃんを悲しませてはダメよ? ちゃんと大事にしなきゃ。ちなみにティナさんもお姉ちゃんなの?」


「ティナはお姉さん役。ティナ姉さんって呼ばれてました。私はニーナお姉ちゃんです」


 サラの質問に、どんどん答えていくニーナに、ケビンは、天井を仰ぎ嘆息するのであった。


 その日は程なくして夕食を摂った後は、思い思いの時間を過ごした。夕食には、約束通りサラの手料理が振る舞われ、想像以上の美味しさに、ケビンは舌鼓を打った。


 俺は、何故今まで作ってくれなかったのか、母さんに聞いてみると、面倒くさかったからだそうだ。


 料理を作る使用人がいるのに、わざわざ自分が作る必要はないと思い、父さんにせがまれた時だけ、作っていたそうだ。面倒くさがりの母さんらしい。


 父さんは仕事が忙しく、食事の際はあまり姿を見ることはない。大体は執務室で済ませて、そのまま仕事に取り掛かるのだ。


 そのせいもあって、俺は母さんの手料理にありつけなかったわけだ。父さんだけ、あんな美味しい料理を食べていたとは、恨み言のひとつでも言ってやりたいもんだ。


 その後、ケビンは決意とともに、父親の執務室へと向かい帰宅の報告と、母親の手料理を独り占めしていたことを地味に責めた。


 父親は「旦那の特権だ! 羨ましかったら早く嫁さん貰って結婚しろ!」と言い返してきて、子供みたいな言い合いをケビンとしばらく続けたのだった。


 サラからの報告で、嫁候補が多数いることは既に聞いており、父親としても貴族のしがらみに囚われない、自由なケビンの結婚が楽しみだったりするのだった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ティナとニーナには客室をあてがわれていたが、貴族の屋敷にいるということで落ち着かないらしく、ケビンの自室に入り浸っていた。


「ねぇ、ケビン君。一緒に寝ていい?」


「いやいや、ダメでしょ、それは」


「だってあの部屋落ち着かないのよ。そもそも貴族の御屋敷に泊まったことがないんだから、部屋を用意してもらっても落ち着くわけないのよ」


「そこは堪えましょうよ」


「だってぇ……」


「お姉ちゃんも一緒に寝たい」


「ニーナさんまで、何を言い出すんですか」


「わかったわ。ちょっと待ってて」


 そう言ってティナは部屋を出て行き、どこかへと行った。そんな姿を見たケビンは、とても嫌な予感がしてならず不安が込み上げてくるのだった。


「ティナ、どこに行ったんだろう?」


「嫌な予感しかしない」


 しばらくすると、満面の笑みを浮かべたティナが部屋に戻ってきた。


「ケビン君、一緒に寝てもいいってよ」


「……は?」


「試しにサラ様に聞いてみたのよ。そしたら、笑いながら許可してくれたわ。当主様もその場にいて、“ケビンのことをよろしく頼む”って言われちゃった」


(夫婦揃って、何言ってんだよ!)


「ティナ、グッジョブ! でも、当主様に1人で挨拶を済ませたのは許せない。私も呼ぶべき」


「たまたまサラ様と一緒にいたんだから、仕方ないじゃない。それよりも、これで心置きなく一緒に寝られるわね」


「はぁぁ……」


(やりたいことがあったんだけどなぁ……2人がいると作業できないしなぁ。時間を見つけてするしかないか)


 ケビンは、両親公認の添い寝となったことで早々に諦めて一緒に寝ることにしたが、ケビンのベッドは3人用ではないのでいつも以上に引っ付いて寝ることになり、ベッドを新しく作り出そうかとこれからの予定に思いを馳せながら眠りにつくのだった。

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