第百三話 見てはいけない

 さながら地響きのような轟音と、猛烈な強風が三人の脇を通り抜けた。身を地に伏せてネスは耐え、カクノシンは刃を地に突き立てて持ち堪えた。


「く……そ……がっ!」


 ローリャは最大限の神力ミース飛行盤フービスへ注ぎ込む。攻撃の主、ティファラへ向かって飛び出すと、低い位置で構えた月欠つきかけを下から薙ぐように振り上げた。



──ジャリィィィンッ!



 阻むのは無数の赤い数珠。ティファラの刀──阿修羅の周りで旋回していたそれは、ローリャの攻撃を紙一重の所で防ぎ、弾く。


「嫌だわ、物騒ね」


 ティファラの言葉と共に、ローリャの体が黒い帯状のものによって拘束される。これは彼女の魔法ではなく──


「くっ……魔術師!」


──背後に佇む魔術師──無名のボスによる攻撃だった。


「この場で一番強い貴方に、好き勝手されては困るのでね」


「くそがッ!」


 地に横たわり動けなくなったローリャを見て、飛び出し斬りかかったのはレスカだった。振り上げた月欠をボスの首めがけて振り下ろす、が──



──キュイイイイィィィィンッ!



 突如出現した黒い光の壁に阻まれる。舌を打ち身を翻したところへ、カクノシンの神力ミースがレスカの脇を通り抜けた。



──ガガガガガガッ! パキィンッ!



「へえ、流石」


 ボスを守護する光の壁に亀裂が入った。追い討ちをかけるように飛び出したネスの蹴りが、亀裂部分に炸裂する。


「オラァッ! もう一回ッ!」


 咆哮したレスカの拳が、完全に光の壁を打ち砕いた。刹那、カクノシンの神力ミースによって地割れを起こし隆起した地面の欠片が、ティファラとボスを襲う──が、しかし。



──ドスッ……。



「う……」



「やはりライル族は、きちんと全滅させておくべきだったな」

 

 全ての攻撃を飲み込んだのは闇。波のようにボスの手から溢れ出した、禍禍しい黒い。攻撃を飲み込み吸収した後、鋭利な槍状に変形し──太く巨大なそれは──






「レスカァァァァァァァァッッ!!」





──まだ宙に浮いたままのレスカの腹に、風穴を開けた。



 血を吐き、地に叩きつけられる小さな体躯。ネスが彼女に駆け寄った時、ようやく離れた場所で震え上がっていたウェズの瞳に色が差した。


「貴様あああああッ!」


 立ち上がり、がなり立てたウェズの足元の地面が、びきびきとひび割れ始める。地は隆起し、断ち切られ、宙に持ち上がった──目覚めたばかりの、ブラス神力ミースだ。


「くっそおおおおおおぉぉぉぉっ!」


 涙は頬を伝い、号哭する。ウェズの神力ミースはボスとティファラに達する前に、ティファラの放った神力ミースによって粉砕された。打ち砕かれた地の破片は、ヴェース神力ミースに乗って、高速でウェズへと襲いかかる。


「ウェズ! 伏せて!」


 ティファラの神力ミースを止めたのは、アンナの放ったルース神力ミースだった。真っ赤な炎は全ての攻撃を飲み込んだ──が、アンナはここで地にへたり込んでしまう。



──黒い炎の多用による、副作用のようなものだった。



 ウェズに駆け寄ろうとするアンナの体は、もうほとんど限界に近かった。足は震え手にも力が入らない。それでも彼女は──。


「あたしの大事な仲間を! これ以上……傷付けるなッ!!」


「殺し屋の台詞とは思えないわね」


 ティファラの放つ風の鎌鼬が、アンナとファヌエルを襲う。刹那、アンナが放った火の渦と衝突し、爆風が皆を包んだ。



──キイイイイィンッ!



 視界が開け、ティファラに肉薄していたのはカクノシンだった。鍔迫合いになり、キリキリと音を立てる双方の刃。必死な形相のティファラの首筋に、カクノシンの刃が迫っていた。


「戦姫! 頼む! ファヌエルを守ってくれ!」


 カクノシンの叫びにアンナはハッと顔を上げる。ボスの放った漆黒の針状の雨が、容赦なく降りつける。


(ベルが──命を賭して力を譲渡した、この男を)


「あたしが……守ら……ないと……ッ!」


「ファヌエル! 転移魔法だ! 早く!」


 カクノシンの呼びかけに、ファヌエルは目を閉じ詠唱を始める。直後、カクノシンはボスの拘束魔術の手に落ちてしまう。その間アンナは彼の前で片膝立ちになり、右腕から黒い炎を呼び起こす。全身を襲う激しい痛みに耐えながらも、彼女はボスの攻撃を防ぎきった。


「あら、逃げられちゃった。追うの?」


 攻撃の手を止めることなく、ティファラがボスを振り返りながら呟く。


「今は追っても無駄だろう。恐らくはブエノレスパの聖域内に逃げ込んでいるだろうからね。俺達は俺達最大の目的を果たす。奴を殺すのはその後でも問題ないさ」


「最大の……目的」


 腕の中のレスカを横たわらせ、ネスは立ち上がった。虫の息の少女の腹からは、止まることなく血が溢れ続けている。

 ボスの足元に転がるローリャとカクノシンは、魔術の拘束を解こうと必死になっている。しかし二人が力を加える度に拘束魔術は力を増し、より一層拘束力が強くなるだけであった。


 地に伏せたまま動けなくなっているウェズ、それに力を使い果たし、今にも崩れ落ちそうになっているアンナ。



(俺が……俺が! ここで止めなきゃ、踏ん張らなきゃ……一体なにが残るってんだ!)



「うおおおおおぉぉッ!」



 叫び、駆け出そうと足に力を入れた瞬間だった。


「な…………!」


 ローリャを拘束している、ボスの魔術。黒い幅広の帯が、ネスの足を絡め取っていた。かくん、と前のめりに転倒し地に倒れると、その黒い帯はネスの首から下を全身を完全に覆い尽くした。


「ネスッ!」


 膝を震わせながら立ち上がるアンナの姿が視界に入る。ネスから二十メートル近く離れた場所にいるアンナの背後で、が蠢き出していた。


「あれは……なんだ」


 動くことが出来ぬネスの脇を、ボスとティファラが通り抜ける。刹那、フードを被ったボスの歪んだ口許が、ネスの視界にちらりと入った。


「……誰だ」


 フードの隙間から覗く口元に向けて問いかけるも、返ってくるのは沈黙。

 ネスの視線はボスとティファラからアンナへと移る。ようやっと立ち上がったアンナの息はかなり荒いが、膝は真っ直ぐに伸びていた。黒椿を構え、血走った瞳で二人を睨み付ける。


「ふふふ、無様なものね」

「余計なお世話よ」


 ティファラは目元を弛めていやらしく笑う。口に手を添えてアンナを睨むと、どういうわけか彼女は後退し、アンナから距離を取った。


「あなたと話すことなど、もう何もないわ。これから全てが手に入るのだから、あとはボスさんにお任せするわ」


 意味不明なティファラの言動に、アンナは顔をしかめる。


「意味がわからないのね? 大丈夫、すぐにわかるわ」


 ティファラが言い終えると、被ったフードに手をかけながらボスがアンナとの距離を詰めた。アンナの息を呑む音が、ネスの耳にまで届いた。



「ようやくあなたと対話出来る、アンナ様」



 魔術を解いた彼の、本物の声──聞き覚えのあるその声にアンナは耳を塞ぎたくなるも、黒椿を握る手は震え、立っていられなくなってしまった。




「うそよ」





「いいえ、嘘ではありません」


「だって……」


「言いたいことはわかります、しかしこれが真実なのです」


「どうして……なんで……」








 フードを取ったボスの顔を、穴が開くほどアンナは見つめる。少し伸ばしたブロンドカラーの髪、エメラルドグリーンの瞳、それに溜め息が出るほど美しいその顔立ち。


「……フォード」

「はい、姫。お久しゅうございます」


 十八年前、長兄レンの企てにより起こった、ファイアランス王国の内乱。その時にアンナを庇って死んだこの臣下こそが──フォード・レヴァランス。

 彼は確かに死んだはずだった。レンの刃からアンナを庇って楯となり、彼女の腕の中で命を散らしたはずだった。


「どう……して」

「どれが、ですか?」

「どうして、こんなことをしたの……?」

「復讐ですよ。そうか、あなた様には話しておりませんでしたね。俺はペダーシャルス王国出身なのですよ」

「……!」


 ペダーシャルス王国──アンナの夫となったエリックの母国であり、彼の父が治めていた国だった。二十年前、アンナの父エドヴァルド二世の命により、アンナとシナブル、それにフォードの三人で滅ぼした、あの国。


「ファイアランス軍にいたころから、国のやり方に疑問を抱いておりました。そしてあの戦争が起こった。自分の手で己の母国を滅ぼさなければならなかった、俺の気持ちがわかりますか?」

「…………」

「恨み。恨みしかありません」

「でもずっと、あなたは……あたしの傍で、」

「演技ですよ」

「えん、ぎ……」


 両手を地について、アンナは項垂れた。視界がぼやけ、頬に違和を感じた──涙だった。

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