第九十六話 秘密(1)
ああ──このまま一人で死に行くのかと、クロウは己の体を濡らす血溜りに溺れながら目を閉じた。
自分は普通の人間だ。
全ては死んだ──戦争の犠牲になった姉に会う為だった。
『ここにいれば、死んだ姉に会うことが出来る』
ボスにそう言われて、人を──殺して殺して殺して殺して──殺しの才能が開花した頃、与えられたのがエウロパとダフニスだった。
ダフニスのことはさておき──外見が死んだ姉と瓜二つなエウロパ。寡黙だった性格は一度死んだことにより必要以上に朗らかに、姉とそっくりになった。
(エウロパ……どこにいるんだ)
転移魔法でバラバラに飛ばされた。聞いていた話と違う──そう思いながらもクロウは対峙した敵 第二十一騎士団長 ファヌエル・フランネルフラワーと戦った。
が。
力の差は歴然だった。長年騎士団長の座についている、凄腕のエルフだ。少し人を殺し過ぎているくらいの、ごく普通の人間であるクロウに敵うはずのない敵だった。
(傷一つもつけられないなんて……こうなることが分かっていたから、きっとボスも俺に
「おい、まだ息はあるな」
血溜りに踏み込むファヌエルの黒茶色のブーツ。クロウはうつ伏せの体を無理矢理起こそうと腕に力を込めるが、叶わなかった。
「……なんだよ」
「上司に、出来るだけお前たちを殺さぬよう言われている」
「ここまで斬っておいて……殺さねぇのかよ……」
生き地獄だとクロウは内心、一人ごちる。傷口が痛くてたまらないのだ。
「そんなに死にたいのならば、事情聴取の後にでも俺が殺してやる」
「ありがてえな……でも」
「でも、なんだ」
暗くて冷たい岩肌の上。隣に立つ美しい顔のエルフの眉間には、深い皺が刻まれている。
「いや……いい」
──エウロパ。
彼女に一目会ってから死にたいなど、言える筈もなかった。
*
血の帯が宙を舞う。花びらのようにパッと咲いては散り、地に吸い込まれていく赤。
「全然楽しくないんだけど!」
頭上で大振りの薙刀──
「こんな強い子がいるなんて聞いてないわよっ!」
声を張り上げた中性的な声の主。レスカの放つ
「ちょっとダフニス! なんとかならないのこの子! 強すぎい!」
「無理よエウロパ! きゃあッ!」
雷撃の雨がダフニスの右肩を貫いた。黒焦げになったその腕はもはや使い物になりそうもない。
「やだ~! ちょっとぉ!」
──ガキィンッッ!!
刹那、ダフニスと距離を詰めたレスカの月欠がダフニスの頭上に振り下ろされる。ダフニスは左手一本で握った刀でそれを防ぐも──
「うっ……くぅっ! ちょっとアナタ、美男子には優しくしなさいって親に教わらなかったの!?」
「へえ、お兄さん美男子なんだ。オカマなのかと思ってたッ!」
押し負け、徐々に後退していくダフニスの両足。ずるりと右足が滑り、足元の岩肌に膝をつく。
「それに親は両方とも死んでる!」
「あらあら、それはごめんなさいねッ」
「別に、構わない!」
茶番が終わり、ここぞと言わんばかりにレスカは腕に力を込めた。
「ダフニス! 何やってんの!」
抜刀したエウロパがレスカの背後を捉える。しかしその刹那──
「ッ!」
──ズバンッ!
レスカの月欠が、黒焦げになったダフニスの右腕を斬り落とした。そのまま刃側を地に叩きつけ、反動で持ち上がった石突をエウロパに向けて勢いよく突き出す。
「くっ──!」
首を狙ったその攻撃を、身を逸らすことでエウロパは回避した──のも束の間、ぐるん、と体を捻った体勢から繰り出されるレスカの上段蹴り、そして追従するように目の前に迫る月欠の切っ先。
「ハッ!」
──ザシュッ!
「ぐ…………ぁ…………」
レスカの刃はエウロパの頚部を貫いていた。横に寝かせた月欠の刃が、ぬるりとした赤色を帯びた。
「あ、いけない。殺しちゃ駄目なんだった」
言いながらもレスカは、ぐちゃりと音をたてて地に落下したエウロパの頭部に、刃を突き立てた。
「ひっ……!」
一気に面積を広める血の池を見て、ダフニスは小さく悲鳴を上げた。エウロパの美しい
「首を落として心臓を貫いたら死ぬんだよね、あなたたち?」
血のついたままの月欠に勢いをつけ、それをダフニスに振り下ろすレスカ。ダフニスの刃はレスカの刃をぎりぎりの所で捉えるも、重すぎるその攻撃に腕が痺れてしまう。
「っ……そうね」
カラン、と音をたてダフニスの刀が地に落下した。
(何よこの子……! 可愛い顔して化け物じゃない!)
膝をついたダフニスの戦意は完全に喪失していた。頭を垂れて左手を上げ、戦う意志のないことをレスカに示した。
「ええー、終わりなの? つまんないな」
唇を尖らせ不満げなレスカは、頭上でくるくるとバトンのように月欠を回すと、
「えい」
「あ…………うぅっ!」
月欠を振り下ろし、ダフニスの左腕も斬り落とした。
「弱すぎる、つまんないよあなたたち」
「……悪かったわね、弱くて」
「アタシが強いだけなんだけどね。で、どうする? 戦意はないみたいだけど、とりあえず縛って置き去りにしててもいいのかしら?」
幼さの残る少女の鋭い瞳がぎらり、と鈍く光る。それを見てダフニスは息を呑んだ。
「……逃げやしないわよ。心配なら縛ったらいいじゃない」
「そう? じゃあ遠慮なく」
「じゃあアタシ、次行くから大人しくしててよね」
月欠を肩に担ぎ、レスカはダフニスとエウロパに背を向け一人、歩き出した。
*
早足で十分近く歩いただろうか。途中誰にも遭遇することなく、レスカは開けた空間に辿り着いた。
──バリバリバリバリッ!
────ザシュ!
(──誰か戦ってる)
味方の邪魔をしてはならない。自分が急に現れたことで集中していたものを途切れさせてしまうかもしれない──そう考えてレスカは気配を殺しつつ距離を縮め、縦に突き出した岩肌の陰に隠れた。
──バリバリッ! バリッ!
(
全騎士団長トップと言われる実力を持つローリャ・ライル・ローズ。彼女の戦闘を間近で見れるという好機に胸が高鳴り、レスカは月欠を握る手に力を込め、岩肌からそろりと顔を覗かせた。
「え……?」
敵はアンナの兄、レンブランティウス・F(ファイアランス)・グランヴィであった。
「くそが!」
悪態を吐くレンとの距離を詰め、拳を撃ち込む姿はローリャではなく──男であった。
「な……んで……」
見知った顔だ、見間違えるはずがない。手から滑り落ちた月欠が、ガランと音をたてて地に転がった。
刀と薙刀──鍔迫合いになっていた男二人は、その音に顔を上げる。
「…………レスカ!」
「うそ……うそよ……」
動揺をするのは彼が普通の人間だと信じていたから。初めて出会ったあの時も、共に戦ったあの時も、いつだって彼は──ミリュベル海賊団船長 エディン・スーラは、その刀と拳で全てを切り抜け、仲間たちを守ってきた。
普通の人間が、
(エディンが……エディンがライル族?)
思考を声に出すこともままならない。目を見開き、ぺたりと膝をついたレスカの姿にエディンは釘付けになった。
「馬鹿な奴等め」
刹那、放たれた声。
「しまっ…………!」
エディンが気付いた時には時すでに遅し。彼の胸──正確に言えば心臓の辺りを、レンの握る刀が貫いていた。
「この状況で、気を抜く方が悪い」
噴き出す鮮血、そして崩れるように倒れるエディンの体。
「いや…………いゃあああああああぁぁぁぁああッッ!」
甲高い少女の叫びに勝者の男は顔をしかめながらも、刀を握り直し不敵に嗤った。
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