第九十五話 神に選ばれし者(3)

 意識ははっきりとしていた。


 ただ、体が自分のものではないような体験したことのない感覚だった。


(操られているのとは違う……何て表現したらいいんだろう)


 とにかく、思うがまま──いや、それ以上に体が動くのだ。








「ネス!」



 後方でローリャがネスの名を呼ぶ。


「聞こえてるなら返事をしろ!」


 言葉を発することが出来ない。まるでその機能を止めてまで、神力ミース量を高めているかのように──瞬きすら出来ないのだ。

 ネスは振り返り、ローリャに向かって一つ頷く。ただそれだけで──身に纏っていた膨大な神力ミースの帯が波打ち、彼女を傷付けた。


「……っ!」


 裂かれた肩を抑え込み、ローリャは膝を震わせた。この感覚を人は──恐怖と呼ぶ。


「なんて膨大な神力ミース……恐ろしく膨大な力……!」


 ネスの体から放たれるライトブルーのブース神力ミース。彼の周囲半径五メートルはその神力ミースが渦を巻いているせいで、近寄ることが出来ない。よく見ると所々氷結しているようで、あるものは帯状に──あるものは鎖状に形を成し、まるでネスを守るように、ゆらゆらと宙に浮いている。


 二人の吐く息は白い。ネスの神力ミースが周囲の気温を低下させているのだ。


「……なっ!」


 裂けたローリャの肩が氷結し始めていた。止血され、痛みも消えてゆく。


「なんだこれは……」


 一人呆気にとられるも、返事をするものは、誰もいない。















「行く」


『そうこなくっちゃ~』




 足首の隣で、飛行盤フービスが轟音を立てながら旋回をする。姿勢を低くすると、ネスの体は高速で前進した。


 前方から直進してきたアグリー──ネスの倍は身長のある、毛むくじゃらで二足歩行をする目玉を五つ持つ種──が、獲物の喉を掻き切ろうと鋭い爪を振り上げる──!


────が。


「────はっ!」


 標的の手前でネスは跳躍する。空中で前転をしながらぐるん、と身を捻ると、アグリーを飛び越しざまに首を跳ねた。



──ゴアアアアアァァァッ!



 切り離された首が声を上げている間にも同種のアグリーが十数体、横に列を成してネスを狙う。


「邪魔だ」


 着地し、一度浅葱あさぎを軽く横に薙ぎ血を払うと下方に構え、標的達の十メートル程手前でネスは────



────ザッ!


 

 右手だけで横に大きく薙いだ。


 

 薙いだだけだ。刃はアグリーに届いてはいない。


 それなのに。



──ゴアアアアアァァァッアアアアッ! ゴ…………



 放たれた斬撃が飛んだ。真正面からそれを身に受けたアグリー達は、腹の部分で切断される。紫色の血を撒き散らし倒れると、肉塊の山が出来上がった。

 それだけではなかった。ネスの斬撃はその後ろから攻めて来ていた第二陣、第三陣も同じように切り裂いたのだ。



『あはは~すごいねぇ!』



 ネスの頭の中で中性的な声の主が無邪気に叫ぶ。しかし今のネスにはその声の主は一体誰なのか、考える気などない。


「うるさいな、静かにしてくれよ」

『ごめんよ~』


 悪びれないその声にネスは柄にもなく──苛立ちを覚えた。


『のんびりしてるとお友達死んじゃうよ』

「うるさいな。わかってる」


 言うや否や全身から神力ミースを放つ。



──ザザザザザザザザザザザザザザザザッ!



 辺り一体を埋め尽くすほど放たれた大量の氷の棘たちは、あろうことかその場にいた全てのアグリーを貫き全滅させたのだ。






 離れた場所でそれを見ていたローリャは、ただ──見ていることしかできなかった。


「剣技はともかくとして……あの神力ミース量はなんだ……? 見たことないぞ、あんなもの」


 直後、腕を組んだローリャは自分の腕に鳥肌が立っていることに気が付いた。苛立ちのせいなのか、隠すようにそれを叩いた。





 ネスの放った氷の神力ミースは、全てのアグリーを的確に貫き、その全ての息の根を止めていた。


──全てということは、敵であるセノンの乗っていたアグリーも然りである。


「ああ……」


 重力に逆らうことなく、落下するセノンの体。恋敵であるウェズは羨ましいことに、彼ら二人が愛した少女を喰らったアグリーに、頭から飲み込まれていた。


(俺は一体何をしているんだ)


 この世界に飛ばされてすぐ、セノンは主たるボスに拾われた。右も左も分からぬ言葉も通じぬ世界でただ一人──孤独だった。

 元いた世界で愛する少女を失い、喪失感しかなかった心に色を差してくれたのは、他でもないボスその人だった。


『転移してきて、地の神力ミースが使えるようになったんだな』


 そう言って戦いを教えてくれたボスは言うまでもなくセノンの命の恩人だ。


(ボスの為なら俺は──死ねるのに、なんで……!)


 運命はそう簡単には彼を死なせてくれないようだ。まだ上手く扱うことの出来ないブラス神力ミース。無意識のうちに発動し、頭から地べたに叩き付けられそうになっていたセノンの体を、盛り上がった砂土が受け止める。


「あーあ……負けちゃったなあ……」


 天を仰いだセノンの視線の先には、無機質な岩肌がただ広がるばかり────。




「っ! なんだ?」


 ザシュ、と肉を絶つ音に顔を上げる。飛行盤フービスで駆けつけたネスが、ウェズを飲み込んだアグリーを両断した音だった。





「ウェズ!」


 ネスが叫びながら駆け寄ると、アグリーの体の中からぼとり、とウェズの体が転がり落ちた。紫色の体液にまみれ、小さく唸り声を上げている。


「よかった……生きてる」


「よく……ねえ、よ……」


 上半身を抱えてくれていたネスの腕を振りほどき、ウェズは立ち上がる。ふらふらと覚束無い足取りで辿り着いたのは、もう息の無いアグリーの──あの少女の顔の前。




「ミサヲ」




 地に膝をつき、その頬に触れた。少女の顔の隣には、顔に傷のある壮年の男の顔──同年代の男子の顔──可愛らしい幼女の顔──。


「ごめんな……ごめんな……」


 両手で包み込むように頬を撫でてやる。瞬きをしてもいないのに、涙がぽとり、ぽとりと少女の顔に落ちる。


「俺にもっと力があれば、お前を……っ…………」


 言葉にならぬ絶叫が辺りに響いた。ウェズと同じような足取りで近寄ってきたセノンも、ウェズの隣で泣き崩れる。



 ウェズが右手で地に触れると、不思議なことに洞窟の天上部の岩が音を立てながら崩れ始めた。丸くくり貫かれた岩は、両断されたアグリーの体を少しずつ埋め尽くしていく。



──時を越えた者に神が与える──神に選ばれし者のみに許された力。ブラス神力ミースだ。

 少女との接触により、ウェズはその力に目覚めたのであった。



 最後の最後に少女の顔を埋めると、ウェズは片膝をつき、胸に手を当て目を瞑った。セノンは両掌を合わせながら頭を下げる。


 天から差す光が、簡素な墓を照らす。


 その二つの背中に、ネスは声を掛けることが出来なかった。

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