第七十六話 暴君との対面
謎のスーツ男が叫びながら駆け寄って来る、少し前のこと────
アンナとエリックは、フィアスシュムート城の裏手の城壁を飛び越えて、ひっそりと入国をしていた。
こつこつと石畳を踏みながら、指を絡め無言で歩く二人。控えめに花の植えられた裏庭を抜け少し進むと、そこに現れたのは低めに土が盛られ、丁寧に芝の植えられた丘だった。
「……」
眉間に皺を寄せ、唇を真一文字に結ぶアンナ。そんな彼女の肩に、エリックはそっと手を添えた。
芝の植えられた丘の上には、重厚な石盤が鎮座していた。高さは人の腰辺りまでと低いのだが、横幅は広く、五メート近くある。その丘の裾──向かって左側には、少し小ぶりだが同じような石盤がもう一つ設置されている。
黒々としたその石盤には、左上から順に人名が彫られており、それは命を散らしたこの国の王族達の名前だった。
「アンナ様、エリック様」
「──サン」
二人が振り返ると、そこには真っ白なカサブランカの花束を二つ抱えた女性が立っていた。
年の頃は五十代前半だろうか、
サン・グランヴィ。シナブルとルヴィスの母親だ。
濃紺のスーツに身を包んだ彼女は、二人に歩み寄ると抱えた花束をすっ、と差し出した。
「いつもすまないわね」
「とんでもないです」
強い風が吹き、三人の髪とカサブランカの花弁を揺らした。風が止み、アンナは歩き出す。エリックもそれに続く。
「──来たよ」
そう言ってアンナは大きい方の石盤の前で足を止める。花束を供え、片膝を地に付き胸に手を当て目を瞑る。エリックもそれに倣った。
──祈り。
戦場で散っていった祖先達。それに
(もうすぐだ。もうすぐ、やっと仇を取りにいける──だからみんな、待っていて。今度はもう迷わない。絶対に、絶対にあいつを殺してみせるから)
もう一つの花束を抱え、それを左後ろの石盤の前に供え──同じ様に祈る。
「──よし」
言ってすくっと立ち上がったアンナの背に、エリックは声を掛ける。
「もういいのかい?」
「ええ、話は十分したもの」
「結婚の報告も?」
「それは……まだ……式の前日にしようかなって」
「そうかい。それならまた、一緒に来よう」
ふわりと微笑み見つめ合う二人。その光景にサンも連れて微笑んだ。
「アンナ様、エリック様。これから国王様のところへ?」
「ええ、そのつもり」
「お久しぶりの再会ですものね、どうぞごゆっくり。ドレスの試着は夜でも構いませんので」
「あんまり会いたくないんだけどね……ドレスの件はありがとう、また後で顔を出すわ」
頭を下げるサンをその場に残し、二人は城へと踏み込む。目指すは王の間だ。
*
「嫌だなあ……」
王の間に続く長い回廊の真ん中を、アンナとエリックは歩いていた。
血塗れの自分が叩きつけられた天井。エリックが磔にされた壁。死にかけのシナブルが這いつくばっていた床。母が泣き叫んでいた扉の前。
弟──フェルメリアスが死んだ場所。
そしてフォードが死んだ場所。
「大丈夫?」
エリックが覗き込んだアンナの顔は真っ青だった。
(無理もないよな……)
十八年前、全てはこの場所で起こったのだ──否、レンブランティウス・F(ファイアランス)・グランヴィが起こしたのだ。
「大丈夫、大丈夫。こんな顔してたら、父上に殺されるわ」
「そんな冗談を言えるってことは、多少は平気になったみたいだね」
「多少、ね」
あれからというもの、アンナはこの場所に必要以上に寄り付かない──思い出したくないことを想起させてしまうからだ。
そんな彼女がこの場所に足を向けたのは、実に五年ぶりのことだった。
「嫌なことはさっさと済ませましょ」
赤絨毯の敷かれた数段の階段を上り、木製の観音開きの扉をコンコンとノックする。
「──アンナリリアンです」
「────! お入り下さい」
応対したのは久しぶりに聞く叔父──コラーユの声だった。
エリックと顔を見合せ深呼吸をすると、アンナはドアノブを握り、扉の奥へ一歩足を足を踏み出した。
「──失礼致します」
深呼吸をし
「久しい顔だな──エリックもいるのか」
「はい。失礼致します」
そんなアンナの背にエリックも続く。緊張のあまり握り締められたアンナの両拳が、エリックの視界に入り込む。
顔を上げた二人の視線の先にいるのは、背の高い豪奢な玉座に腰掛けた父──現国王エドヴァルド・F(ファイアランス)・グランヴィ。そしてその脇の少し小ぶりな玉座に腰掛けるのは母──現王妃ネヴィアス。更にエドヴァルドの右斜め前に立っているのは叔父のコラーユ。
「お前はこの五年間、一体何をしていた」
アンナとエリックが玉座に近寄り立ち止まる前に、エドヴァルドはそう言い放ち二人を睨み付けた。
(五年ぶりに娘に会って言うことがそれか)
エドヴァルドの言葉に、エリックは心の中で悪態をついた。
「兄上を追っておりました」
玉座の数メートル手前で立ち止まり、廊下のそれよりも更に濃い色の絨毯に片膝をついてアンナは言う。五年ぶりに邂逅する父は齢五十を過ぎても尚衰えることもなく、相変わらず恐ろしい人だった。
「追っていただと?」娘と同じ血色の、その長い髪をかき上げながらエドヴァルドは言う。「馬鹿め。何度殺し損ねたか知らんが、やはりお前は最後の最後で甘いな。もっと非情にならんか」
アンナによく似た鋭い目元。それに薄い唇から紡がれる暴言に近い言葉──これがアンナの父だった。
「申し訳ありません。確かに
「お前の言い訳はもう聞き飽きたんだ! いいからさっさとレンの首を持って来い!」
びりびりと、聞いた者の肌を震わせるエドヴァルドの声。アンナは昔からこれが苦手だった。つい臆してしまうが、今回ばかりはそうもいかないのだ。
「父上、そのことで少しお話があるのです」
「なんだと?」
「少し話をしても構いませんか?」
返事をする代わりにエドヴァルドは鼻を鳴らし、アンナに向かって顎をしゃくった。
「ありがとうございます」
アンナが父に話したのは、兄──レンが世界の終焉を目論む組織「無名」に属しているということ。先日の戦闘の中で
「ふざけるなッ!」
アンナの話が終わるやいなや、エドヴァルドは右手に持っていた銀の盃を彼女に向かって投げつけた。宙を舞った盃はアンナの左肩に命中し、真っ赤な液体が彼女の体と床を濡らした。
顔色一つ変えることなく、アンナは黙って父を見つめている。
「あなた」
咳払いをし、エドヴァルドを諌めたのは彼の後ろに控えるネヴィアスだった。金色の美髪とアイボリーカラーのドレスの裾を揺らしながら立ち上がると、彼女は盃を拾い上げそれをエドヴァルドの座る玉座の肘掛けに乱暴に置いた。
「そういう品のないことは止めて下さる?」
座ったままのエドヴァルドの横に立つネヴィアスは、夫を非難するように睨み付ける。
「あなた」
「わかったよ、うるせぇな」
ネヴィアスの視線を回避したエドヴァルドは、舌を打ってアンナを睨む。
「
「ありがとうございます──ところで父上」
「まだ何かあるのか」
鬱陶しそうに返事をすると、エドヴァルドはあからさまに大きな溜め息をついた。
「はい……その……ご報告が」
心なしか頬を染めたアンナの表情に疑問を抱きながら、エドヴァルドは娘の言葉の続きを待った。
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