第五十一話 錯綜するそれぞれの心
エディンの通信機にアンナから連絡が入ったのは、リヴェとリュードが目覚めた日の夜のことだった。
「そっちは地震、大丈夫だった?」
通信機に越しに聞く彼女の声。心なしかいつものような鋭さはなく、ネスには、萎れて枯れかけた花のように弱々しく聞こえた。
「こっちはブエノレスパを出航する前だったからな、影響はなかった」
そっちは大丈夫だったのかとエディンが聞くと、アンナは小さく鼻で笑うと、
「最悪だったわよ」
と言った。
「泣き面に蜂ってやつね──全く……」
と言ってアンナは黙った。
ネスとエディンの二人しかいない船長室は、真夜中ということも手伝って更に静まり返った。
「アンナ……その……」
「何?」
聞くべきではないと思っていた。しかしこの沈黙にネスは耐えられなかった。
「レンとの決着は……着いたのか」
ネスが言った刹那、エディンが息を呑む音が耳に届いた。「よくそれを聞いたな」という表情を浮かべた彼は、口を開いたまま動けずにいる。
「──相討ちよ。泣き面に蜂って言ったでしょ」
「怪我は大丈夫なのか?」
渇いた声でエディンが言った。
「まあ、多分ね」
曖昧な答でその場から逃げたアンナは、待ち合わせの場所について告げると、早々に通信を切ってしまった。
「エリックのこと、言いそびれたな」
「……言わなくて正解だったんじゃない?」
「そうか? ……そうかもな」
エリックがアンナを追ったと断定できるならそれで良い。しかしもし彼がティファラを追ったのだとしたら──
「とりあえずもう休め、ネス。明日も忙しいぞ」
流石に疲れているのか、目元を押さえながらエディンは言った。
当初の目的地であったファイアランス王国まで、あと二日で到着するという距離にいたミリュベル海賊団一行は、リヴェとリュードを送り届けるため、航路を北西へと引き返しフロラ大陸東部のライランデ半島へと着岸していた。ネスは明日の朝から買い出しとリヴェ達の「
「リヴェ達を無事に親に返したら、ナゼリアまで休みなしだからな」
眠る支度に入ったのか、エディンは両目のコンタクトレンズを外していた。ライル族の証し「
「それじゃあおやすみ、エディン」
ネスはあまりその姿を凝視しないようにしながら、静かに部屋を出た。
時計の針が午前一時を指した。
流石に眠かった。年齢を重ねる毎に、睡魔が襲いかかる時間が早くなってきていた。おまけに日中に二隻の海賊船と戦闘になったのだ。寝たくないわけがない。
髪は明日の晩にでも染めればいいかと、エディンが寝室のドアノブに触れようとした時だった。
「誰だ」
部屋の外に人の気配がした。レスカだとまずいことになる。頭にバンダナを巻き直そうとした瞬間、ドア越しに声が響いた。
「俺だ。少しいいか、エディン」
声の主はウェズだった。
「大事な話があるんだ」
彼はそう言うと、ゆっくりとドアを開けた。
*
ずっと考えないようにしていた。
考えると独りでに涙がこぼれ落ちそうで怖かった。
だからずっと避けていた。
あの時、ノルの町でベルリナ・ベルフラワー団長の一言で安心しきっていた。
安心しきっていたなんて都合のいい言い訳だ。ただ避けていただけなのに。逃げていただけなのに。
誰も死んでいないといっても、母は無惨な姿になっていたし、村の皆は氷人形状態なのだ。
あれからどうなったのか、村の現状を知る術は今のネスにはなかった。
ただ一つ言えるのは、二ヶ月で村に帰ることは難しいかもしれないということだけだった。
(手紙でも出してみるか……情報屋に聞いたほうが早いかな)
固いベッドの上で寝返りを打ちながらネスは考える。
(いつまでも現実から目を背けているわけには……いかないしな)
そんなことを考えながら、ネスは隣で眠るレスカの髪を撫でた。
絶対に何もしないからと懇願するレスカを払いのけることができなかったネスは、こうして毎晩彼女を寝室に迎え入れていた。
勿論、何もやましいことなはい。
何故レスカがこんな行為に走るようになったのか、ネスには理解が出来なかった。女心は謎だらけだ。
しかしこうして眠るレスカの顔を毎晩見ていると、故郷のことなどどうでもよくなってくるように思えるのは何故だろう。
(面倒なことは何も考えたくない)
船での生活は大変だったが、想像以上に楽しかった。ミリュベル海賊団の人柄の良いこと。ネスの想像していたおぞましい海賊像からは程遠い彼らの陽気で朗らかな人柄は、故郷の悲劇や兄ルークとの対峙、アンナとの一時的な別れで荒んでいたネスの心に潤いと活気を与えた。
リヴェとリュードの存在も大きかった。二人はあっという間にネスに懐き、昼間は駆けずり回って遊び、夜には一緒に風呂に入り、まるで兄弟のように過ごしていた。
それを見守るレスカに抱く感情も、次第に変化していった。ただの品のない子供だとばかり思っていたが、十五歳を過ぎ次第に大人びてゆく彼女の精神と肉体に、ネスは戸惑いを隠せなかった。
こうして無防備な姿で隣で眠っている今も、彼女の丸みを帯びた腰回りや、膨らみを増した胸を凝視してしまっている。
(見るなって言われても仕方がないよな……)
何故ならレスカは全裸で熟睡しているのだから。
もう一度言うが、やましいことは何もない。
今のところ、何もない。何もないがしかし……。
何も考えずに彼女を押し倒せたら、どれだけ気持ちが良いだろう。レスカの両手首を掴み、馬乗りになった所でネスは考える。
(ひょっとしてレスカはこれが狙いなのか?)
彼女の目的は自分との子作りだ。こうして毎晩成長する己の肉体を見せつけて、事を成す作戦なのだろうか。
(このままいったらこいつの思うツボじゃないか……)
そう考えながらもネスは、掴んだレスカの手を離すことが出来なかった。
*
「単刀直入に言う。俺はこの船を下りようと思う」
眠たい目を擦り、深くソファに腰掛けていたエディンは、予想もしていなかったウェズの言葉に耳を疑った。
エディンがウェズと行動を共にして早十年。この海賊団を結成した当初はたった二人だったのに今は──
「すまないと思ってる。でも信じてほしい……あんたには感謝しかないってことを」
ウェズは真っ直ぐにエディンの目を見つめた。
「あんたに助けられていなければ、『あの時』俺は死んでいた」
「その俺に仇成すのか」
「……そうじゃねェよ」
いつもならば勢いよく立ち上がり、食って掛かってくる場面にも関わらず、今夜のウェズはひどく大人しい。うつ向いて顔を上げようとしないウェズに、エディンは「冗談だ」と優しく声をかけた。
「理由はなんだ」
エディンが、これほどまでに思い詰めているウェズを見るのは「二度目」だった。一度目はアグリーの生態調査任務から帰参したあの時。長かった髪は短く乱雑に切られ、頬は痩け真っ青になったウェズは、
──レイシャを失ったばかりの昔の自分も、きっとこんな姿だったんだろうと。
だから彼には分かっていた。
「……女か」
「……」
ウェズは何も答えなかった。深く追及するまいとエディンがソファから腰を浮かせたところで、「そうだ」と力なくウェズが言ったので、エディンは再びソファに腰を沈めた。
「話したくないのなら、話さなくていい」
自分だってレイシャのことをウェズには話していない。話すつもりも今のところはない。それなのに立場を利用して自分だけウェズから聞き出すのは、フェアではないとエディンは思った。
「いや……俺は副船長だ。船を下りる理由くらい、きっちり説明させてくれ」
頼む、とウェズは頭を下げた。その頭がいつまでも上がらないので、エディンは大きく溜め息をつくと「好きにしろ」と答えた。
ウェズは時間をかけてゆっくりとエディンに話し始めた。『あちらの世界』で出会った「彼女」のこと──別れ──そしてネスの兄ルークが歌った歌のこと──
「つまりルークの仲間……無名のメンバーに、お前の言う『あちらの世界』側の人間がいる可能性があるってことか?」
「……そうだ」
ウェズが話し終えて一時間が経過していた。眠気を通り越して、エディンの目は冴えきっていた。
「ネスといればまたあいつの兄貴が襲ってくるかもしれねぇ。その時にその仲間の話を聞き出す。それに賭けてぇんだ」
「ルークがネスを襲ってくる可能性はあるのか」
「アンナさんが
「そうだとしても、無名のメンバーがそう易々と口を割るか? それにお前の行った時代とそいつのいた時代が重なってるかもわからねえのに……」
「……っ! それでもっ!」
全てを吹き飛ばすような大きな声で叫ぶと、ウェズはエディンを睨んだ。
「……それでも俺は、あの世界がどうなったのか……あいつは本当に死んだのか……確かめる可能性がほんの少しでもあるのなら、それに賭けてぇんだ」
頼む、とウェズは深く頭を下げた。
エディンの答えは悩むまでもなく、すでに決まっていた。引き止められる理由などあるはずがなかった。
「しかし、ウェズ。そう簡単に船を下りるなんて言うなよ」頭を上げるよう促しながらエディンは言った。「決着が着いたらまたここに戻ってくればいい。副船長の席は空けておくからな」
「……恩に着るよ」
「長い付き合いなんだ。そのくらいいいさ──皆には上手く説明しておく」
「……世話かけるな」
「しかしなあ……ウェズ、一つ大きな問題がある」
天井を仰いで首を捻ったエディンは壁の大きな時計を見た。現在時間を確認してしまったせいか、睡魔が一気に襲ってきた。
「なんだ?」
少し間をおいてエディンは口を開く。
「アンナだよ」
「アンナさん?」
「ああ」
「…………そういうことか」
エディンが説明するまでもなく、ウェズは理解したようだった。
「ネスがまだあれほど未熟である以上、アンナはネスを放り出したりはしないだろう。あいつは面倒見がいいからな……となると」
「ネスと行動を共にするイコール、アンナさんも一緒にってことだろ」
「そうだ。あいつは面倒見がいいわりには他人と行動することをひどく嫌う。ブエノレスパに行く時みたく、理由があるならまだしも、自分に利がないとなると、本当にびっくりするくらい嫌がる」
「そんなになのか……」
「ああ……」
アンナは昔からそうだった。理由は──知らない。きっと自分が聞いても教えてはくれないのだろう。
「エディン?」
「……ああ、すまない、なんだ?」
「そろそろ寝ようぜ。流石に眠い」
時刻はすでに午前二時を過ぎていた。通りで眠たいはすだ。年齢と共に夜遅くまで起きていることが辛くなってきているのを、エディンは再び痛感した。
「ネスには明日にでも相談してみろ。アンナには合流した時点で俺から話をしてみる」
「わかった。そんじゃ、おやすみ」
大きなあくびを繰り返しながら立ち上がったウェズは、手をひらひらと振りながら出口へ向かい、扉の前で立ち止まった。そして、
「ありがとう、エディン」
と言うと、エディンが何か言うのも待たずに部屋から出ていった。
「気にするな」
一人きりになった部屋でエディンは力なく呟いた。
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