第四十六話 アンナリリアンとレンブランティウス

 三人が着陸したのは足場の悪い砂地だった。建物らしい建物は何もない。飛んできた方角と時間的に、ここはフロラ大陸のソート地方辺りだろうとアンナは推測した。 


(──さて、どう出る)


 振り返った兄。アンナはその体を見て確信する。自分と同じく、やはりレンの体の傷からもまだ出血がある。ブエノレスパへ向かう途中、レンと刃を交えた際に負わせた深い傷。


(あれだけ深く斬ったのに、よくここまで飛んでこれたわね──まあ、あたしも同じか)


 レンに貫かれたアンナの左肩。そこに巻いた包帯にも血が滲んでいた。


「アンナ、その後ろにいる女はなんだ? 友達でも連れてきたのか」


 レンはアンナの後ろのイザベラを顎でしゃくった。


「おれは第九騎士団長イザベラ・インパチエンスだ」

「ちげーよ、名前なんて聞いてねえよ」

 不機嫌そうに顔をしかめたたレンは、イザベラを睨みながら続ける。

「貴族風情が、王族の兄妹喧嘩を見物してんじゃねえ、引っ込んでろ」

 と言ったレンは掌から、数えきれない量の円盤状の炎を作りだしす。腕を鞭のようにしならせてそれをイザベラに向かってはなった。


「見物じゃねーよ……妹と弟がお前に怪我させられたんだよ! それに部下もな!」イザベラは腰の刀の柄に触れた。鯉口を切ると、そこから真っ赤な炎が滝のごとく溢れ出た。「この女にも積年の恨みがあるし、あんたらが殺し合って弱ったところを──」


──と、イザベラが言いかけたところで、レンの放った炎が寄り集まって一つの大きな塊になった。それを切り落とそうと刀を抜いたイザベラの前に、アンナが飛び出した。


「邪魔よイザベラ」


 勢いのよい動きとは裏腹に、アンナはひどくゆったりとした口調でイザベラを制した。そして右腕に纏った炎だけで、レンの攻撃をいなしたアンナは、髪を高い位置で束ねながら言った。

「最後はあんたの好きにすればいいわ。だから今は手……出さないで」

「──ふん」

 悪態をついて後退したイザベラを見送り、アンナはレンと向き合った。


 邪魔をする者はいないが、アンナのコンディションはあまり良いとはいえない。この肩の怪我──髪をくくるために少し動かしただけでも、かなり痛む。


「俺が括り直してやろうか?」


 アンナが右手で髪型を気にしていると、レンが言いながら近寄ってきた。


「いやよ」

「でも少し乱れてるぞ」

「そのようね」

「気になるんだろ?」

「……」

「ほら、こいって」

「……」


 手招きをするレンを、無言で睨み付けたアンナは、彼から視線を逸らさず正面を向いたまま早足で後退した。

「なんだよ」

 アンナはイザベラの正面で立ち止まると、振り向きもせず首をくいくいと、少し後ろに振った。

「──髪」

「あぁん?」

「髪、括り直して」

「はぁん?」

 呆れ顔になったイザベラは、少し嬉しそうに口を歪めると「全く、しょーがねーなあ」と言ってアンナの髪に触れた。手早く括り終えると「おら、出来たぞ」とアンナの背を叩いた。

「ありがと……って、誰が側頭部に編み込みいれろって言ったのよ!」


 アンナが右手で頭に触れるとそこには丁寧にアレンジが施されていた。


「いーじゃねーか、文句言うな」


 どうやらイザベラは手先が器用なようだった。得意気に腕を組んで満足そうにアンナの髪を眺める彼女は、自分の短い髪を手できながら数歩後退した。


「さっさと喧嘩してこいよ」

「わかってるわよ」


 背を向け合った彼女達の会話の終了は、向き合った兄妹の戦いの開始の合図になった。



 一気に距離を縮めたアンナとレンの刀が、激しく衝突する。衝突しては後退し、刃同士が火花を上げる。空回りする飛行盤フービスが纏う赤々とした炎の渦。左足に重心をかけたアンナが、レンに向かって右足の上段蹴りを繰り出すと、飛行盤の炎が彼のコートの襟を燃やした。


「──っ! 焼死するだろうが!」

「しないでしょ? 首を落とすつもりだったのに動かないでよ」


 反動で回転するアンナの体が正面を向く時には、レンは襟の火を手で握り潰していた。レンはまだ火の残るその手を爛々らんらんと燃やして、アンナの右腕を掴んだ。そして反対の拳を握ると、それをアンナの鳩尾目掛けて突き上げた。


「ぐぅっ────」


 一瞬宙に浮いたアンナの体の同じ部分に、今度は膝蹴りを打ち込む。掴んでいる腕をそのまま振り上げアンナの体を高く持ち上げると、弧を描くように地面に叩き付けた。


 大きく砂埃が舞い、一瞬二人の姿が見えなくなる。


 顔面から地面に突っ伏したアンナの肩を掴もうとレンが屈み込むと、くるりと身を起こしたアンナの刀がレンの右脇腹を貫いた。


「く……黒椿くろつばきか、よ……」

「当たり前でしょ、殺すつもりでやってるんだから」


 素早く刀を引き立ち上がったアンナは、レンの首に向かってそれを振り下ろす。


「お前は……本当に兄を……殺すのか」


 アンナが祖母から引き継いだ殺人刀「黒椿」から繰り出される攻撃の雨を受けながら、レンは反撃の隙を伺う。


(──しかし隙がないな。全く、良い女に育ったもんだ)


 大きく振りかぶったレンの一撃を、アンナは振り上げた刀で弾いた。


「殺すわよ。その為に生きてきた!」


 がら空きになったレンの腹に、アンナの蹴りが命中した。彼女のブーツのヒールは低かったが、刺されたばかりの傷口にめり込めば、それは──


「ぐうぅっ────!」


 かなり痛いだろう。その傷口からは、赤黒い血がどくどくと溢れ出る。体を前に折ったレンに、アンナは容赦なく神力ミースによる攻撃を浴びせる。


 炎の渦から飛び出し空中へ逃げたレンの頬に、アンナの拳が命中する。何度も何度も、その体が地面に叩きつけられるまで殴られ蹴り飛ばされたレンの歯は折れ、口の周りは赤く染まった。


「あたしが仇をとらないで、誰がとるって言うのよ!」


 そう言ったアンナは、仰向けのレンの割けた腹を踏みつけ、その喉元に刀の切っ先を当て、その足に更に力を込める。


「いっ────」


 レンが苦しげに声を漏らす度に、アンナは彼を踏みつける足に力を込める。


────と。


「なっ────!」


 喉元に当てられていた切っ先を左手で掴んだレンは、重心を思いきり左に傾けた。その反動でアンナの体の重心がつられて少しぶれた。


「こ……の……程度でっ……ぐっ!」


 起き上がったレンの大振りの一撃が、黒椿に衝突した──重い。アンナは押し負けそうになり腕に力を込めるも、左肩の傷──それに柔らかで不安定な砂の足場。


(踏ん張りがきかない……!)


 刹那、レンの腕に一層力が込められた。


「うっ……くぅっ…………っ!」


 アンナはとうとう押し負けた。両手で握った柄から力の入らなくなった左腕が滑り落ちた。次の瞬間──


「う────ああああああああああぁぁっ!」


 レンの刃はアンナの、左肩──幾重にも巻かれた包帯の下に隠されていた傷口を切り裂いた。


「へへっ……」


 繰り返しそこに刃を突き立てようとするレンの攻撃を、アンナは右手だけで握った黒椿で防ごうとするも、それを弾いたレンの刃は容赦なく彼女の傷口を──


「うっ……うぅぅ……ぐっ……くっ……ぅ」


──何度もえぐる。


「うぅ……あ……あああっ! はっ……はぁ……うっ……」


──何度も、何度も、抉る。


「痛いだろ」


 そう言いながらもレンは、攻撃の手を止めない。


「このっ……」


 アンナの右腕で黒い炎が揺らめきだした。それに気が付いたレンは、アンナと少し距離をとる。

「それを使われると厄介だな、確実に俺が死んでしまう」

 言い終えると同時に、レンはアンナの右腕の肘の上を目掛けて刃を振り下ろした。


緋鬼あかおにっ!」


 アンナの右腕が切り落とされたのを見て、イザベラは声を上げ、刀の柄に手を掛けた。


 それを見たアンナは叫ぶ。

「やめろイザベラ!」

「しかし!」

「殺されたいのか!」

 低く唸ったイザベラは、唇を噛み締めながら柄から手を離した。


「まだそんな声を出す元気があるとはな……流石は俺の妹だ」

 レンは少しずつ再生が始まったアンナの右腕を見た。

「だが、この状態じゃ、手も足も出せねえだろ」

 地に片膝をつき、血で染まったアンナの体を見下ろしたレンは、彼女に合わせて両膝を折った。


「足は……まだ出せるわよ、兄上っ!」


 その言葉と共にアンナは立ち上がった。レンもアンナの蹴りをかわそうと後ろに飛び退いた。


(このくらい躱せるさ──なっ!)


「なんだとぉぉぉぉっ!」


 左腕に違和を感じてレンが腕を見ると、あろうことか黒い炎によって具現化されたアンナの右腕が、彼の左腕を掴み──


「うわああああああああああっ!」


 消失し始めていた。


 黒い炎によって破壊されたものは、なんであれ再生不可能だということは、この呪いをかけたレン自身が一番よく知っていた──筈なのに。

 二の腕が消え去る直前、レンは自分の左腕を切り落とした。そこで黒い炎による侵食は止まったのも束の間、右半身に痛みが走る。

 アンナの黒椿が、レンの体を──以前と同じ傷口を切り裂いていた。血が放物線を描いて溢れ出し、レンは仰向けに倒れた。レンの背中が地に着く直前に、アンナはレンの太腿を深く斬り裂き、刀の鍔が埋まるぎりぎりまで深く腹を刺した。 


「用心深い奴め……」


 地に背を着いたレンの体に、アンナがまたがった。圧倒的な眼差しでレンを睨み付ける。


「実に良い眺めだ……」

「うるさいわよ」


 黒椿を脇に置く。アンナは後腰の目立たないところに差していた短刀を左手で抜き、レンの右掌を左足で踏みつけた。そしてそのまま、自分の足ごとレンの右掌を短刀で貫いた。レンの体は地面とアンナによって固定された。


「蹴りは……フェイク、かよ」

「足を……斬っておかなかった……兄上の……過失よ」

「それに……あの黒い炎……具現化するほど……飼い慣らすとは……大したもんだよ」

「もう長い……付き合いだもの」

 アンナは左手で黒椿を拾い上げ、それをレンの喉元に添えた。

「まだ動くのかよ……その腕」

「そろそろ限界かもね」

 アンナはレンの瞳を見つめたまま言った。

「兄上も……祖母上の刀で死ねて、本望でしょ」

「あのババアも、俺を斬れて……本望かもな」

「……兄上」

「なんだ」

「二つ、聞きたいことがあるわ」

「なんだよ」


 アンナは黒椿を握る手を震わせながら言った。


「……どうしてみんなを殺したの」

「みんなって?」

「────っ! ふざけるな!」


 アンナは肘の辺りまで再生した右腕でレンの頬を殴った。レンの頬にアンナの腕の肉片が飛び散った。


「みんなだ! 祖母上、フェルメリアス……ルノワリス、マンダリーヌ……うっ……うぅ……!」

「……だけか?」

「……うぅっ……うっ……」

「クラモアジーにフォードもだ」

「それだけじゃない、もっと! もっと沢山殺したくせに!」

「…………」

「どうして! どうしてなのよ……」

「…………」

「殺し屋あたしに……こんなこと言わせないでよ」

「……あの時、言っただろ」


 泣きじゃくるアンナの頬を流れる涙を拭ってやろうと、レンは腕を伸ばそうとしたが、生憎両方とも使い物にならないことを思い出し彼は、力なく笑った。


「お前の心を……誰にも渡したくなかった……俺だけの物にしたかった……」レンは途切れ途切れに言う。「可愛い俺の妹が……誰かの物になるのが気に入らなかった……家の奴等が……親父が……エリックとお前を……引き合わせたことは……もっと気に入らなかった……だから……全員殺して、お前を……独占しようと……しただけのことだ」

「本当にそれが真実なの」

「この期に及んで嘘は言わん」

「……そう」


 レンの上でアンナが咳き込んだ。レンの顔と黒椿に血が点々と模様を描いた。


「もう一つは?」

「もう一つは……」


 言いかけて、アンナは左手をレンの体から後ろに引いた。レンの首が黒椿から解放される。


「どういうつもりだ」


「──兄上」


 殆ど力の入らない左腕を高く掲げて、アンナはその切っ先をレンの瞳に突きつけた。


「もう……もう、あの頃には戻れないのよね」

「…………」

「幼い頃の……仲の良かった兄妹には戻れないのよね……」

「……俺は、自分のした……ことに後悔は、ない」

「そう、それなら──」アンナは黒椿を握り直し再び高く掲げると「それなら……さよならね、兄上」と小さな声で言った。


 日の光を受けて反射する刀身に、レンは目を細めた。そして自分に跨がる、苦悩に満ちた妹の顔に釘付けになった。


「地獄で皆に詫びを入れろ!」


 アンナは兄の首を目がけて黒椿を振り下ろした。



「────っ! な……んだ……と……」


 腕が水平になったところで、アンナの腕から黒椿が落下した。背中に痛みを感じたのも束の間、朦朧とする意識。彼女はレンの体に被さるように、うつ伏せに倒れた。


 倒れたアンナの背には、一本の細いナイフが刺さっていた。毒でも塗ってあるのか、ナイフからは透明の液体が滴り落ちている。


「なーにやってるんですか、レン様」

「……お前こそ何しやがる、レダ」


 瞳の大きな、なまめかしさの漂う女だった。長いスカイグリーンの髪の毛先をくるくると、指に巻き付けて遊んでいる。

「流石に死んじゃいますよ?」

「……いいんだよ」

「はぃ?」


 レダの後ろには飛行型のアグリーが一体、気持ち良さそうに地面に伏せていた。レダのすっとんきょうな声を聞いて、瞼をぴくりと動かした。


「俺はこいつに殺されたかったのに、余計なことしやがって」



「────ならば、今死ね!」



 レンの視界の隅に、抜刀したイザベラが飛び込んできた。アンナの背中からナイフを抜いたレダがすかさず飛び出し、イザベラの太腿にナイフを突き立てた。途端にイザベラの体が硬直し、彼女は顔を引きつらせて倒れた。


「殺すなよ」

「どうしてですか?」


 イザベラの頭を掴み宙に持ち上げたレダは、イザベラに刺さったナイフを抜きながらレンにきいた。


「俺達がこいつを殺したら、騎士団がファイアランス王国に攻め込むんだよ」

「駄目なんですか?」

「駄目だ」

「レン様にはもう関係のないことなのでは?」

「うるさい。それよりこれ、抜いてくれ」


 レンは首をくいくいと動かして、右手に刺さったナイフに視線を投げた。イザベラを地面にほうったレダがそれを抜くと、レンの体は自由になった。

 イザベラは立ち上がろうとするも、毒のせいで体が言うことを聞かない。


「綺麗な短刀──貰ってもいいですか?」


 持ち手の部分に派手すぎない装飾の施された、よく手入れの行き届いた短刀だった。控え目に真珠パールが埋め込まれている。

 レダはそれを手の中で器用にくるくると操りながら、イザベラの体を数回蹴り飛ばした。それきりイザベラは動かなくなった。


「返せよ」

「えー」


 自分に被さったアンナの体を脇によけ、起き上がったレンは、レダから受け取った短刀をアンナの腰にしまった。


(──これがあるということは)


 倒れているアンナのドレスの裾を持ち上げ、太腿に手を這わせていくと、探しているものが見つかった。腰に差した短刀によく似たデザインのそれは、アンナの左の太腿に隠すようにバンドで留められていた。


(こいつ、まだこんなものを……)


「あーあ、私もお役御免かー」


 レンが食い入るように短刀を見つめていると、頭の上で手を組んだレダが、つまらなさそうに言った。


「どういう意味だ?」

「まったくー、いくら妹を溺愛しているからって、こんな所でやめて下さいよね」

「なに言ってるんだお前」

 そう言うとレンは、ふらりと立ち上がった。

「私にも立場ってものがあるんですから、一応。まあ、我慢できないっていうなら見学はきっちりさせてもらいますから」

「だから、なに言ってるんだお前は」

「え?」レダは不思議そうに首を傾げた。


「ここで犯すんでしょう?」

「犯すか!」


 レンはレンの後頭部を思いきり殴った。

「グーで殴らないで下さいよね」レダは頭を擦りながら言った。

「私、てっきりレン様は妹と戦って、弱りきった所を連れ帰って犯すつもりなのかと思ってました」

「なんでそんな発想になるんだよ」

「だって、大好きなんでしょ、妹」

「ああ、大好きだ」

「聞いているこっちが恥ずかしいし、気持ち悪いです」

「お前なあ……」

 はあ、と溜め息をつくとレンは、露出度の高いレダの服をちらりと見て口を開いた。

「俺はお前で十分だ」

「嬉しいこと言ってくれますよね」


 太腿の傷が深いのか、レンの足取りはおぼつかない。よろよろとレダが乗ってきたアグリーの所まで行くと、彼はふらりとバランスを崩して尻餅を着いた。

「大丈夫ですか?」

 レンに駆け寄りながらレダが言った。

「血を流しすぎたな」


 自分で切り落とした腕の切り口の断面はきれいだったが、くっつけるのは難しいだろうとレンは思った。

 レダに手を引かれレンは立ち上がると、名残惜しそうにアンナの姿を見つめ、心の中で


(──次こそ殺してくれよ)


 と、唱えた。


──いや、祈った。


 彼の願いは叶うのか、叶わないのか────

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