第二十八話 十八年前の真実
──滑稽。
その一言で片付いた。一人で勝手に勘違いをして、一人で勝手に舞い上がっていただけじゃないか。
なにが彼女を救うだ。思い上がりも甚だしい。
もういたんじゃないか、その相手が。
恥ずかしかった。穴があったら入りたい。そしてそのまま埋めてほしい。
心の隅を、真っ黒なものに侵食されているように感じた。それは少しずつ大きくなり、一塊になったところでネスの心を支配した。
エリックさえいなければ、俺はアンナを────
「ネス様」
肩を掴まれてネスは我に返った。走っていた足がゆっくりと止まる。振り返ると、焦燥しきった顔のシナブルがそこにいた。
(俺は今、何を考えていた?)
シナブルに肩を掴まれていなかったら────とんでもないことを考えていた自分が恐ろしかった。
「お待ちください、ネス様」
無我夢中で走っていたせいか、気が付くと全く知らない場所に居た。町のランドマークである時計塔が、シナブルの背後に小さく見えた。
「……申し訳ございませんでした」
時計塔と並んでいたシナブルの姿が、途端に消えた。正確に言うと彼は先日同様、膝をついて頭を垂れ、額を地面に押し当てていた。
「先程の無礼な振舞い、なんとお詫びしたらよいか……」
「姫のこととなると、つい感情的になってしまうのです、だろ?」
顔を上げてくれ、とネスが言うとシナブルはおずおずと顔を正面に向け、その場に正座した。
「アンナを傷付けるようなことを言った俺が悪かったんだ。だからもう『気の済むまで殴り付けて下さい』なんて言わないでくれよ」
「しかし……」
ネスは困惑するシナブルの腕を掴み、無理矢理彼を立たせた。
「もうこの話はやめだ」
これ以上、心をかき乱されるのは御免だった。
「そうはいきません。俺には真実をお伝えする義務があります」
「義務……ねえ」
この人は本当に真面目だ。
シナブルの返答にネスは大きく溜め息をつくと、手で額を覆ったまま、彼に背を向けて数歩前進した。目の前に座るのにちょうど良さそうな岩が乱雑に放置されていたので、ネスはそこに腰を下ろした。
「ここは……採掘場か」
顔を上げて驚いた。見渡す限り蜂蜜色の岩の海だった。視線を下げると三十メートル程の深さの穴が真四角に大きく口を開いている。縦横数百メートル先まで広がっているせいか、不思議と圧迫感はなかった。
その穴の中で黄色いヘルメットを被った数十人の作業員が、それぞれの持ち場で仕事にあたっている。回転する金属刃で岩を切り出している者、舞い上がる砂埃に水をかけている者、荷台で岩を運ぶ者──
ネスが興味深げに穴の中に視線を投げていると、背後に立ったシナブルがゆっくりと口を開いた。
「──ではないのです」
きいいいん、と金属刃が岩を切り出す音に彼の声はかき消された。
「何だって?」
ネスが鬱陶しげに聞き返すと、先程より遠くで、きいいいん、と音が響いた。
「エリック様の恋人を殺したのは、姫ではないのです」
「なん……だって……?」
真面目なシナブルのことだ。彼は嘘をついている様子など微塵もなかった。
「ネス様は勘違いをしておられます。エリック様が『蜂の巣』で何とおっしゃっていたか覚えていますか?」
シナブルの話によると、彼はエリックがネスに接触する前から、エリックとコンタクトを取っていたらしい。シナブルにとってエリックの命令はアンナのそれと同位。自分の存在と言動を黙認しろと言われれば従う他ない、というわけだったらしい。そして密かにエリックとネスの会話を聞いていた、というのが事の顛末だった。
「結果としてよろしくない方向にいってしまったわけですが……そこは謝罪します」
と言って膝を折り、額を地面につけた。
本当に、この人の謝罪はいちいち面倒くさい。
「もういいよ……で、勘違いって?」
はい、と顔を上げて立ち上がったシナブルは、膝についた砂埃を払いながら言った。
「エリック様が『一応、そういうことになっている』とおっしゃっていたのは覚えていますか?」
「ララさんがリリィ……アンナに殺されたっていう話をしていた時?」
「そうです」
あの時エリックは言った。ララはリリィに殺された、と。ネスが反芻すると、エリックはその言葉を繰り返した。まるで自分に言い聞かせるように。
おかしいとは思っていた。何だか含みのあるような言い方だと気に掛かってはいた。しかし……。
「その『一応』っていうのはどういう意味なんだ」
きいいいん、という音はいつの間にか更に遠くなっていた。岩の切り出し作業が進行し、遠のいた作業員の姿が小さく見える。眼下では代わりに、運搬作業員がせっせと荷台に岩を乗せている。
その光景を興味深そうに眺めながら、シナブルは口を開いた。
「記録上は、という意味です」
「記録上? どういう意味だ? そもそも何でエリックは『一応』なんて回りくどい言い方をしたんだろ?」
シナブルはネスの顔をみてクスリと笑った。アンナがするそれと、とてもよく似た仕草で、ネスは驚いた。
(そうか、
「って、そうじゃなくて……何かおかしいこと言ったか俺?」
シナブルは、すいません、と一言侘びると「いえ……」と目を細めた。
「あなたに初めてお会いした時のことを、思い出していました。本当に好奇心が旺盛な方だなと」
(初めて会った時──たしか俺はこの人に睨み付けられたあげく、殴られたんだったな)
ネスがちらりとシナブルを見ると、彼も同じことを思い出したのが、気まずそうな表情になった。
あれからまだ六日しか経っていないのか──
「今までの数々の非礼、お許しください」
「なんだかあなたには謝られてばかりだな。もっと仲良くなりたいのに」
下げていた頭を上げ、シナブルは不思議そうな顔をした。
「ごめん、話が逸れたな……それで、記録上っていうのは?」
「事実とは違う、という意味です」
シナブルは少し間をおいて「それと」と言った。
「何故エリック様が『一応そういうことになっている』などと回りくどい言い方をしたのか、ということですが、恐らく細部を説明する必要がないと思われたのでは? あの時あなたに真相を全て話しても何にもならないと、そう考えられたのではないでしょうか」
「何にもならない、ねえ……」
エリックは恋人を殺したのがアンナであろうがなかろうが、ネスには関係ないと思ったのだろうか。
(だからあんな回りくどい言い方を──)
「何か?」
「いや、なにも……」
「そうですか。では──」
真顔に戻ったシナブルは語り始めた。
十八年前──アンナの父、エドヴァルド・F(ファイ)・グランヴィが治めるファイアランス王国は現在の半分の国土だった。しかしある事件をきっかけに現在の国土を手に入れたのだという。
「戦争、というよりもあれは略奪でした」
ネスが驚いたのは、当時エリックはファイアランス王国の近隣国の王子だったということだ。その恋人ララもまた近隣国の王女で、二人は将来を約束された仲だったらしい。
「その二国が手を結んでしまうと、我が国にとって脅威となる、と国王様は懸念されたようです」
芽は早いうちに摘め──エドヴァルド二世は、二国を滅ぼすことにした。
「滅ぼすってどうやって?」
「片方の国へ、宣戦布告をしたのです」
小さな国同士だったから戦力は大したことはないが、三人で滅ぼすにはまとめて始末した方が効率的だろう、という意図だったらしい。
「さ、三人で二国を滅ぼしたのか?」
「ええ、両国の戦力のほぼ全ては、布告を出した側に集中していましたから……兵士のいない、女、子供だけの、がらがらになった国を滅ぼすのは簡単でしたよ」
(当事者かよ……!)
「仕事とはいえ、俺はエリック様の母国を滅ぼしてしまいましたからね……償っても償いきれませんよ」
その後──シナブルがアンナともう一人の臣下、フォードと合流した時には既に、主達はエリックとその恋人に対峙していたという。シナブルが到着した時、既に他の兵士達はアンナとフォードによって全滅させられていた──流石は最強の殺し屋といわれるだけのことはある。
「エリック様とその恋人に対しては、殺さず生け捕りにしろ、と命令が出ていました」
二人は強すぎた。殺すには惜しい、とエドヴァルド二世は考えたようだ。
「生け捕りにして連れ帰り、我が一族の繁栄の糧にしようという計画だったようです」
「つまりそれは……」
ネスの口は、渇ききっていた。
「エリック様には一族の者との間に子を作らせ、恋人の方は逆に……」
孕ませようとした。そして無事に子が生まれたら二人を殺すつもりだったのだ──と。
「エドヴァルド二世……滅茶苦茶だな……」
「ファイアランス王国史上、最悪の王と名高い御方ですからね」
と、シナブルは誇らしげに言った。
(……誇るところなのか、そこは)
しかしその計画は──思わぬところで逸れた。
「戦場で姫は、二人に見事な傷を負わせました。死ぬ一歩手前、動けるはずもない傷でした」
アンナは過信した。こんな傷で動けるわけがないと。しかし二人は動いた。
「姫は挟み撃ちにされ、背後からエリック様に脇腹を刺されました。そして、正面から恋人の方が斬りかかってきたのです」
受けきろうと思えば出来たその攻撃の間に、フォードが踏み入った。フォードはアンナを守るためにその恋人を切り殺した。
「主が傷付く姿を見ていられなかったと、フォードは言っていました。しかしそれは大きな失敗でした」
三人はエリックだけを連れ国に帰った。アンナは自分が恋人の方は過って殺してしまったと、国王に報告し、頭を下げた。国王は怒った。そして自らの手で
「アンナは……フォードを庇ったのか?」
「ええ。フォードが標的を殺してしまったとなると、罰せられるのは目に見えていましたから」
「だからって自分が……」
「姫はそれほどフォードのことを大切に思っていたのですよ」
全てを語り終えると、シナブルは遠くを見つめ、ゆっくりと目を瞑った。今は亡きフォードを思い出しているのかもしれない──アンナの兄によって殺されたフォードという臣下のことを。
「俺がお話しできるのはこれが全てです。恐らく、今の姫なら、あなたが何を聞いても隠すことなく、全てを話してくれるのではないかと思います」
「──何故?」
「長年あの御方の傍にいる者としての、勘です」
そう言うとシナブルは振り返り、ネスをじっと見つめた。
「俺はそろそろ失礼します。仕事に戻るよう姫に命じられていますので」
「お別れってこと?」ネスは勢いよく立ち上がった。
「寂しいな……あなたとはもっと時間を共有したかった」
「ありがたき御言葉」
す、とシナブルは頭を下げた。
「色々と教えてくれて本当に感謝している。あなたがいなかったら、俺はここまで力をつけることは出来なかったと思う」
心の底からそう思った。アンナからここまで学べるとは到底思えなかった──と言ったら彼女は怒るだろうか。
「そんな、大袈裟な」
うっすらと微笑んだシナブルは、咳払いをすると、照れ臭そうに顎をかいた。そして真顔になると、低い声でネスの名を呼んだ。
「姫のことを、頼みます」
頭を下げられて胸が塞がった。
「それは……」
それは俺の仕事ではない。
「……エリックがいるだろ。俺の出る幕じゃない」
先程までの滑稽な自分の姿が頭に浮かんだ。舞い上がって踊り出しそうになっていた間抜けな男の姿が。
「御忙しいあの方が、ずっと姫の傍にいることは、今はまだ不可能なのです。ですから……ですからネス様、前にもお話ししましたが、あなたは自分自身を守り抜いてください。それが結果として姫を守ることにも繋がるのです」
「ああ、分かってるよ」
ネスの言葉を聞き安堵したシナブルは、今までになく穏やかな声で呟いた。
「あなたに──あなたに出会えてよかった」
採掘場の人々が仕事を終え、片付けを始めた。ネスはその光景を何も考えず、一人ぼうっと眺めていた。
シナブルは去った。去り際に暗殺依頼が十二件も溜まっているのだと言っていた。彼も多忙なようだ。
「また、会えるよね?」
というネスの問に彼は、
「はい」
と短く答え、手を差し伸べた。
ネスはその手をしっかりと握り返した。
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