第二十話 二人の叫び

「どうしたの?」


 心配そうな声が降ってきた。ネスが顔を上げるとそこにはティファラがいて、二人は見覚えのない場所に移動していた。


「……あれ?」

「急に倒れるんだもの、驚いたわ」


 ネスは立ったまま、石造りの壁にもたれ掛かっている。


「夢占いは……?」

「夢占い? 何のこと?」


 さっきまでのは夢だったというのか。目の前のティファラは心配そうにネスの額に手をあてる。


「熱でもあるのかしら?」


 その手は異様に冷たく、血の気もなく真っ白だった。まるで人形の手だ。ネスは驚き顔を逸らした。


「俺、どうしちゃったんですか?」

「路地に入った途端、急に倒れちゃったのよ」


 覚えていないの? と頭を撫でられる。魅惑的な彼女の体との距離が一気に縮まり、ネスは視線をどこに向けたらよいのか分からなくなる。


「ところで、仕事を済ませたいのだけれど、あなたは私に何を教えて欲しいのかしら」


 そうだった。情報屋の彼女に教えて欲しいことがあって着いて来たのに、いつのまにか目的を見失っていた。彼女に見入っていた──否、魅せられていた。


「金額はどのくらいかかりますか?」

「それは質問次第ね。とりあえず何を知りたいのかしら? 答える前に金額を提示してあげるわ」


 良心的な回答だった。情報を貰った後に莫大な金額を請求されるのは避けたかったので、ネスは胸を撫で下ろした。


「シムノン・カートスって知ってます?」

「ええ、そんなこと聞くまでもないじゃない。彼は賢者として、それに英雄としてあまりにも有名よ?」

「そ、そうなんですか」


 自分の父親だけに、どの程度有名かなんて知るよしもなかった。


「例えるならそうねえ、エドヴァルド・F(ファイアランス)・グランヴィと同じくらい有名なんじゃない?」


 アンナの父親だ。こちらも知っている名なので、全く参考にならず、ネスは複雑な表情を浮かべる。


「参考にならないって顔をしているわね……それならそうね、ガブリエル・ガザニアルは知ってる?」

「その人ならわかります」


 ガブリエル・ガザニアルは騎士団長の中で最も有名と言っても過言ではない人物だ。一騎当千、戦争好きの大男。ネスが一度は会ってみたい人物である。


「それで、あなたはシムノン・カートスの何を知りたいのかしら?」


 腰を屈め、促すようにティファラの手が目の前に伸びてきたので、ネスはそれに掴まり立ち上がった。


「彼に兄弟はいるんでしょうか」


 ティファラの仮面の奥の瞳が、異様に冷たい。


「また凄いことを知りたいのね、あなたは」

「え、いや……」

「詮索はしないけれど、そうね……それだけなら三百万ルル。それらの生死情報なら追加で百万ルル。その子供たちの生死を知りたいなら更に追加で二百万ルル」


 計六百万ルル──安い、とは言えない金額だった。それだけ父の個人情報は内密だということか。


 ネスは迷った。ここで支払う金はアンナの金だ。六百万ルルという金額は彼女からしたらきっと安価なのだろうが、ネスにとっては大金だ。


「支払いは一括でお願いね。それと、この情報はそこらの情報屋じゃ知り得ないから、その辺はよく考えてね」


 彼女の言葉がネスの背中を押した。アンナに怒られたら少しずつでもいい、お金は返そう。


「お金は払います。教えて下さい」


 そう、と一呼吸置くとティファラは話し始めた。


「シムノン・カートスは五人兄弟の長男。次男、三男、長女は既に死亡。みんな戦死ね……。次男の妻と一男三女は全員死亡、三男に子はなく、長女の夫と一人息子も死亡、四男は生存で妻も一女二男も共に生存」

「な……」

「シムノンの子の情報はいらないの? サービスするわよ」

「それは……結構です」


 それは正しく自分の事だと、口から出そうになった言葉をどうにか飲み込んだ。




「あなたも回りくどいことをするわね、ネス・カートス」




 名前を呼ばれ、ネスは一瞬身構えた。ティファラの前でシナブルが自分の名前を呼んだが、彼女にフルネームまで教えた覚えはなかった。名前を知られているイコール身の危機だということは、さっき身をもって体験した。


「最終的にあなたが知りたいのは誰が自分の故郷を滅ぼしたのか、でしょう? ブース神力ミース使いを聞き出して、犯人は兄ではないと自己の中で確信したところで、事実は変わらないわよ」

「な……」

「いい加減受け入れなさい。ガミール村を滅ぼし、あなたの母親を、恋人を殺したのはルーク・カートスだと言っているの。あなたが夢の中で抱いた女も言っていたでしょう?」

「夢って、あれは……というか、何故それを知っている! さっきの夢占いは……あれは」

「私は情報屋よ? そのくらい知っているわ。それに、さっきあなたを『からかった』のも現実よ? あの女を抱いた夢をみせたのも私。夢というより魔法なんだけれどね」


 そこまで言うとティファラは顔の仮面を取った。露になるその顔立ち。

 ネスの想像通り彼女は美しかった。柔らかな目許、整った鼻筋。風が吹いて額の前髪が揺れた。額の中心には赤く輝く石が埋め込まれていた。見覚えのあるその輝きは間違いなく神石ミールだった。


「私はね、あなたに会いに来たの。あの女が面白そうな玩具を連れて来るって言うじゃない? どんなものか気になって、仕方がなくてね」


 ティファラはクスクスと笑い出す。


「あなたは一体何なんだ!」


 ネスは浅葱あさぎを抜いて身構える。ティファラは両手を広げ、ネスの間合いに入り込んでくる。


「私はヴェース破壊者デストロイヤーティファラ・マリカ・ラーズ。本業は魔法使い」


 この人は敵か味方が、ネスには瞬時に判別出来ない。風の破壊者というのなら味方であることに間違いはないだろう。しかし彼女は──


「夢と現実の境界があやふやでお困り? 全て現実よ。あなたがあの女を抱いたこと以外はね」


 気掛かりなのは、彼女はアンナのことを『あの女』としか呼ばない ということ。それに──


「何故私があなたに『あーんな夢』をみせてあげたのか知りたいんでしょう?」

「……っ……こいつ!」

「なかなかの出来栄えだったでしょう? 言っておくけれど、ほとんどがあなたの想像によるものなんだからね」


 にやにやと嫌な笑みを浮かべる彼女。


「ふざけるな!」


 刀を振り下ろすもそこにティファラの姿はない。彼女が自分を嘲笑う声だけが辺りに響く。


「年頃の男の子はみんな獣みたいなことを考えているのね、ふふ、怖い怖い」


 煙のように消えたティファラが、突如ネスの目の前に現れた。ネスが両手で握る刀の柄を、ティファラは右手だけで完全に封じている。あまりの力に微動だにできない。


「お金を払ってくれた情報以外の記憶は消させてもらうからね。あなたの驚き焦る顔がもう一度見たいから」

「なんだと!」

「面白そうだからシナブル・グランヴィのプライベート情報の記憶も残しておこうかしらね……そうそう、何故私があなたにあんな夢をみせたのかは、また今度、ブエノレスパで会った時に教えてあげる。それじゃあね」


 ティファラの両腕が、ネスの首を目がけて伸びてくる。


「……くっ!」


 首を絞められるかと思った。しかし彼女は伸ばした両腕をネスの背中に回した。


(──抱き締められている?)


「か……体が……くそ!」


 振りほどこうともがいても、全く体が動かない。


「駄目でしょ、暴れちゃ」


 人差し指で唇をそっと撫でられ、ネスは全身に鳥肌が立った。瞬きすらできない。


「もう一度、『あれ』をみせてあげる」

「やっ……やめ……やめて、くれ……」

「本当は嬉しいんでしょう?」


 彼女の顔がどんどん迫ってくる。鼻と鼻がぶつかった。


「そうだ、ブエノレスパで会えたら、私に関する記憶を思い出すように仕込んでおこうかしら」


 と──


「アドバイス、夢から脱出したければ、正直になることね」



 そしてそのまま唇を塞がれた。



「……ん……んッ………ぁ………ん…………うッ……!」



 今までに体験したことのない、もの凄い口づけだった。


 そしてネスは頭が真っ白になった。





 ネスがその場に倒れこんだ直後、ティファラの遥か頭上で、バリバリと空間の裂ける音が響いた。


「あら、遅かったじゃない」


 ティファラは天を仰いだが、そこに侵入者の姿はない。


阿修羅様あしゅらさま


 無限空間インフィニティトランクから現れたティファラの刀によって、シナブルの一撃は弾かれた。彼は両足で着地し勢いそのまま後退する。右手を地面につき減速すると、溜め込んだ力で一気に間合いを詰める。


「複雑な結界を張りやがって、ネス様に何をした!」


 ぶつかり合う金属音が響く。繰返し振りかざすシナブルの攻撃は全て防がれる。

「こいつ……」

「自分のスピードに私がついて来られるのが、そんなに想定外?」

「……っ」


(──図星)


「必要な情報を与え、不必要な情報を奪っただけ。ふふ、あの子、今は夢の中よ。肉体に危害は加えていないわ」

「こいつ、ふざ……」


 鍔迫り合いになり、ティファラの顔を目の前したところでシナブルは気が付く。否、思い出す。自分は──彼女を知っている。

 シナブルは動揺した──それも物凄く。一瞬体の力が抜けてしまうくらいに。ティファラはそれを見落とさない。


「ぐっ!」


 振り下ろしたティファラの刀がシナブルの喉元を捉えようと、彼の想像を遥かに越える力で迫ってくる。


(……この女、なんて力だ)


「うっ!」


 ティファラの鋭い蹴りがシナブルの鳩尾にまともに直撃する。体は宙に浮き後ろへ吹き飛ばされ、建物の外壁に衝突する──体に激痛が走る。


「ふふ、色々と細工をさせてもらっているからね、いつも通りに動けないでしょ」


 シナブルは瓦礫の中から身を起こし、ゆっくりとティファラとの間合いを詰める。隙はある──しかし押し負ける、攻撃が当たらない。


「何故……お前が生きている」


 喋ると同時に咳き込み、シナブルは吐血した。白いシャツの襟に点々と赤い染みが広がる。袖口で口を拭い、彼女の姿を睨み付ける。


「そうね、あなたもあの場所にいたのよね。覚えているわよ」


 シナブルは考える。考える。考える──死人が蘇っているこの状況、誰が何の目的で彼女を蘇らせたのか。彼女本人の目的は何なのかを。



──彼女本人の目的は一つしか思い付かなかったが。



「でもねシナブル・グランヴィ。自分で殺したわけじゃないのに、そういうことを偉そうに言わないでくれる?」

「なっ!」


 一気に間合いを詰められ、シナブルはティファラの右手で首を絞められる。


「……くっ……がはっ……」

「苦しい?」

「……くそっ!」


 お返しと言わんばかりの両足蹴りをティファラの下腹部に撃ち込み、シナブルはその手から逃れる。ティファラは数メートル吹き飛ばされるも、その体はふわりと空中にいる何かに受け止められたかのように停止する。


ヴェース神力ミース使い……」

「違うわ、風の破壊者デストロイヤーよ」


 そう言うとティファラは前髪を払い、額の神石ミールをシナブルに見せつける。


「破壊者だと……何故、こんなことを」

「言わなくてもわかっているのでしょう? そんな顔をしているわ。早くあなたの大事なお姫様に伝えないとね」

「……貴様っ!」

「あなたはお姫様と自分の妻と──どちらが大切なのかしらね」

「……くだらない挑発に……乗るつもりは……ない」

「いいのよ答えなくて。後でゆっくり教えてもらうから」


 ふふふ、と本当に楽しそうにティファラは微笑む。その口許は恐ろしいくらい歪んでいる。


「答えろ……何故っ、お前が……生きているんだ」

「そうだ、良いことを思いついたわ!」

「貴様、話を……っ」


 直後ティファラとシナブルの間合いがゼロになった。両肩を掴まれたシナブルの体は動かない。


「あなたに彼と同じ夢をみせたら、どうなるのかしらね」

「何を……」



「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」



 ティファラは人差し指で、そっとシナブルの唇をなぞる。


「忠誠心が強くて生真面目なくせに、可愛いげのある殺し屋さん──あなたみたいな男の唇を奪うのも、悪くないわね」

「貴様……っ」


「た の し み」


 そしてネスにしたのと同様、彼の唇を塞ぐ。


「…………ッ!」


 シナブルの左手から刀が落下する。


 全身の力が抜けていく。相変わらず体は動かないし、塞がれた口から声を発することも出来ない。頭が真っ白に、周りの景色が真っ白になっていく──なんという屈辱──こんな所で死ぬわけには──


(あれは……アンナ……さ……ま……?)


 真っ白になった景色の──その先に見えたのは、笑みを浮かべそこに立っているのは、愛する妻の姿でも、愛しい我が子の姿でもなく──自分の大切な主の姿だった。





「おふざけが過ぎるのでは」


 ティファラがたっぷりとシナブルを味わい尽くしている最中、一人の青年が現れた。


「いいところなのに邪魔をしないでよ……ギルバート」

「待たされるこっちの身にもなって下さいよ」


 栗色の髪に利発そうな顔立ちの青年は、呆れ返った口調で言った。


「これ、バネッサに返しておいてね」


 とティファラがギルバートに差し出したのは情報屋の身分証。先程ネスに見せたものだ。ギルバートの手に渡ると同時に、写真が眼鏡姿の女性に変わり、名前が記してある部分も、別人のものに変化した。


「バネッサは先に行きましたよ。それと、御屋形様」


 ギルバートと呼ばれた青年は、おずおずとティファラの背後に立った。


「ネス・カートスの所持していたカードですが、確認したところ『緋鬼あかおに』の物でした」


「──何ですって」


 怒りのこもった声を発しながら、ティファラは撫でていたシナブルの髪から手を離し、立ち上がった。


「あの女の金なんていらないわよ」

「承知しております」

「あんな奴から金を貰うくらいなら、もう一度死んだほうがましよ」

「承知しております」

「そうなったら、あなたも一緒に死んでくれるのよね」

「当然です」


 辺り一体は嘘みたいに静まり返っている。ティファラの張った結界がまだ作動しているせいだ。

 そんな切り取られた空間で、二人は何も言わず暫く見つめ合った。根負けしたギルバートが目を逸らすまでたっぷり一分間。


「もう一人で死ぬのは御免よ」

「承知しております」

「私にはあなたしかいないのだから」

「はい」


 ギルバートは、が嘘だと知っている。だがしかし、彼はティファラを責めることはない。自然に、当然のように嘘を吐く彼女に罪はないのだから。罪深きはあの女、それにあの男──


「そろそろ行きましょう、御屋形様」

「そうね」


 背を向けて歩き出す彼女の後を、ギルバートはただ黙って着いて行くことしか出来ない。


 今までも、これからも、ずっと。

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