名前

一週間。

 僕と白月さんはダンジョンに篭り、攻略を進めた。

 しかし、流石に一週間程度で十九階層を攻略しきる、というのは難しかった。


 それに加えて、先週から昨日までの一週間は十九階層にて魔物狩りをしていたのだが、やはり魔物はスケルトンしかいないようで、実入りが少ない。


 そんな陰鬱な気分が溜まっていたところで、今日はついにクリスマスイブ当日。


 約束通り、僕は白月さん宅の目の前まで来ていた。


「えっと、ここ……だよな」


 僕は住所の書かれたメモを手に、立ち尽くす。

 二階建てのアパートだ。

 雰囲気は悪くない。

 比較的新しく、綺麗な外装をしている。


 しかし、前の豪邸と比べると、どうしても質素な家に見えてしまうのは謎だ。

 まあ、僕の住んでいるボロアパートよりは断然良い家なんだけどね。


 あの家もそろそろ引っ越そうかな……なんてことを考えていると、背後から軽く肩を叩かれた。


「柊木さん」


 突然のことで少し肩が跳ね上がった僕だったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「あぁ、白月さんか……」


 軽く首を捻って肩越しから見えたのは買い物袋を引っさげた白月さんの姿だった。


「えっと、買い物?」


 分かりきった質問だった。

 が、白月さんは気にした様子もなくただ簡潔に「はい」と答える。


「ちょっと足りないものがあったので、その買い足しに行っていたんです。お母さんも待っているでしょうし……とりあえず家に入って下さい」

「ああ、うん」


 僕は流されるままに白月さんの後を追う。

 ガチャリとドアノブを回し、扉が開く。


 まず視界に入って来たのは清潔感のある玄関だった。

 その家の顔、とも言われる玄関が綺麗なところは大抵他も綺麗なものだ。

 僕も、玄関は出来るだけ綺麗にはしている。


 靴を揃え、一歩足を踏み入れる。

 フワリと、香ばしい香りが鼻を通った。


「これは……?」

「クリスマスといったらケーキとチキンですよ?」


 小さく笑って放たれたその言葉だけで、分かった。理解した。

 この匂い、たしかに肉の香りがする。

 鶏肉か……食べるのは久しぶりだ。


 ジューシーな肉汁が溢れ出すその姿を頭に思い浮かべるだけで涎が噴き出る。

 不思議と、顔に笑みがこぼれる。

 ふと白月さんの横顔に視線を向けると、彼女もまた、自然な笑顔を浮かべていた。


 スリッパへ履き替え、リビングへと進む彼女の足は、心なしか軽やかに見えた。


 つられて僕もリビングへ入ると、水穂さんの陽気な声が出迎える。


「あ、いらっしゃい奏くん!」


 ピクリ、と白月さんの肩が揺れた。


「お邪魔しています、水穂さん」


 再び、白月さんは反応を示す。

 そして、ギギギ、と錆びたロボットのように首を水穂さんへと向けた。


「お、お母さん?」

「なぁに?」


 引き攣った笑みを貼り付けながら、彼女は水穂さんへと語りかける。

 その声音からは焦燥と困惑の入り混じった複雑な感情が垣間見えた。


「い、いつの間に柊木さんと名前で呼び合う仲になったの?」


 なんだか緊迫した空気を感じる。

 ただでさえ低い室内の温度が更に数度下がったような気がして僕はブルリと身じろぎした。


 白月さんの言葉に対して、んー、と水穂さんは思案した後、ゆったりと口を開く。


「メールでやりとりしているうちに、なんとなく……かなぁ。っていうか、冬華と奏くんってば、まだ苗字で呼び合ってたの?」


 からかうような口調に、ニマニマといやらしい笑み。

 それは男女の仲を執拗に聞き立てる中学生のようであった。


 サラリとして艶のある美しいセミロングの黒髪に白のエプロンをつけた若々しくも妖艶さの溢れる美女然とした容姿からは想像もつかないような奔放な性格だ。


 しかし、彼女の言葉には白月さんも「ぐっ! 」と言葉を詰まらせた。


 たしかに僕らがパーティを組んでしばらく経つが、苗字呼びはいつまでたっても抜けないままだ。


 ここら辺で、思い切って呼び方を変えてみるのもいいかもしれない。

 これをきっかけに連携が今までよりも良いものになる可能性もあるし……ね。


 それに、前ほどではないが、今もまだ僕と白月さんの間には壁のようなものがあるように感じるんだ。

 それは、彼女としても意識していないものなのだろうけれど、互いに名前で呼び合うとこで、その距離も縮まってくれるかもしれない。


 僕は一抹の期待をとともに、決心を固める。

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