獅子団長、巻き込まれていた
副団長候補となり近衛団執務室でまめまめしく働いているエクレールが、部屋に備え付けられた空話具を取った。
「――団長。玄関口からで、ウルダン男爵家のローゼリア様がいらしているそうです」
ウルダン男爵領の場所はすぐ頭に浮かんだものの、男爵本人やローゼリアという名前にさっぱり心当たりはなかった。
が、用があるというのなら用があるのだろう。
「すぐ行くと伝えてくれ」
玄関口は今の時間ならユウリがいるはずで、きっと空話の相手もユウリだ。
俺は留守をエクレールに任せ、近衛団執務室を後にした。
新しく改装された玄関口へ行くと、スラリと制服を着こなしたユウリが立っている。
制帽から流れる黒髪も、ツバの下からのぞく切れ長の黒い瞳も、何回見ても見飽きない。
「ユウリ」
カウンター越しに呼びかけると、少し困ったような顔で見上げた。
「あっ……あの、あちらでウルダン男爵家ローゼリア様がお待ちです」
「わかった。ありがとう」
名残惜しいが仕事が先だ。
令嬢が座っている席へと向かった。
「お久しぶりですわ。メルリアード男爵様」
「……こんにちは。私に用があると聞きましたが、なんでしょうか」
貼り付けたような笑顔になんとなく見覚えがあるが、はっきりとは思い出せない。
ローゼリア嬢の話から、ああ、あれか……と学院時代の記憶がよみがえる。そういえば第二王子殿下にずいぶんつきまとっていた令嬢がいた。化粧が濃くてわからなかったが、こんな顔だったな。
いまさらまた殿下に会わせろなどという話なのだろうか。
「領の方もすっかり復興なさったとお聞きしますわ。素晴らしいことですわね」
「ありがとうございます」
「辺境伯領のおとなりですものね。それは素晴らしい領なのでしょうね。わたくしも見てみたいものですわ」
「それほどでも……ご用がないのでしたら、お引き取りいただけますか?」
「ワインが素晴らしいと聞いているのですけど、どちらで買えますのかしら?」
眉間にしわが寄ってしまうのがわかる。
顔が怖くなるからやめろとロックデールに言われているが、この場合仕方がないだろうと思う。
そこにさっとシュカが来て膝へ飛び乗った。
そしてローゼリア嬢に向かってシャーっと毛を逆立てた。
ローゼリア嬢が驚いて怯んだ隙に、俺はたたみかけた。
「ワインは領へ問い合わせを。そういった要件でしたら、こちらへはもういらっしゃらないでください。――では失礼します」
席を立つころにはもうユウリの姿はなかった。シュカはユウリがどこにいるのかわかっているようで、こちらをちらっと見て『クー』と言ったかと思うと、どんどん進んでいく。
後を付いていくと、外の休憩所にユウリの姿があった。
その後はユウリが作った美味い昼食をごちそうになり、いい昼だったのだが。
ローゼリア嬢は次の日もまた次の日もやってきては、なんだかよくわからない話をしていく。困惑と軽いいらだちの日が続いた。
休みの前日、ユウリに留守にする件を伝えに部屋へ行くと、
思いがけずシュカと話ができ、ユウリの美味い食事を食べ楽しいひと時を過ごさせてもらったのだが。
ユウリは珍しく酔ったようだった。「どうして! いつも! 玄関に来るんですか!」と言われた時は、「会いに来るな。仕事しろ」という意味かと思い謝るところだった。
だがそういうわけではなく、俺がローゼリア嬢のことを迷惑しているとわかった上で、来るなと言ってくれていた。
「あたしは衛士です!」
そう言い切ったユウリは、本人が思う以上に衛士だ。こんなの部下としても可愛く思ってしまうだろう。
テーブルに突っ伏して寝てしまったユウリに、笑みが漏れる。
「……シュカ、ユウリを寝室に連れて行ってもいいだろうか」
『すまぬのぅ。寝床に寝かしてやってくれ』
抱き上げ、寝室のベッドへそっと降ろす。小柄な柔らかい体に、思うところがないわけではないというか、何も感じないわけではないというか、心を無にしようと試みる。が、うっすらと笑っている気持ちよさそうな寝顔は、ただただ可愛い。
思わず頬をなでてしまい、慌てて手を引っ込めた。
……自制心という言葉をこんなに重く感じるのは初めてだ……。
リビングに戻ると、シュカはまだワインをペロリとなめていた。
『そうじゃ、レオや。あのおなごじゃがな……』
「あのおなご……? ローゼリア嬢のことだろうか」
『そんな名だったかの。あの匂いがきついおなごじゃ。あれは、気を付けた方がいいぞ』
神獣である白狐がそう言うのであれば、彼女には何かがあるのだろう。今のところ何が目的なのかさっぱりわからないのだが。
シュカは細めた目に鋭い光を浮かべながら、匂いがのぅ……と言う。
「気を付けた方がいい……わかった。覚えておこう」
『ユウリをよろしく頼むぞ。ちょっと鈍いところはあるがの、良い
ちょっと鈍いのはわかるような気がした。おかしいやら可愛いやらで口元が緩む。
「こちらこそよろしく頼みたい」
そう答えてワインを皿に注ぐと、シュカもニヤリと笑った。
「レオナルド様、婚姻の打診が来ていたそうです」
俺はサインをしていた手を止めた。
休日、領に戻り自室で仕事をしていたところだった。相変わらず仕事は山積みだ。
アルバートは横で紅茶を淹れながらそんなことを言った。
「……婚姻の打診……? 俺にか?」
「もちろんあなたにですよ」
「今ごろそんな話が……ん?
「ええ。サリュード様が『息子はもう本人が男爵ですから、あちらへ直接どうぞ』とお断りになったそうです」
それはまた俺にとっては微妙な断り方だな。
こちらへ話が来るのだろうか。
「何か話とか来てるか?」
「いいえ。婚姻だのといった話は来ておりませんが……あなたのところに行っているのでは?」
「いや、何も来ていないが」
そう答えると、アルバートは笑った。
「そのお相手はローゼリア嬢ですよ?」
あ――――。
俺は息をのんだ。
「それでか……。だが、そんな話は全くしていなかったぞ」
「まぁそうでしょうね。あの方の好みは第二王子殿下のような優男ですからね」
そう言われてしまうと少し複雑な気分なんだが。
「……では結局何が目的なんだ」
「婚姻が目的というのは、間違ってないと思いますよ。ただ、あなたのことが好きでというわけではないと」
だから、例えそうだったとしても、はっきり言われると大変複雑なんだが。
「こちらでも調べましたが、ローゼリア嬢は離婚されているようです。外聞悪いからどこかへ嫁に出そうとしたもののなかなかいい話がなく、嫁の来手がないあなたのところへ話が来たと思うのが自然ですかね」
「……そうか」
俺がダメージを負った気もしないでもないが、だいたいの話はわかった。
書類の続きに戻ろうとするが、アルバートは更に続けた。昨夜のシュカの『気を付けた方がいい』という言葉と重なる。
……やっかいなことだな。
俺は眉間のしわがさらに深く刻まれるのを、止めることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。