第二十五相 歪な思慕の種
陽がゆるりと明かりを携え沈み、空が昏くなる頃。家族連れの波でごった返すショッピングモール内にあるカフェの片隅で、紅い髪をワンサイドアップにした少女が腕を組みながら、柔らかな一人がけのソファーに体を沈めていた。半眼になりまるで睨みつけている様な視線の先に居るのは、髪の結い方と僅かな表情の差以外全くの瓜二つである白い二人の少女。ニコニコと笑みを浮かべながらカフェラテを飲む月乃と目を伏せダージリンを静かに口に含む月夜に、結乃は恨めし気な声色で問いを投げかけた。
「ねぇ……なんでアンタ達ここに居るのよ。そしてなんで私の席に座ったのよ」
「たまたま友達見つけて同じ席に座っちゃダメかな?」
「唐突な上に一言断りすらなく座られたら誰だって文句の一つも出るわよ」
「貴女ならその必要も無いかと思って、付き合い長いでしょう?私達は」
「親しき仲にもって知ってるかしら?」
結乃が大きく溜息を吐く。この状態になったのはほんの数分前、クラスの友人と共に行きつけのカフェの新作メニューを飲みに来た後の事だった。初めこそその友人と新作メニューとして広告が大々的に出されていた飲み物を買い、取り留めも無い会話をしながら放課後を過ごしていた。しかし、その友人が急な用事が入ったと言い別れたため、一人で飲み物片手にぼんやりと座り無為な時間を過ごしていた。そこに現れたのがこの双子だ。遠慮も何もなく、そして断りも無く相席してきたのに面食らったのが数十秒前。確かに変な気遣いをするような仲ではないのは結乃も理解しているが、それでもいきなりは驚く。その思いが届いていなさそうな笑顔とわかっていて無視を決め込む澄まし顔に小さく溜息を吐いた。
「はぁ……何の用?」
「用が無ければ話しかけてはいけないかしら?」
「一応の確認よ」
「本当に見つけたのはたまたまだからねー、丁度休憩したかったし」
カランと氷が硝子を叩く音が月乃の手元から鳴る。白濁とした液体の中でかすかに光を反らし液体を掻き分けて沈む透明の固形が、結乃の眼をひたすらに食いつかせた。別段珍しくも無いその光景、それに結乃は、意識が全て引き込まれていた。
「不明瞭な自分に苛立ってる?」
は、と。意識が急速に表層へと浮上した。目の前に座る月夜の眼が、まるでこちらの底を見据えているように感じた結乃は、しかし表情を変えることなく視線を合わせた。
「いきなり意味の分からない事を言うわね」
「ここ数ヶ月客観的に貴女を観察した結果だけれど?」
「結乃、なんか前より雰囲気が柔らかくなったけど、それと同じくらい何かに焦ってる……のかな、取り敢えず、らしくない感じがするって夜姉と話してたの」
「そう、私はいつも通りで何も変化が無いわ。安心しなさい」
「自分でも薄々感付いているのでしょう?」
「あまりつまらない質問を繰り返すのなら帰るわよ」
「我妻君?」
一瞬、結乃の瞳がブレたのを月夜は見逃さなかった。その揺らぎは巧妙に隠された動揺、或いは逡巡。赤髪の少女と白の双子の少女の間に存在する曖昧な壁は、月夜の読みに正しく一人の青年によってできたものだった。
我妻君。我妻銀士郎君。その名を出した瞬間、結乃の眼はほんの少しだけ揺らいだのを私は見た。どんな人間であっても、核心に触れる言葉に対しての身体的反応は希薄にこそできてもゼロにすることはできない。限りなくゼロに近いことと、ゼロであることは同じ様で違う。今の様に、普段自分自身の感情を露骨に表現しない結乃であっても、隠している奥深い事実を突かれれば幾何かの反応はするのは当然だ。それが無意識に認識している事実なら尚更、宛ら不意打ちの様に彼女の精神にダメージを与えただろう。
「……なんでアイツの名前が出てきたのかしら?」
「主に貴女の変化が著しく起こったのが彼と知り合ってから、と言う理由かしら」
「随分確証性の無い理由ね?」
「それだけ貴女の変化が大きかったという事ね」
「…………」
こちらを睨む結乃の眼は人一人くらいなら殺せそうな、そんな鋭いものだった。しかし今更そんなもので怯む事は無い。そんな目は、自分にこそ向けられていなかったとはいえ何度も見てきているから。いや、正確にはつい先ほどまで、か。
彼女は生徒会メンバー、現ではなく去年までのメンバーを溺愛している。本人は一切その気を見せるつもりはないと思っているらしいが、外部に対する異常なまでの敵意と排他性は常軌を逸している。正直時折怖くなるくらいだと思った事もあった。男性をあのグループから排斥するのはまぁ理解できるのだが、しかし同性ですら入り込む隙を作らず、あの七人だけの環境を不変のものにしようとしているのは私を含めた六人もわかっていた。結乃にとってあそこがどれだけ大切なのか、そう言う行動に至った理由が何なのか、私達はわかっている。そうだ、彼女は自分が安心できる場所が無くなることを恐れている。
――――だからこそ、『彼』を受け入れた事に、全員が驚愕を通り越した違和感に苛まれたのは記憶に新しかった。
生徒会への加入は個人の意見で動く事は無い。それを理解しているからこそ、結乃は彼の生徒会所属に異議を唱えつつもそれ以上を言う事は無かった。そこまではいい、問題はその後。
その彼女が彼を、我妻君を、表面上はつっけんどんにしながらも、しかし気にかけている節を感じ取れる行動が度々見られた。それがどれだけの事なのか、私も月乃も、他の面々も感じ取った。当の二人を除いて。
「結乃、結局我妻君の事どう思ってるの?」
「どうって言われてもね、まぁそこいらの知るに値しない有象無象の奴に比べたらマシな人間だとは思っているわ。私が嫌悪感のみの感情にならないのはそう言う事だと、自分でもわかってるわ」
「あ、そこは認めるんだ」
「自分の事で意固地に認めないまま拗れるのはごめんだもの、それは認めるわよ」
「『それ』はって、それ以外にあるの?」
「我妻君へ向ける感情、一つではないんでしょう?」
「……………………」
「沈黙は是と捉えるけれど?」
「…………アイツに対して、思うことが無いとは言わない。けれどそれを話す必要も義務も無いわ」
「ごもっともね」
「なんでアンタ達こそアイツにそこまで固執してるのよ」
何故、と言われれば転機となったのはあの休日だろう。揶揄い半分、彼の人となりを知ろうとしたのが半分。あとは――――ほんの少しの希望。見事彼は希望の成就、その可能性を見せてくれた。だから私達は惹かれたのだ。紛れも無い事実として。
でも語らない。彼女が真意を語らないのなら、こちらも語る必要はない。騙る事はあるかもしれないが。
「さぁ……彼が誠実な男性だからかしら」
「我妻君はいい人だよ、嘘吐きだけど」
「……嘘吐き?」
「そう、自分自身への嘘吐き。自分が嘘を吐いている事もわからなくなってる嘘吐き」
月乃は常々彼への評価をそう下していた。『嘘吐き』だと。それが悪いものだと思い言っている訳ではなく、月乃自身が彼へ感じるある種の憐憫なのかもしれない。
自分自身への嘘。自分が嘘を吐き続けている事すら判別できなくなり、嘘が真だと信じている人。私もそう言う評価を下している。意地の悪い所は、彼は他者へ嘘を吐く事がまずない事。自分へは恒常的に、しかし他者へはその行為を絶対にしない。随分と狡い人間だと思う。
「嘘吐き、ね」
「何か思う所があるのかしら?」
「そうね、その言葉が私の抱いている不明確なアイツへの印象の、その一つを言語化したものとして適していると感じたわ」
「あ、結乃もそう感じてたの?」
「不自然なのよ、アイツは」
「不自然?」
「そう、不自然さで塗り固めて自然な形に見せかけている張りぼてよアイツは」
残量の少なくなった飲み物をストローで啜る結乃は、目を細め何処か不満げな顔をしているように見えた。
「アイツの言葉自体に取り繕った感覚は無いわ。それはアイツ自身が基本的に虚偽申告を嫌うことに加えて、さっき言っていた嘘を嘘と認識できなくなったって評価に通じる所かしら。問題になるのはアイツの今の状態。その不自然なままに居るアイツと接していると、目の前にいるはずなのに何処にも居ないように感じるのよ。まるで蜃気楼か陽炎みたいに」
「へぇー、私は感じたことないなぁ……」
「……アンタ達はそうかもしれないわね」
「それはどういう意味で?」
「自分達で気付きなさい、それくらい」
「うわっ、なんか先生みたいだ」
「煩いわね、とにかくアイツと仕事してたり会話してたり、隣で歩いてると急に姿が消えるように感じる瞬間があるの。気持ち悪いったらないわよ」
「酷いなぁ」
「でもそうね。彼は強く堅牢なようで、ふとした瞬間に消えてしまいそうな儚さがあるとは私も感じたことがある。強そうであり弱そうでもある。堅固な様で脆弱にも見える。近くに居る様で遠く感じる。確かに不自然――――と言うか、不可思議ね」
「そう言う事、私はアイツのその不自然で不明瞭なのに、それでも嫌悪の感情が出ない事に疑問を持った。それだけ」
最後に残った中身を飲んだ結乃は、傍らにあった鞄に手をかけ立ち上がる。話は終わりだと、暗に示したその行動に私も月乃もそれ以上の追及はできないと理解した。それ故に、こちらも飲み終わった飲み物の容器を手に立ち上がった。
「楽しかったわ、聞きたかったことも少しは聞けたし」
「そう、私は疲れたわ」
「友達に対して言うセリフじゃないよねぇ」
「事実だから言ってるのよ」
結乃はプラスチック容器をゴミ箱に、私と月乃はカップを返却口に戻した。店の出口へと向かい出ると、結乃はこちらへ顔を向けた。
「アンタ達が何をしようと私の関する所じゃないから言わないわ。私は私としてアイツに今後接するし、問題を起こせば容赦はしないわ」
「それ、私達に言う事かしら?」
「後の方は我妻君に言うものじゃないかな?」
「……言うことは言ったわ、じゃあね」
そう言って結乃は踵を返した。遠くなる背中をしばらく眺め、私は月乃に向き直る。
「私達も帰りましょ」
「そうだね」
私と月乃もくるりと体を反転させ、ショッピングモールを後にする。空は未だに仄かな朱を縁に残しながら、螺鈿の如く散りばめられた星が紺色のキャンバスを飾っていた。
「ねぇ、夜姉」
隣を歩くもう一人の違う私が、私の名を呼んだ。
「どうかしたのかしら?」
「あのね、夜姉に聞きたいことがあるの」
「私に答えられる事なら」
双子の妹からの質問、同じ血を分けほんの少しの差で生まれた半身からの質問ならば、それに答えない事は無い。それでなくても可愛い妹なのだから。
「夜姉はさ、我妻君の事をどう思ってるの?」
「……どう、とは?」
「さっきの話をしてる時、夜姉の顔、凄く優しかった。我妻君と会話してる時も、お父様とかお母様と話してる時以上にふわふわしてるもん」
「それは貴女もよ月乃」
「えぇっ!?」
「貴女は顔によく出るもの、可愛いから黙っていたけれどね」
「もー!」
「でもそうね、私は確かに彼へ一定以上の感情を抱いていると思うわ。私達を『月夜』と『月乃』として見てくれて、見分ける力もだんだんと付いて来ている。今まで家族以外できなかったことができるかもしれない、その可能性を持った男性が現れたんだもの。大小については置いておいて特別な感情は抱いているわ」
「…………そっか」
「貴女は? 月乃」
「……わかんない、って言ったら多分結論を出すのが怖いからなんだけど。多分夜姉とそんなに変わらない……かな?」
「ふふ、曖昧ね」
「ぅ……」
「でもそれでいいの、きっと慌てて答えを探さなきゃいけないテストではないわ。じっくり、しっかり、彼の傍で彼を見ていけばいい」
同じ白百合色の髪を優しく撫でる。指の通りがいいその髪が私の髪と交わる。どちらがどちらなのか、わからなくなっていく。
「私と貴方は放っておけば曖昧になってしまう。姿も、認識のされ方も、考えも、この髪の様に」
「……だから、私はあの人を信じてみたい」
「私もよ月乃、彼が私達の今後を大きく左右するかもしれない。同じ意見ね」
「うん」
「……さ、帰りましょう。遅くなるとまた小言を言われちゃうわ」
「そうだね、夜姉…………ねぇ」
「なぁに?」
「もしも、夜姉と私のどっちも手を伸ばしたら、どうなるのかな」
月乃のそれは、恐らく不安なのだろう。だから私は、笑ってこう返した。
「…………さぁ、私にはわからないわ」
例えば、今まで嫌いなものとカテゴライズしていたものが目の前に現れたとしよう。当然嫌いなものなら敬遠するし、相手が生きていれば排除しようともする。それが自分の大切なものや場所に侵入しそうなら、どんな手を使ってでも阻止しようとする。私と言う人間は、そういう風にできている。
では、その嫌悪するべき対象を前にした時、自分がそれに拒否反応を示さなかったら。違和感と困惑を抱えながらもその相手を排除しようと行動に移らなかったら。その時私はどうなるのか。
答えは焦燥と苛つき、後は戸惑い。現に私はそれらに苛まれて行き場のない感情が蓄積して言っている。それをアイツに向けて発散できれば、解消できる場所があればよかった。でも、当のアイツは私が向けるそれらの感情を受けるに値するだけの行動をしてくれない。いつだってアイツは誠実なままにこちらを向き、愚直なまでに私を見据え、文句の差し込み用の無い行動で私に応えてくる。それでも理不尽にアイツを詰るだけの非道さがあれば、もう少し自己中心的に生きやすくはあったのだろうけど、残念ながら私はアイツと同じように、理由の道理が通らない行動や言葉が好きではない。何故ならば、理由も道理も無く一時の感情で弄ばれた経験があるから。自分がされた悪逆を、他人にすることの何が正しいのかと言いたくなる。だから、アイツと話していると否が応でも感情が刺激される。
それの正体も、アイツの事も、結局何もわからない。二ヶ月と少し、アイツに最も近い形で見ていたはずなのに、全くわからない。それが気持ち悪くて仕方がない。
「…………阿呆みたいね」
こんなこと無意味なのは分かっている。私自身こんな無意味な事に何時までも固執している自分がわからない。理解したくないのか。でも、アイツは謙虚なのか無遠慮なのか曖昧になりながら私の心を席捲する。
ムカつく。その言葉だけが私の今の感情を説明してくれる。
「…………あ」
歩いて歩いて、思考をひたすらに繰り返して歩いた私の前、と言ってもそこそこ離れた場所であるが、見知った顔があった。と言うか、今しがた考えていた相手だった。
街の明かりに照らされ、まるで様々な色が混ざり合うパレットの様な状態になっている白銀の髪を揺らしながら歩く男子。背丈も恰幅も良いその姿は、数多の人間が闊歩するその場においてもとても視界に捉えやすかった。
そして――――隣を歩く、黄色いアシンメトリーの髪の女子も、知っている。
楽し気に微笑むその少女は、何時も見ていた、昔から見ていた顔の何れにも当てはまらない。
優しい視線でその少女を見て、強張りの無い顔をしている青年は、普段私が見ている彼ではない様に見えた。
違和感は肥大する。苛立ちは加速する。不明瞭な感情は自分を呑み込んでいく。舌打ちすらしたくなる。何故、何故、何故、と。感情のままに詰め寄りたくなる。それができないから悩んでいるというのに。
やがて二人の姿は消えていった。無論、あの二人が旧知の仲であることは初めからわかっていたし、普段のやり取りからでも推測するのは容易い。放課後にああして肩を揃えて帰っているのも別段不思議な事ではないし、もっと言えば自分は何かを言う立場ではない。当然だ。あくまで友人であり、同僚の様なものなのだから。
でも、しかし、それでも、横にあるブティックのショーウィンドウに映る自分の顔は、険しいまま変わることが無かった。
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