第141話 存在の証明 2

 あたりは一瞬、水を打ったように静まり返った。その後、一気にどよめきが起きる。そのただ中でユヌス祭司長は大木のように佇んでいたが、決して冷静ではない。シャハーブは彼のまなじりが吊り上がっていく様を観察していた。


 聖職者たちが落ち着くのを待ってから、老人は重く口を開く。


「……なるほど、貴殿の話はなかなかに興味深い。しかし、確固たる証拠が示されているわけではない。そうであろう」


 シャハーブは答えない。あえて、腕を組んだ。


「月輪の石の件にしろ、天上人アセマーニーの件にしろ――今までの貴殿の話が作り話でないと、証明できるのかね?」


 ユヌス祭司長の言葉を聞いて、シャハーブは口の端を持ち上げる。


 かかった。

 心の中で呟いて、ほくそ笑んだ彼は、流れるようにこうべを垂れた。


「証拠ならございますよ。月輪の石についても天上人アセマーニーについても、この聖教本部内にその実態を記した書物が存在しております。聖女猊下に許可を頂き、文書管理室に保管されているいくつかの書物を拝見させていただきました」


 再びさざ波が立つ。その中でシャハーブは、露ほども動じず言葉を繋ぐ。閲覧した書物の名を挙げ、その中に『御使い』の存在が幾度も出てくること、また月輪の石を各地の『浄化』に使っていたことなどを淡々と、そして具体的に解説した。そして、月輪の石が壊れた、破裂した、という記述があることも。


 シャハーブは知らないことだが、その言葉を聞きながら、沈黙を守っている聖女が頬を引きつらせていた。参考のためとファルシードが見つけた書物に目を通してはもらったが、まさかそれをほぼすべて暗記されているとは思っていなかったのである。


 それはともかく、一通り具体例という名の「証拠」を列挙したシャハーブは、笑みを深めた。


「なんなら、文書管理室の方々にお願いして、現物を持ってきていただきましょうか?」


 その問いは、主にユヌス祭司長へ向けたものだった。人ならざる魂を抱えた人に刃を突きつけられた老人は、眉をひそめてかぶりを振る。「……いや、そこまでは結構」としぼり出した彼は、うっそりとシャハーブをにらみつけた。シャハーブは悠然とそれを受け止めて、目を細める。


「そして、もうひとつ。天上人アセマーニーの実在については、私という存在が証拠となります」


 ほう、とユヌス祭司長がささやいた。シャハーブはその姿をちらと見た後、視線をぐるりと後方へ巡らせる。警備と見張りのために立っている神聖騎士に目を留めた。ユタよりも少し年上らしい金髪の青年だ。


「騎士殿。少し、よいですかな」


 呼びかけると、騎士は怪訝そうな顔をしながら歩み寄ってくる。明らかに警戒している彼に、シャハーブは朗らかな笑みを向けた。


「短剣か小剣を持っておられませんか」

「それは……ここにあるが」


 腰の鞘を叩いた青年に、シャハーブは「それはありがたい」と笑う。直後、その短剣を指さして、ささやきを投げかけた。


「では、その剣で私を斬るか刺すかしていただきたい」

「……は?」


 若い騎士は目をみはる。彼だけでなく、近くにいた人々も困惑した様子で顔を見合わせた。シャハーブは、彼らの反応をまったく意に介さない。


「部位はどこでも構いませんぞ」

「いや、そういう問題ではないのでは」

「私が自分でやっても証拠になりませんからな。ぜひ騎士殿にお願いしたい」


 暗い色の瞳に雷光が走る。男の本性を垣間見た騎士が、顔を引きつらせた。彼はお伺いを立てるように、祭司長と聖女の方へ視線を投げる。祭司長が戸惑いながら、聖女が堂々とうなずくと、騎士は腰の小剣に手を伸ばした。


 シャハーブが半歩下がると、騎士もゆっくりと距離を取る。ほぼ無音で引き抜かれた小剣が、灯火を反射して鋭く輝いた。


 押し殺したような沈黙の中、騎士の靴音が高く響く。剣を低く構え、踏み込んだ若い騎士は、勢いのまま刃を男の方へ突き出した。


 シャハーブは、ただ立っている。避けることも、身構えることもしなかった。


 やがて、刃が体に到達する。


 狂ったような雄叫びと、音と、衝撃が場を満たす。

 紅き飛沫が飛び散って、刃が肉体から引き抜かれる。


 一連の出来事が終わるまでに、十秒もかからなかった。その間、シャハーブは微動だにしなかった。


 呼吸音を立てることも憚られるような、静寂。その中心で若き騎士は、呆然として旅人を見つめていた。我に返った後も、血のついた刃と彼とを何度も見比べている。


「なっ……これは、どういう……」


 手から始まって全身を駆け抜けた震えを抑えようとしたらしい。騎士は左手で右手を押さえつけながら、シャハーブを凝視していた。動転している騎士の、その眼前で、シャハーブは胸に手を当てて薄く笑んだ。


「いや、お手間をおかけしました。ですが、これは私がやっても自作自演としか思われぬでしょう?」


 嘲笑するでも威圧するでもなく、穏やかに目を細めた旅人は、そのまま軽やかに体を反転させる。旅衣の裾を翻し、傷ひとつついていない己の体を、観衆たちの前にさらした。


「――私はかつて天上人アセマーニーの力に触れました。その結果、魂の性質とやらが変わり、彼らにより近い存在となったのです。ただの人間のただの武器では、私を殺すことはできない。天上人アセマーニーが尋常でない存在であること、それが実在することの証明としては、十分ではありませんかな」


 シャハーブの滑らかな語りを、誰もが絶句して聞いていた。それは、彼を会議の場に呼んだアイセルとて例外ではなかった。シャハーブは、「天上人アセマーニーの実在を証明できる」とは言ったが、具体的にどうそれを示すのかまでは明かしていなかったのだから。


 ばけもの、と誰かがささやいた。シャハーブはそれを咎めはしなかった。ただ、その場で愛想の仮面を引きはがした。


「異端者、化物、魔物――なんと形容してもらっても、俺は一向に構わない。だが、忘れるなよ。証拠を示せと言ったのも、『月』のあり方を歪めたのも、あんたたちの方だ」


 挑発的に叫んだ男と向き合って、ユヌス祭司長が唇を震わせる。彼は何事かを言おうとした。だが、それが形になることはなかった。言葉が発されるより前に、二人の間に白い光が降り立ったからだ。


 部屋全体を照らし出した白光は、あっという間に集束して、幼子ほどの大きさになる。ユヌス祭司長や聖職者たちだけでなく、シャハーブも唖然としてそれを見つめていた。が、彼は光の下から現れた「人」を見ると、ため息をついた。


「おい、フーリ。またいいときに現れてくれたな」

「緊急の知らせがある。だから、君の前に転移させてもらった」


 唐突に現れた〈使者ソルーシュ〉はシャハーブだけを見ていた。ここが聖教本部の中であることや、人の目があることを、歯牙にもかけていない様子である。もしくは、気にする余裕もないのか。


 色々とあきらめたシャハーブは、フーリの知らせとやらを聞くことにした。


「『反逆者』の動きが活発化している。イゼットたちの前にも現れた。僕一人では対応が難しくなってきたから、君にもそろそろ戻ってきてもらいたい」

「……なるほど。俺も戻りたいのは山々だがね。その前に、ここにいる頭の固い者どもをどうにかして動かさないといけないんだよ」


 ささやいたシャハーブは、うながすように白い頭を叩く。そこでようやく、フーリは周囲を見渡す。人々の突き刺すような視線を受けて、天上人アセマーニーは無言で頭を傾けた。

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