55「ある勇者の消息」
「ところで君たちはクリヤーノから来たんだよね?」
「はい」
翌朝三人は、森の道を奥へ奥へと進んでいた。奉仕の段取りなどを再確認したあと、アーヴは唐突に言い、ソニアが返す。
「ふむ、勇者の噂話など聞いてはいないかな?」
アーヴは吸血との対決に向かっているにも係わらず、昨日と同じ優しげな表情を崩さない。そして余裕の経験値がこの話なのであろう。
王都から来た、勇者を気に掛けている冒険者。実力十分との触れ込みである。
「勇者――、一年前に王都で戦った勇者ですか?」
神の加護を受け、その力を使い世界を守り悪魔と戦う。人々はその人間を勇者と呼んだ。
歴史上数多くの勇者が現われこの世界を救っている。リュドレは当然に、直近の勇者のことだと思った。
「そう、その勇者だよ!」
「戦いが終わってから貴族の称号を得て、領地を治めていると聞いていますが……」
それが勇者のその後の話である。一般的に流れている情報だ。ただその領地が何処かは非公開となっていてた。
「勇者様は拝領を返上した。今はいち平民として暮らしているそうだ。御立派なお方だよ」
勇者が全ての報酬を断った話は、特に世間に広まってはいない。今もどこかで暮らし世界の危機には駆けつける、が王国の正式発表である。
「まさかクリヤーノにいるのですか?」
「極秘だがね」
二人の話を聞きながら、ソニアは興味がなさそうに空を見上げた。極秘と言いつつ、いかにも簡単に話をしてしまうアーヴに悪意はないと分かる。ここは無関心でいこうと決めた。シスターと神父は秘密だと念を押されれば他言などはしない。
「そんな話は聞きませんでしたけどねえ。私は研修で半年いただけですし――、シスターソニアはどうですか?」
「私も聞いたことはありませんわ」
ソニアはそっけなく返事をする。確かに噂などにはなっていないから、嘘ではなかった。
「そうか……。よほどの悪魔でも現われないかぎり、勇者様自らの御出陣もあるまい。平和なのだな」
「吸血が活発に活動しているようです」
「うむ、我々がここで仕事をするくらいだ。この戦いもまた、勇者の前衛であるな」
アーヴのような元騎士が街に来てくれるのは、ソニアとしても教会としても喜ばしいことである。一部の貴族は冒険者ギルドの介入を嫌っているからだ。それにしてもアーヴは勇者に話を結びつけすぎだ。
「なぜ勇者のことを?」
リュドレも考えは同じである。ソニアもそのこだわりに興味があった。
「私はあの大戦で勇者と共に戦った。そして魅了されたのだよ。すばらしいお方だった」
「おおっ、この国を、世界救った神の使いと共に……。それはよい経験でしたね。我らもいつも神の近くありたいと願っております。私も勇者様のご尊顔を拝したい。羨ましい限りですよ」
二人の話を聞いていたソニアは思わず首を捻ってしまった。本当にそうでした? 勘違いですか?
リュドレはやや大袈裟に、いつもの調子で話を合わせる。これをやられた若いシスターたちが、憧れの一線を容易に越えてしまいそうになったのも分かる気がした。
「神の力を持ちながら、誰よりも人としてありたいと願っていたよ」
「ほう……」
リュドレはまたまた大袈裟に驚いて見せるが、聞いていて体中がくすぐったくなるくらいであった。褒めすぎであろう。ソニアは表情を崩すまいと引き締める。たぶんお金とか仕事とか、小さな話はしなかったのだ。
「いや、君たちに神が何かを説くなどと失礼した」
「いえ、人はそれぞれの神と共にあります」
「なるほど……」
つまりその勇者が、アーヴにとっての神のような存在であるとリュドレは神父として説いてしまった。それはない。話を合わせすぎである。
「その勇者様に、加護を与えた神はどなた様なのでしょうか?」
ソニアは少々まずいかと思い、軌道を修正する。その神こそアーヴが崇める神であるべきなのだ。
「それは聞いてはならぬとの不文律であった。もちろん勇者様自ら語りもしなかったがね――」
言われてみればソニアも聞いたことはなかった。それはかなり上位の神――。悪魔は序列第二席のベルゼブブを押し立て、それを退けたのだから……。
「――勇者を見いだしたその神こそ、私の信ずる神と言うべきだな。うむ……」
さすが元騎士様はよく分かっている。ソニアは胸を撫で下ろした。ただの人間を神と崇めるなど、今の社会秩序を混乱させるだけだからだ。
「それで勇者様を追ってクリヤーノへ?」
「それもあるが私の出身地域なんだ。暇をもらって故郷に帰るのさ。父も母も兄弟も王都暮らしで、私は領地を継ごうと思った。これも勇者様のお導きだよ」
「それは素晴らしい。まさに神の導きですね」
ソニアはまた首を捻ってしまう。それはただの偶然であろう。
「おっと、話はここまでのようだね」
「ええ、奉仕の相手です……」
血の臭いでも感じたのか、前方から目標が近づいて来た。こちらを獲物と感じているようだ。
元は街に住むただの少女であった。しかし運悪く吸血への適性があり、感染してから悪魔に呼ばれて森の奥へと入ったのだ。そして人間を襲いつつ吸血感染を拡大させ、吸血の使い魔と融合を繰り返す。体の半分程度が人間の肉体であり他は使い魔の集合体となっていた。
「打合わせ通りだね。私が前衛で戦おう。援護を頼むよ」
アーヴは臆することも気負いもなく、流れるような動作で剣を抜きつつ前に出る。
「まだ浄化できそうですわ。攻撃は使い魔の部分だけにして下さい」
「見たところ、もう吸血鬼となる一歩手前のようだが……」
そしてピタリと止まり、問い掛けるような表情でソニアを振り返った。
「やってみます」
「ふむ、いいだろう」
身を危険にさらして戦うのに、融合している吸血だけへの攻撃など困難であるが、アーヴはたやすいとばかりに頷いた。そのまま何事もないように、鬼と呼ばれる一歩手前の少女に歩み寄る。
成り行きを見守っていたリュドレは、慌てたように胸から問題の
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