23「シスターソニアの奉仕」

「薔薇の奉仕依頼が来ました」

「またですか……」

「ええ、今年は多いですね」


 教会、孤児院の朝の仕事が一段落した後、院長室でマザークラリスンは中央教会からもたらされた依頼を口にする。

 薔薇とは血の色の隠語だ。奉仕は浄化を意味する。


 ここの教会はクリヤーノの街、西方に位置している。ここの担当地域でまたしても人が吸血の魔に感染したのだ。


「場所は街道を西へ進んだ最初の宿場街です」

「近いですね……」


 以前はその先の街だったが確実にこの街に迫っているように感じて、シスターソニアは眉をしかめた。


「あちらの教会には連絡済みとのことです」

「分かりました。すぐに出発いたしますわ」

「シスターたちの仕事も手伝ってあげて下さいな」

「はい」


 ソニアはその二人の顔を思い出し、クラリスンの言葉に微笑で返す。



 いつでも行けるようにと荷物はまとめてある。ソニアは大ぶりのバッグを肩に担いで教会を出た。


 街道を歩くと道行く人々、農夫や商人は皆会釈をし、ソニアはそれに返した。


 神の奉仕者たるマザーやシスターは人々に尊敬される存在なのだ。


 白と黒の特徴的な衣装。そして胸に結んだだいだい色のスカーフは聖女の証だ。聖母のマザーは深紅、そして一般のシスターは桃の色。


 一目で誰もが、この年端もいかない少女が驚異の力を持つ聖女だと分かるのだ。



 昼過ぎには農地の中に、島のように小さな建物が立ち並ぶ宿場街に着く。


 元々は周辺農家の農作物を出荷する集積所と事務所、雑貨屋、酒場程度の集まりだった。


 しかし予定が狂い、夕暮れまでクリヤーノに着けない旅人などが宿泊を希望するようになり、気が付けばこの集落は小さな宿場街になっていた。


 短い街の通りを歩き森への道を曲がると、農地の中にポツンと建つ小さな教会が目に入った。



 玄関のベルを鳴らすとすぐに二人の老シスターが現われる。


「いつもすいませんね。ソニア」

「とんでもございません」


 ソニアは奉仕意外の仕事でも色々な手伝いで時折この教会を訪ねていた。


「マザークラリスンからは、早く行ってこちらの仕事を手伝うように言われましたわ」

「まあまあ、クラリスンは昔から先輩思いでしたからね」

「そうですわね。優秀な聖母は先輩思いでなくてはなれませんもの」


 出迎えてくれた二人は、そう言って笑い合う。ただのシスターではあるが、若い頃クラリスンと共に王都の教会で研鑽を積んだ同志のような存在だ。


 マザーとなるほどの力量と人柄、人望その他を全て持ちながら、民衆と接する道はこれと決めて普通のシスターのまま、この小さな教会で奉仕を続けている。


 ソニアにとってはクラリスンと同じく尊敬の対象だった。


「それでしたら午後の懺悔をお願いします。いきなり若いシスターが接し信徒はびっくりして、それだけで救われるでしょうね」

「ソニアお昼は食べたの?」

「まだですわ」

「私たちもこれからです。御馳走するわね」


 宿泊用の部屋に荷物を置き、そして三人で御馳走と言われた質素な食事をとった。



 午後の懺悔の時間となり、ソニアは告解の部屋に入る。


 懺悔に来た少年はソニアの声を聞いて確かにびっくりしていた。


 その内容は思いを寄せる少女に、何もできない自分を悔いる話であった。


「あなたの祈りは必ず届きますわ」



 夕刻になり仕事を終えた農夫たちが、次々と祈りの時を求めて聖堂を訪れた。


 そしてソニアの姿を見咎め、あるものは静かに頷き、ある老夫婦は互いを見合う。驚いたような仕草から苦渋に顔を歪める者もいた。



 集落が魔の闇につつまれ、ソニアは一人蝋燭が灯る聖堂で神の彫像の前に跪く。


 昼間は明るい光を浴びて人々に希望を与えるステンドグラスは黒く染まり、まるでその先が悪魔の領域のように思わせた。


 音もなく空いた扉から、燭台を持つ二人のシスターが滑るように進み入る。


「動きだしました……」

「私たちの祈りも通じず、残念です」


 二人の魔力行使は目標の浄化には至らず、そしてついに探査がその直接の行動を捉えたのだ。


「行って参ります……」


 ソニアは立ち上がり二人に振り向いた。



 月明かりの元、人気のない通りをふらふらと歩く少女の前に、神の奉仕者たるシスターが立ち塞がる。


 ソニアの素性を知ってか知らずか、少女はいきなり叫ぶように話し始めた。


「父は病気がちで、母と私は朝から晩まで農地を耕さなければ生きていけない。弟と妹はいつも――わがままばっか!」


 少女の目は真っ赤に染まり、血の涙が流れ始める。


「あはははっ、吸血鬼になれば好きなことが出来ると、この吸血の衝動が私に言ってるわっ! 吸えば、それだれで私は幸せを手に入れられるっ! そう言ってる……」

「なぜあなたは、今までそれ・・をしなかったのですか?」

「それは――私が人間だったからよ。そして私は今夜! 人間を――捨てる……」

「……」


 これが悪魔の誘惑だ。少女はずっと一人で戦ってきた。


 ソニアは首に掛けていた十字架を外す。


「シスターの血は旨いと、私の中の吸血が言ってる……」

「あなたはわたくしがお助けいたします……」

「また絶望の淵に、私を追い込むの?」

「いえ……」


 建物の影、狭い路地から次々と人々の黒い影が現われ、松明が灯された。


 教会でソニアの姿を見咎めた村人たちには、今夜が浄化の夜だと分かっていたのだ。


 泣いている夫婦と小さな二人の子供がいた。どうやらこの少女の家族のようだ。


「ちょうど良かったわ。最初は教会って思ったけど――、この場所で全員一緒に吸血の使徒になりましょう。それから皆で教会に……、あははははっ――」


 少女は両手を広げて、まるで踊るようにクルクルと回る。そしてソニアを向いて脱力したように立ち尽くした。


「最初はこのシスターよ!」


 飛び掛かる少女に、ソニアは十字架をかざす。それはただの十字架ではない。吸血を浄化する魔導具だった。


 この場に居合わせた村人は、いきなり発した明るい輝きに目を覆う。


 そして薄く開けられた目に映った光景は、両手を振りかざしたまま空中で止まる少女。そしてソニアの右手。


 十字架クルスから発した光が、少女を貫いていた。


「あ――、あ――っ、あっあっ……」


 悲鳴でもない、慟哭でもない。それは少女自身の叫びであった。これが浄化だ。


 徐々に光りは収まり、少女は地面に降り立つ。ふらふらと揺れ足元はおぼつかないが、輪の中から一人の男の子が飛び出し後ろから抱きかかえる。


「俺が、俺が……」

「あら、久しぶりね。どうしたの? なぜ泣いているの? 昔から泣き虫さんよね……。ねえ、笑って? 泣いてちゃダメよ……」


 あの懺悔に来た少年だとソニアには分かった。そして正気にもどった少女は泣く少年を慰める。


 聖女が浄化出来るのは魔だけだ。彼女の心の内はどうにも出来ない。


 だけどこの少女はもう大丈夫だと、ソニアは思った。

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