6 予言を覆す力-10-

 朦朧とした意識の中、シェイドはそれを見ていた。

 前に立っているのはライネで、その向こうにドールがいる。

(なんとか……しなきゃ……)

 そう思うが体は動かない。

 気を抜けば眠ってしまいそうになる。

 どの程度の魔法を使えばどの程度の疲労を感じるのか――それを彼は全く分かっていなかった。

 体内にはライネを援護できるだけのミストは充分残っているが、それを使う力がこの少年にはなかった。

 だから彼は肩で息をしながら、それを見ていることしかできなかった。

 視界の奥から放たれた光がライネの脇腹を切り裂いた。

 血液が中空にばらまかれ、地面にまだらの模様を描く。

 戦の熱を帯びていた土がそれを吸い込み、辺りを赤黒く変えた。

「う……くっ……!」

 痛みにライネは体勢を崩したが、かろうじて持ちこたえる。

 だが、それだけだ。

 彼女には遠く離れた敵への攻撃手段がない。

 四肢の装具もシールドを展開する類のものではない。

 つまり彼女が生き延びる方法はシェイドを見捨てて逃げるか、彼を危険に晒すことを覚悟でドールたちに肉薄するか、しかない。

 後者は――もはや不可能だった。

 シェイドを庇ってできたいくつもの銃創が、彼女から俊敏さを奪った。

 自分が倒れれば、その次は彼だと分かっていても、動くことはできなかった。

 命を懸けるなんてバカバカしい――とは思わない。

 警備隊という生き方を選んだのは彼女の意思だし、任務にかこつけて外に出たいと思っていたのも事実だ。

 その結果は受け入れなければならない。

「………………」

 ライネはドールを見据えた。

 まだ諦めてはいない。

 最後の最期まで、この少女は諦めない。

 銃口が火を噴き、光弾が放たれた。

 真っ直ぐに飛んだ光の刃が、ドールの右腕を吹き飛ばす。

 続く一撃が頭部を撃ち抜き、それはただのガラクタと化した。

 不意の攻撃にもう一体のドールがその出所を探る。

 が、それを光学的に捉えた瞬間、視界はまばゆい光に包まれたあと真っ暗になった。

 緊張から弛緩へ。

 ひとまず脅威が去ったと見たライネはがくりと膝をついた。

 シェイドを守りたい、という一心が忘れさせていた激痛が全身を襲う。

 銃を収め、ドールの残骸を跳び越えるようにしてフェルノーラが駆け寄る。

「いまの……フェル、か……?」

 彼女は頷いた。

 壁を背に座り込むシェイドを認めたフェルノーラは、ライネが負傷した理由をすぐに理解した。

 ドールの射撃精度が低いのか、射線を見切って寸前で躱したのか、致命傷には至っていない。

 しかしいずれもかすった程度とはいえ、出血量は少なくない。

「ちょっと待ってて!」

 フェルノーラはライネの太腿に両手をかざした。

「……なにするんだ?」

 目を凝らしても見えないほどの小さな光の粒が指先に生じた。

 金色の、あまりに弱々しい光だ。

「フェル……?」

「静かにして! 集中できないから!」

 光の粒子はまるで行く先を知らないようにふわふわと宙を漂っている。

「私、こういう魔法は苦手なの!」

 ライネに対して、という言葉を遣いたくない彼女は、これが初めて使う治癒の魔法だと気取られないようにした。

 指先に意識を集中し、力を込める。

 淡い金色の輝きはまだ目的地を定められずにいる。

 そよ風になぶられるように光は明後日の方向へ流れた。

(どうしてできないの……!?)

 力を見せつけたいワケではない。

 魔法の力があると証明したいワケでもない。

 ただ、彼女に助けられたままではいたくない。

 それがこうしている理由だ。

 しかしその想いに反し、金色の瞬きはさまよい続けている。

「………………」

 ライネは何か言いかけてやめた。

 フェルノーラが何をしようとしているかは分かったが、いっこうに効果を及ぼさない。

 つい先ほどシェイドの魔法を見たばかりとあって、彼女のやり方はうわべだけを真似しているように見えた。

(お願い…………!!)

 フェルノーラは嘆願した。

 途端、粒子の動きが変わった。

 ほのかなミストの輝きが蛇行しながらも傷口へと吸い込まれていく。

 その効力は薄い。

 とはいえ治癒の魔法は対象の回復力を促進させるものだ。

 だから完治はできなくとも止血くらいはできる。

 どうやら成功らしいと安堵したフェルノーラは、表情を変えることなく他の傷にも同様に治癒を施した。

「あとでお医者さんに診てもらって」

 立ち上がったライネは試しにと手足を動かしてみた。

 痛みはほとんど感じない。

 わずかに残る違和感は軽い打ち身程度のもので運動に支障はない。

(初めてだったけど、うまくいったみたい――)

 フェルノーラは短く息を吐いた。

 よほど運が良かったか、これまで魔法の力を必要とするほどの怪我とは無縁だった彼女は、この種の魔法は不得手だった。

 ミストの使い方も、いま腰に提げている銃に弾丸代わりに込める程度しか知らない。

 即興の魔法が成功したのは、ひとえに彼女の意地によるものだ。

「――フェル」

 死を覚悟していたライネは、激痛を遠い過去のものにしてくれた彼女に、

「助かったよ、あり――」

 謝意を伝えようとした。

 だが言い切るより先に、

「ちゃんとから」

 フェルノーラは拗ねたように言い、そして微笑した。

 その表情はどこか勝ち気だった。

 目をしばたかせたライネだったが、しばらくしてその意味を理解すると、

「フェルってさ、かわいいとこあるよな」

 吹き出しつつそう言った。

「バ……バカにしてるの!?」

 彼女は耳まで真っ赤になって反駁した。

「してないって……いや、ちょっとしてるかも?」

「ん…………!!」

 声にならない声をあげ、フェルノーラはふいとよそを向いた。


 ほどなくして駆けつけた数名の従者が良い報せをもたらした。

 襲撃者が投降した、という。

 それをぼんやりとした意識の中で聴いたシェイドは小さく頷いた。

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