2 プラトウへ-2-

「本当ですか!?」

 アシュレイが持って来た話にシェイドは思わず身を乗り出した。

「ええ、関係各所との調整がつきました。今回、急を要する措置ということにしておきましたので――」

 10日程度なら外出しても問題はない、と彼は言う。

「それじゃあ僕、皆さんのお手伝いができるんですね?」

「ただ、どこでもというワケにはいきません。紛争地域等のシェイド様の身に危険が及ぶような場所は控えてください」

 この少年は平和の象徴でもあり、エルディラントの礎でもある。

 こればかりは譲るワケにはいかなかった。

「分かりました。あの、こんな個人的なことばかり言って悪いんですけど……」

 と、あくまでへりくだる彼はまだ自分の立場を理解していない。

「……最初にプラトウに行ってもいいですか?」

 途端、アシュレイの顔色が変わった。

「プラトウ、ですか……?」

 再考を促すように聞き返す。

「ダメでしょうか……?」

 すがるような視線は弱々しく、しかしたしかに訴えかけてくる力がある。

 拒む理由などない。

 かの地は比較的安全であるし、なによりシェイドにゆかりのある地域だ。

 彼が言ったように個人的な理由から行きたがっていることも理解できる。

「シェイド様のご意思であれば引き留めることはできません。ですがあの町で起こったことを考えると気がかりなのです――」

 はっきりと言葉にはしないものの、アシュレイは彼の心情を慮った。

 一生をかけても癒えないほどの傷をこの少年は負っている。

 それも生まれ育った町で、だ。

 そこに復興のためとはいえ即位してから1ヵ月足らずで戻してもよいのだろうか、という懸念が拭えない。

 いま戻ればまだ癒えかけてすらいない傷口をさらに広げることになりはしないか。

 国中が不安定な状態だ。

 その上さらにシェイド自身の精神が不安定になるのはまずい。

「僕は今まで――」

 彼は窓の外に目をやった。

「プラトウから出たことがなかったんです。家と山と……それから余裕がある時に大きな町に行くくらいでした」

 貧しい家の子は同じような生活を送っている。

 シェイドが皇帝になったところでただちに税制が変わるワケではなく、今も多くの子どもたちが当時の彼と同じ境遇にある。

「だから……僕にとってのはじまりはプラトウなんです。まずはあの町を元通りにしたいんです」

 アシュレイにも故郷はあるから彼の気持ちはよく理解できた。

(この子が顔を見せればプラトウの住民も元気になるか……)

 今や一国の長となった彼が出身地の復興に直接関与すれば片贔屓との批判を受けるかもしれない。

 だがその程度の批判ならあってもかまわない、とアシュレイは思った。

 ペルガモン時代には役人への些細な不満を漏らすことすら許されなかったのだ。

 強権的な時代が終わり、為政者に異見することも許される――それこそが健全な国のあり方だと彼は思う。

 そしてもしその批判の声が心無いものであるなら、幼い皇帝の耳に入らないようにすればいい。

「シェイド様がよろしいのなら私は何も言いません。本来であれば私かグランが同行すべきなのですが――」

 重要性の高い案件をいくつも抱えている重鎮は付き添うことができないという。

 シェイドの護衛より重要な仕事などないハズだが、今はわずかな手抜かりも許されない状況だ。

 必然的に重鎮が各地を飛び回ることになり、魔法の練習に付き合ったり読み書きを教えたりという時間を取るのは難しい。

 しかし大きな支障はない。

 宮殿内には信頼できる高官や教導役が多くいる。

 彼らが大いなる助けとなるだろう。

「――そこで私の代わりに彼女を付けます。ライネ、挨拶を」

 後ろに控えさせていた代役を呼ぶ。

「ライネ=アドリッドだ。よろしく!」

 大股でやってきた少女は勝ち気な笑みを見せて言った。

「言葉遣いを教えただろう。ほら、もう一度だ」

「え~? いいじゃん……じゃないですか、別に――」

「そうはいかない。きちんと教えたとおりにするんだ。君臣のわきまえがなってないぞ」

 アシュレイは厳しく叱責したがライネはどこ吹く風といった様子だ。

「あの、アシュレイさん、僕はそんな言葉遣いなんて気にしてませんから……」

 不穏な空気をどうにかしたくてシェイドが口を挟むと、

「ほら! シェイド君だってそう言ってるじゃん。気にし過ぎだって」

 彼女はそれ見たことかとしたり顔で言う。

 これにはアシュレイも思わず舌打ちしてしまった。

「申し訳ありません、私の教育不足で――!」

「本当にいいんです。そのほうが僕も楽ですから」

 低頭した彼は改めて彼女を紹介した。

「ライネは元々、宮殿の警備隊なのです。今回、シェイド様の護衛ということで抜擢しました」

「警備隊? ライネさんって僕とあまり変わらないですよね?」

「14だよ」

 この国には就業における最低年齢はない。

 年齢制限を設けている業種や職種もあるが、たいていは本人の意思と保護者の同意があれば職に就くことができる。

 これは就業の自由が認められているからだが、それ以上にそうまでしなければ成り立たない家庭が多いことが関係している。

「あ、じゃあ僕よりひとつ上なんですね」

「そっか~……ならアタシのこと、お姉さんって呼んでいいぜ? ……ああ、今のは冗談」

 アシュレイに睨まれたライネは肩をすくめた。

「あまり無礼が過ぎると護衛の任からはずすぞ?」

「だから冗談だってば! ほんとに失礼なことはしないし言わないから!」

 今のも充分過ぎるくらいに失礼だぞ、という言葉を彼は呑み込んだ。

「どうかお許しを。久しぶりに外に出られるということで少々、浮ついているようで――」

「でもアシュレイさんが選ぶってことはとても頼りにしている人ってことですよね?」

 言われて彼はちらりとライネを見やる。

「調子に乗るので本人の前であまり言いたくはありませんが、彼女の格闘センスは本物です。実力も警備隊随一と言っていいでしょう」

 どうだ、とばかりにライネは胸を張った。

「魔力が規定値に達していないために軍の所属とはなっていませんが……正直なところ基準を変えてでも白兵隊に欲しい逸材です」

 珍しく饒舌な彼を不思議に思いながら、シェイドは改めてライネを見た。

 露出の多い活動的な服装はおそらく彼女の好みであろう。

 引き締まった足は筋肉のいびつさを感じさせない。

 むしろ健康的でシャープな流線型は、力強さと身の軽さがぶつかり合わずに同居している。

 肉付きの良い褐色の肌は堂々とした立ち居振る舞いもあって頼りがいがある。

 しかも14歳にしてはかなりの長身でシェイドは一瞬、彼女にソーマの影を重ねた。

「ま、そういうことだ! アタシがしっかり守ってやるから安心しなよ!」

 褒められたことがよほど嬉しかったのか、ライネはショートにした金髪を触りながら言った。

「その軽さを改めてくれれば言うことはないんだがな」

「身軽さが最大の長所だって、こないだ言ってくれたじゃん」

「そういう意味じゃない」

 なんでお前はそうなんだ、と彼はため息まじりに小言を述べた。

「とにかく任務を怠らないこと、それから無礼な振る舞いは慎むように」

「分かってますって! ただの警備よりよっぽど遣り甲斐あるし!」

 今がペルガモン政権でなくて良かったな、とアシュレイは思った。

「明日には発てるよう手配しておきます。シェイド様もご準備をお願いします。多分、今日はお仕事が殺到すると思いますが」

 そればかりはどうにもならない、と彼は申し訳なさそうに言った。

 仕事といっても押印が大半だ。

 難しいことは補佐官が引き受けてくれるから、達成感のなさと退屈である点を除けばさほどの負担はない。

「すみません、僕の勝手なわがままで――」

「皇帝のお望みを叶えるのが私たちの務めですので」

「じゃあ僕、準備してきますね!」

 ここしばらく見せていなかった笑顔でそう言い、シェイドは自室へと走っていった。


「――ライネ」

 低く、突き刺すような呼びかけに彼女はびくりと体を震わせた。

 先ほどの無礼な振る舞いのことで叱責されるのでは、と身構えたところに、

「初めて話してみてシェイド様のことをどう思った?」

 表情険しく彼は問う。

「どう、って……見た目? ……ですか?」

「印象でもなんでもかまわない。思ったことを言ってくれ」

 ライネは返答を渋った。

 彼女は言葉を飾るのが苦手だから、思ったことを思ったとおりに言えば不興を買うかもしれない。

 シェイドの機嫌を損ねるだけならまだしも、アシュレイを怒らせてしまうとせっかくの抜擢をふいにされかねない。

「気にしなくていい。素直な感想を訊いているだけだ。それがどんなものでも怒ったりしないぞ?」

「あれ、分かっちゃう?」

「それくらい、分かるさ」

 ライネはばつ悪そうに俯き、

「そうだなあ……素直でおとなしくていい子?」

 彼の反応を窺うように言った。

「絶賛じゃないか」

「それと気が弱そう、かな。ちょっときつく言われたらすぐ謝っちゃいそうな」

「――私から見てもそうだな」

 アシュレイは苦笑した。

 どうやらシェイドには裏表がないようだ。

「お前が見たとおりだ。今のシェイド様には誰かが傍についていなければならない」

 きわめて優しい口調で言ったあと、彼の視線は彼女に向けられた。

「まだ子どもだ。遠い町から連れて来られて周囲は大人ばかり。しかもそれが揃って慇懃な役人とくる」

「うん――?」

「歳の近い子がいないんだ。きっとそれも重荷になっているハズ」

 ああ、とライネが息を吐いた。

「それでアタシが選ばれたワケか」

 その口調は少し不満げだった。

「能力を買っているのは本当だぞ。だからお前が適任だと思ったんだ」

 彼はわざとらしく咳払いをして続けた。

「さっきは窘めたが、お前のあの自然な接し方はシェイド様にとっては心地良かったハズだ」

「矛盾してない? それならみんなそうすればいいのに……」

「そういうワケにもいかないんだ。皇帝としての尊厳を保たなければ国が乱れる元になる。少なくともこの混乱期では厳格すぎるくらいがちょうどいいんだ」

「ふーん」

 ライネは納得したことにした。

 頭の良い大人の考えはよく分からない。

 そもそも彼女がまるで友人のように話している相手自身、シェイドに次ぐ権力者だ。

 同じく不敬だと罰せられてもおかしくはない。

 それを許しておきながら、シェイドへは尊厳を……では辻褄が合わない。

「――まあ、そういうことだから……ライネ」

 アシュレイは軽く身を屈めて囁いた。

「あの子に対してはそこまで畏まらなくていい。彼もそう望むハズだ。ただし公の場ではそれなりの振る舞いはするんだぞ」

 彼はそれ以上のことは言えなかった。

 重鎮といえども臣下のひとりだ。

 皇帝への不敬を奨励するなど言語道断だ。

「ん~? それってシェイド君の友だちになってあげて、ってこと?」

「私の立場でそんなことが言えるワケがないだろう?」

「………………」

 ライネ=アドリッドという少女は快活だが愚かではない。

 彼女は何か考える素振りをしてから、ちらりとアシュレイを見やった。

 察してくれ、という顔をしている。

「しょうがないなあ、じゃあアタシが自発的にあの子の友だちになってあげるよ」

 だから彼女はそうした。

 うまくアシュレイに貸しを作ることができたライネは満足そうな笑みを浮かべた。

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