74 再会(5)

 アイリは先刻の取り乱しようを疑うほどに、平然としていた。テオにその心理は理解できなかったが、いつまでも屋敷に引き籠られていては困るし、ミコトに対する執着をむき出しにされていたら目も当てられない。彼女の変化には安堵していた。

 手当をしたキャロルにこれまでの非礼を詫びる様子を見ていると、改心したというよりは、正気を取り戻したように見えた。薄情なことに、ミコトやライナーはどこかに姿を消してしまっているが、アイリがそれを気にしている様子はない。むしろテオがふたりを探しに行こうとして、彼女に止められたくらいだ。

「少しくらい、ふたりで話をさせてあげて」

 ミコトとライナーが顔見知り以上の仲であるのは理解しているが、それほど親密な仲なのだろうか。それをアイリが知っているとなると、謎は深まるばかりである。

 テオは首を捻りながらも、その場に留まってアイリの様子を見守ることにした。アイリの言葉に何かを察したのか、レベッカは苦笑している。テオの視線を感じたのか、咳払いをしてから口を開く。

「今後はどうなさるおつもりです?」

 アイリは困った顔をしたが、不愉快そうには見えなかった。しばらく考えて、落ち着いた口調で答える。

「まだ今後について考えられる状態ではないですが、ここに置かせてくださいと申し上げるのも心苦しいですね。少し考えさせてください」

「もちろん急かすつもりはありません。長引いても構いませんから、ごゆっくりお考えください。むしろ私たちにとっては、騒がれるほうが面倒ですから」

 わずかに嫌味を含んだレベッカの言葉にさえ、アイリは華やかに笑って見せた。その様子に、テオは薄気味悪さを覚える。


 屋敷で起きた騒ぎについて報告を受けたにも関わらず、教授は驚く様子もなかった。ふらりと戻ってきたミコトに対し、突拍子もなく帰省を命じた。

「大仕事が終わった後だ。お父上も心配しているかもしれない。一度顔を見せてきたらどうだ。面倒事は任せておけばいい」

 ミコトは気乗りしない表情だったが、提案を断りはしなかった。教授も父親として思うところがあるのだろうから、その気遣いを無下にするつもりはないのだろう。テオは遠目に見ていたが、ミコトの忖度が手に取るようにわかった。

「では、そうさせて頂きます」

「そうだ、テオも連れて行ったらどうだ? 退屈ですぐに戻ってくるくらいなら、ふたりで息抜きでもして来たらいい」

 これにはミコトもテオも、目をぱちくりさせるしかなかった。人の帰省についていくなんて、気まずいだけではないのか。

「はあ……」

 テオには教授の意図が読み取れなかったが、そもそも大した考えはないのかもしれない。ミコトが振り向く。

「テオがよければ」

 テオに選択権はない。

「べつにかまわないけど……」

 こうして、ふたりでミコトの実家へ向かうこととなった。


 ミコトの故郷である西地区は、雑多な印象を受ける中央地区とは異なり、邸宅の並ぶ上品な居住区だった。ちらほらと見かける住人も、品の良さが見受けられる。ここでテオは、ミコトが養子であることを思い出す。

「お金持ちが多そうだね」

「実際そうなのかもね。治安は良いみたいだし、静かで悪くはないけど」

 好きじゃない、とでも続きそうな表情だ。

 ミコトの第一印象にはぴったりだが、この期に及んでミコトに似合う街だね、だなんて、テオは口が裂けても言えない。そんなこと、思ってもいない。

「ついてきてもらって悪いんだけど、私が実家に挨拶する間、待っててもらっていいかな? そんなに時間はかけないから」

 帰省したというのに、挨拶だけで済ませる気なのかとテオは驚いたが、ミコトもさぞかし複雑なのだろうと、勝手に納得する。

「わかった。でも、挨拶だけでいいの?」

 ミコトはちょっと笑って、肩をすくめた。

「泊まることになったら、テオだって気まずいでしょ? かといって、長々と待たせるわけにもいかないし。私も気まずいことが山ほどあるんだ。それに、あの家を実家と呼ぶのも相応しくないし、帰ったところで、家族で団欒することもないから」

 テオが文句を言うことではない。父親は多忙な経営者と聞くから、帰省した娘とのんびり話をする時間すらないのかもしれない。テオは曖昧に頷いておいた。


 オリヴァー家の屋敷は、いかにも良家の屋敷という風格を備えていた。建物には飾り気がないが、華やかな庭が彩りを補完し、どこか絵画めいて見える。

 ぽかんと口を開けているテオを見て、ミコトが笑う。

「それじゃ、ちょっと行ってくるね」

「べつに急がなくていいよ」

 ひとまず荷物を預かって、門扉の前で別れることとなった。躊躇うことなく門を開けるミコトを、テオは見守る気持ちで見ていた。

「退屈だったら、荷物を置いたまま散歩してきて大丈夫だから」

 それほど治安が良いのか。しかしさすがに荷物を放っておくのは心配なので、ひとまず門扉の前で待つことにする。


 ミコトはどんな挨拶をするのだろう。テオはぼんやりと考えていた。

 エルピスの存在は、当然父親も知らないのだろう。ミコトの計画に巻き込まれた父親は、彼女のことをどう思っているのだろうか。ミコトが女神の末裔であることを、彼は知っていたのだろうか。彼女の数奇な運命に、どれほど思い至っているだろうか。

 そこでふと気づく。エルピスの記憶が母親から受け継がれているのなら、ミコトは母親としてのエルピスの記憶を、どこまで知っているのだろう。場合によってはそれは、自分が生まれる前の記憶があるという奇妙な矛盾のみならず、自分の存在認識すら揺らぐような、ねじれにもなり得るのではないか。ミコトは父親を、父親として見ることができているのか? さらには――。

 テオは身震いする。それ以上考えるのを、本能的にやめた。これはただの妄想にすぎないが、事実であったら耐え難い。

 どれだけミコトのことを案じても、彼女の苦悩は想像を絶するものだ。それだけははっきりとわかる。そして、自分にできることは何もない。

 それでも、ミコトが消えてしまうことを受け入れたくはない。彼女を繋ぎとめる存在でありたいと、テオは望んだ。その望みが叶うのであれば、神に祈ることもできるだろう。しかしそんなことをしても、何にもなりはしない。

 ミコトがミコトのままでいられるためには、何が必要なのだろう。自分に何かできることは――。

 また堂々巡りだ。テオは頭を振る。

 こんなことを考えていても仕方がない。忘れかけていたが、テオはもう、ミコトの護衛ではないのだから。

 ふと空を見上げると、雲行きが怪しくなってきていた。今雨が降れば、荷物が濡れてしまう。ミコトが帰ってくるまで、天気がもてば良いのだが。

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