73 再会(4)

 何が起こったのかわからないままテオが呆然としていると、ライナーが今さらながら、すばやくアイリを取り押さえた。

 アイリは弾かれた右腕を抱えているが、大した怪我はないようだ。状況からして、外から拳銃を狙撃されたのだろう。銃弾の威力からして、短距離からの狙撃と見える。しかし狙撃手がどこに潜んでいるのか、皆目見当もつかない。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたアイリを面白がる素振りもなく、ミコトは冷めた瞳で彼女を見下ろしていた。

「お話ししければならないことがあります。あなたのおっしゃる通り、確かに私は女神の末裔であり、特別な存在でもあるのでしょう。その証拠に、私にはこの世界ができる少し前からの、千年以上に及ぶ記憶があります。それはどうやら、先祖代々受け継がれてきた、女神……、エルピスの記憶のようです。厳密に言うと受け継がれてきたのは彼女の人格であり、憑代が亡くなると同時に、その子どもに乗り移る仕様のようですが。……なぜだか私は、母がすでに他界した今も、ここにいます」

 おそらくアイリにも信じ難いであろう事実を、ミコトは淡々と語る。

「それがなぜなのか、私にもわかりません。むしろ私は、とっくに消えて存在していない幻想なのかもしれない。もしそうだとしても、私がエルピスと同一であることを受け入れないために、そして私が存在し続けるために、私は女神を否定したのですよ。……なんて、もうあなたには関係のないことですね。今さらこんなことを述べても仕方がないのですが、どんな歴史書よりも確かな事実をひとつ、あなたにお伝えしておきましょう」

 ライナーに取り押さえられ、床にへたりこんでいるアイリの前に、ミコトがしゃがみ込む。

「千年に及んだ皇帝、いえ、王室の血筋は、決して偽物ではありません。れっきとした直系の血筋です。真の皇帝を名乗る血筋こそ、傍系にあたります。したがって、あなた方が罵られる道理など、はじめから存在していなかった。あなた方だって、女神の末裔であることに偽りはありません。むしろあなたこそ、女神の末裔と呼ぶに相応しいのです」

 この言葉に、なぜだかアイリの目から涙がこぼれた。ミコトはそれを見て、満足そうに笑う。

「まあ、女神はもういないわけですが」


 屋敷はちょっとした騒ぎになったが、ミコトは知らん顔でバルコニーに出ていた。数日間毎日のように現れているという作り物めいた虹を、手すりにもたれながらぼんやりと眺める。

 背後に気配を感じて振り返ると、ライナーが立っていた。

「アイリは大丈夫?」

 彼は答えるかわりに、ちょっと肩をすくめて見せた。大丈夫なはずもないか。

「泣きつかれるのが面倒になったんだ。いい加減、従順な護衛は疲れた」

 彼のぞんざいな言い方が面白くて、ミコトは小さく笑う。

「背が高くなったね、レイ。六年前よりもずっと」

「それはお前もだろ」

 レイもミコトのとなりにもたれかかる。こうして並ぶと、昔を思い出す。

「残念ながら、私はリコじゃないけどね」

「名前なんて、どうでもいいだろ」

「男でもないよ」

 それはどうでも良くないのか、レイが言葉に詰まる。ミコトはまた、小さく笑う。

「レイは女嫌いなのかと思ってたけど、アイリのおかげで耐性がついたのかな? それとも、今も克服できていないの?」

「別に好きじゃないが、そこまで毛嫌いしてるわけじゃない。……この六年は、なかなかに辛かったが」

 レイが変わっていないことに、ミコトは少し安心する。しかしレイとアイリの関係には、多少興味があった。アイリはあからさまに、レイ、ではなくライナーに惚れ込んでいるか、依存しているように見えたからだ。

「アイリは何も知らないんでしょ?」

「どうだか。少なからず感づいているはずだが、認めたくないだけなんだろう。俺はもうたくさんなんだが」

「それはちょっと冷たすぎるよ」

 レイは少し困った顔をした。確かにアイリは独占欲が強いから、引きはがすのには苦労しそうだ。代わりをあてがうべきなのだろうが、ミコトはあまり関わりたくない。

「それをお前に言われたくないな。……ところで、お前は大丈夫なのか?」

 エルピスのことだろう。ミコトはアイリやレイを信じさせる気がなかったのだが、レイは疑っていないらしい。ミコトが消えるべき存在であることを、レイはあっさりと理解していた。

「何をもって大丈夫とするかによるよ」

 レイに誤魔化しは通用しない。今さら気に病んでいるわけでもないし、強がりを言う気もなかった。

 レイはしばらく、考え込むかのように黙っていた。ミコトは返事を期待するでもなく、彼の横顔を眺めながらぼんやり考える。ミコトである自分は今、懐かしさを感じられているだろうか――。

 やがて、レイがおもむろに口を開く。

「お前は、とんでもなく記憶力が良いだろ。仮に千年分の記憶を詰め込まれたって、大した問題には思えないくらいに。女神の記憶が何を媒体として、どう蓄積されているのかは知らないが、ひとまず脳で記憶しているのだとしたら、それが無関係とは思えない」

 その斬新な考察に、ミコトは目を丸くする。人格を形成する記憶が、エルピスの膨大な記憶によって消されてきたのだとすれば、ミコトがその例外になったことも納得できなくはない。

 ミコトはその仮説を、全面的に肯定するほど楽観してはいないが、否定するほど悲観してもいなかった。

「それは興味深い考えだね。もしそれが正しいのだとすれば、私はおそらく父親譲りであるこの脳と、彼を父親に選んだ母親に、感謝しないといけないわけだ。あとは、アルヴなんてものを生み出した、古人の狂気かな。運命なんて自分が変えるべきものだと思っていたけれど、どうにもならないこともあるんだね」

 聞き慣れない単語にレイは眉をひそめたが、それについて訊こうとはしなかった。昔話を聞く気はないのだろう。ミコトもそれについて、話すつもりはなかった。

 お茶を濁すつもりで虹に視線を戻すと、大きな掌が頭を覆った。ミコトは思わず、レイを見上げる。

「だから、お前は大丈夫だよ」

 まるで、ミコトの葛藤を見てきたかのような言葉だ。

 掌から、彼の体温が伝わってくる。ミコトは瞳を閉じて、リコだったころを思い出していた。ああ、髪を切っておいてよかった。ミコトは心底、そう思った。

 ミコトは自分への未練に、決着をつけるつもりだった。エルピスを認めたら、彼女の記憶を受け入れたら、すべてが消えてしまうかもしれない。しかしその恐怖こそが、自分の存在を否定していたのだと気づいてしまった。だからエルピスの存在を明かすことにしたのだ。自分への未練を断つことで、自分の存在を受け入れようとしていた。

 それが矛盾していることくらい、わかっている。ではどうしろと言うのか。エルピスはすでに、ミコトの一部となってしまっているのに。それを認めなければ、ミコトは自分を偽り続けなければならないのに。

 その懐疑に答えはない。だからこそ、そんなものは無意味だと認めさせてほしかった。そして彼らの言葉は、そのどれもがミコトの望んだものだった。

「そうだといいね」

 ミコトは目を細める。やっぱりレイは優しかった。

「きっと私は、あなたとこうして話がしたくて、ここまで来たんだよ」

 今度はリコではなく、ミコトとして。


 

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