69 決着(2)

 マスターから報せを受け、ユンはロブスタに向かった。ミコトが店に来ているらしい。立場上の問題があるとは言えど、再会するにはもっと別の方法があるだろうに。しかしそれが、ミコトらしい。

 ユンは無意識に早足になっていた。はしゃいでいるわけではない。ミコトの企てた計画によって起きた一連の騒ぎを経て、ユンは彼女に対し、複雑な感情を抱いていたのだ。

 ミコトとは友人のままでいられるのか。自分は彼女のことを、何一つわかっていないのではないか。それを突き付けられるのは耐え難いが、それでもやはり、彼女に会いたいと思った。それに、追及したいこともいくつかある。様々な感情がごちゃ混ぜになって、結果的にユンの足を速めていた。


 ロブスタに着くと、ミコトが奥のテーブルで、優雅にコーヒーを啜っているところだった。久しいことではあるが、見慣れた光景だ。しかし、ミコトの髪はぎょっとするほど短くなっている。

「どうしたの、その髪」

 驚きすぎて、第一声がそれだった。

「久しぶり、ユン。昔みたいに短くするのも悪くないかと思って。大した意味はないよ」

 もちろん悪くはないが、ミコトの髪は、その色も、絶妙なウェーブもユンの理想で、羨むほどのものだ。短くなってもその魅力に変わりはないが、長い髪を切り捨ててしまうのは勿体ない。高く売れそうだったのに。

「いや……ちょっと驚きすぎただけ。それは気にしなくていい。で、出張はどうだった?」

「とても良いところだったよ。新しい発見もあって目的も果たせたことだし、文句はないね」

 ミコトは平然としている。彼女が怪物の出現を終結させたのであれば、それは神がかった所業であるはずなのに、まるで「行きたかった観光スポットに行けた」とでも言っているかのような軽い調子である。

「本当に、ミコトがやったわけ?」

 ユンに猜疑さいぎの眼を向けられたことが意外だったのか、ミコトは目を丸くした。それでもにこやかな表情は崩さずに、ちょっと首を傾げる。

「私がやったわけではないかもしれないけれど、私が行かなければ何も変わらなかっただろうね。でもそれが何を救ったのかについては、私にもわかりかねるかな」

「……どういうこと? どう考えても外延部の人間は救われただろうし、ミコトだって利があったから、あんな計画を実行したんだろ? 国外でしたことだって、同じじゃないの? いったいミコトは何を知っていて、あたしに何を隠してる?」

 ユンは我慢できずに声を荒げる。憤りではなく、言いようのない不安で声が震えそうだった。ミコトはいつも、大事なところをはぐらかす。嘘はつかないのに、絶対に話そうとしないことがある。それは、ミコト自身についての話だ。人に言いたくない事情なんて誰にだってあるわけで、ユンもそれは身をもって知っているから、これまでは特に気にしなかった。でも、今は違う。

 明確な何かがわかったわけではない。ぼんやりと、ミコトが離れていくことを想像してしまっただけだ。いや、何かに気づいている自分を認めたくないだけかもしれない。

 口元は笑ったまま、ミコトの瞳に影が差す。

「私が知っていること、か。それはきっと、この世界の全てだよ。この世界が存在する意義であり、この世界が生まれた理由。そしてこの世界を存続させる何かだ。私は『ミコト』が生まれる前どころか、この世界が生まれる前のことすら記憶している。でも、『ミコト』という人間について誰よりも知っているはずなのに、自分が誰なのかわからない。真の皇帝? そりゃあ千年もの記憶があれば、それはそれは、優れた皇帝になれるだろうね。でもそんなことを認めてしまったら……、女神の存在を証明してしまったら、私はいったい誰になればいい?」

 この世界が生まれる前の話なんて、神話や伝説ではないか。そんな話を信じられるはずがない。生まれる前の記憶なんて、あるはずがない。こんなに胡散臭い話なのに、ミコトが口にしたら、なぜだか真実味がある。ユンは困惑していた。

 黙り込むユンを見て、ミコトは目を伏せる。彼女はそれでも、微笑みを崩さない。

「私の生まれる前の記憶が、自分のものであることを否定できなくなってしまったら、きっともう二度と、私はユンに会うことができない。自分のままでいられない。だから私は、この記憶を裏付ける、女神への信仰を否定したんだ。もしそれが無駄な抵抗だったとしても、この計画を知る人には、きっと気づいてもらえるし、覚えていてもらえる。私は運命だろうと宿命だろうと、抗うことをやめない。好きな人のためだけに生きることを諦めない。国のために生きるなんて、絶対に受け入れない。私は、誰かとは違うから。私がそうでなくなったら、それはすでに私じゃない。現に今、ユンは気づいてくれたでしょ?」

 ミコトが真の皇帝という運命から逃れようとしていることには、何となく気づいていた。彼女の計画を突き詰めれば、可能性として見えてくることだ。そして、ミコトならそうするだろうと、友人として納得できた。

「無駄な抵抗って、どういうことだよ……」

 ミコトの中にあるのは、女神とされる誰かの記憶なのだろう。それに侵されたら、ミコトはミコトでいられない。記憶が人格を形成するのなら、いったい誰が、彼女の存在を証明できるというのだろう。女神を殺すこと、それがミコトにできる渾身の抵抗で、それ自体は成功した。それが無駄に終わるだなんて、信じたくはない。

 そしてようやく理解する。ユンは、ミコトが人智を超えてしまうことが怖いのだ。どんなに自分を誤魔化しても、彼女のことを理解できなくなってしまうから。

 動揺するユンを慰めるように、ミコトが目を細める。

「私が好きになる人は皆、自分で道を切り拓くことができる、強い人たちばかりだった。そして彼らは、私が消えても、それを受け入れてくれると信じられる人たちなんだよ。私はそれがどうしようもなく悲しいのに、そうじゃない人を受け入れることができない。ユンもきっと、そういう人だよ」

 ミコトと二度と会えなくなったら、それを受け入れられるのだろうか。自分は、それを悲しむことができるだろうか。ユンの背筋に、冷たいものが走る。その答えはきっと、誰にとっても残酷だ。

「そんなの、認めない」

 ユンは思わず、ミコトの手を掴んでいた。ミコトがゆっくりと、ユンに目を向ける。その深い青色の瞳は、何の感情もたたえていない。ただ美しいだけの虚ろだ。

 ミコトには、決定的に何かが欠けている。だからこそ美しく、人を惹きつける。顔と両腕を失った塑像のように、形を成しては叶えられない理想、あるいは完璧な何かを思わせる。見る者に、都合の良い解釈で埋め合わせをさせてしまう。惹きつけられた人々は、彼女に幻を見ているのだ。そしてユンも、その一人に他ならない。

 ミコトは悲しげな笑みを浮かべて、ユンの手に触れる。

「そうだね。私もそれを確かめる気はない。それにまだ、計画は終わっていない」

 ミコトの瞳に、鋭い光が宿る。今度はミコトが、ユンの手を握る。

「すべてが終わったら、美味しいものを食べに行こう」

 ユンの不安を知ってか知らずか、ミコトは何かを企むような、いたずらっぽい笑みを浮かべる。それを見て、ユンは苦笑する。

 ユンがミコトを理解できなくても、ユンのことをこれほど理解できるのは、きっとミコトしかいない。彼女は唯一無二の存在で、それは姿形によるものではない。

 ユンにできるのは、彼女の手を握り返すことだけだ。それが意味を成さずとも、友人であるふたりには相応しい。

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