67 旅の終わり(2)

 どんな長旅でも、帰路は短く感じるものらしい。東に向かう際は風向きが安定するからだとミコトから教わったが、残念ながら、テオはその手の知識にも疎い。

 片付けや荷物の運び出しに忙殺された挙句、入国する際の面倒な手続きに長々と待ちを食らい、帰還した喜びさえも感じられなかった。しかし安堵はあったらしく、蓄積された疲労を今になって感じていた。

 やっとのことで壁を越えると、教授がウィルを連れて待ち構えていた。

「よく帰ってきたな。報せを受けて車を走らせて来たんだが間に合ってよかった。いやむしろ待たされたくらいだが。まったく入国にしろ出国にしろ手続きが面倒なのがこの国の汚点だな。それはともかくふたりとも疲れただろう。乗ってくれ」

 中央地区から北地区の端にまで移動するのだから、結構な時間がかかったはずだ。それを優に凌ぐくらい、手続きは長引いていたということか。すでに終えた後だというのに、考えただけでめまいがしそうだ。

 教授の早口に、ウィルが苦笑いしている。疲れていることは否定のしようもないので、ふたりはありがたく乗車する。


 ウィルの運転する車の中で、教授のマシンガントークをひたすら聞かされたが、それすらも心地よいほどに、テオは懐かしさを感じていた。眠りたい気もしたが、今はまだ、気を抜く場面ではない。

「国は変わっていませんか?」

 不意にミコトが尋ねる。その質問がよほど可笑しかったのか、教授は大笑した。

「まさかそんなはずあるまい。君も知っている通りだ。まったく国は平和だよ」

 ミコトの告白を聞いた後だ。テオにもこれが皮肉であることくらいはわかる。

「そうですか。申し訳ないのですが、教授のお宅にお邪魔する前に寄っておきたいところがあるので、私だけ途中で下ろしていただいても構いませんか?」

「それはもちろんいいが、テオは一緒じゃなくていいのか?」

 ミコトがちらりとテオを見て、小さく笑いかける。テオが文句を言うことではない。

「この国で護衛は必要ないでしょうし、私事ですから」

 教授はそれについて何も言わなかったが、ウィルが小さく鼻を鳴らすのが聞こえた。ミコトもそれに気づいているらしく、少しだけ口角を上げ、バックミラーを上目遣いに見る。

「ウィルさんは、とうとう覚悟なさったんですね?」

 テオにはその言葉の意味が分からない。運転するウィルの横顔と、ミコトを見比べる。

「覚悟も何も、君に煮え湯を飲まされた上司を見限っただけだ。そもそも俺は、ドクターに雇われたころからあの男のもとに戻る気などなかった。いわゆる二重スパイというやつだな。俺に課されたのは、ドクターと君の監視。君のほうはおそらく、俺の監視だったんだろ? 人遣いの荒い上司には、お互い苦労したものだな」

「腹心の部下だったあなたとは、一緒にしないでいただきたいですね。私は利用されていただけであって、あの男の部下になったつもりは、はじめからありません。私を軍に引き込んだ上官があれほどの権力者になるとは、むしろほくそ笑んでいても良いところだったのでしょうが、いかんせん私はあの男が嫌いだったので。信頼できる方に引きずり降ろしてもらったまでです。私は特に、何もしていませんよ」

 置いてけぼりのテオは諦めて教授を見るが、教授は珍しく、黙って二人の会話を聞いている。その顔に、意外そうな表情はなかった。

「それも眉唾だな。ところで君はいつまで、その徽章きしょうをつけているつもりなんだ?」

「組織の長が代わっただけの話ですし、権限が奪われない限り外す気はありませんよ。私はこの立場も、この徽章自体も気に入っているので」

 ミコトが首輪と称した徽章。それが繋がっていた先は、ウィルのそれと同じだったということか。詳細は理解のしようもないが、ひとまずウィルは裏切り者ではないらしい。そしてそれを、教授は理解しているようだ。

「君が残ると言うのなら、俺は心置きなく足を洗える。君の企ては正直なところなまぐさいが、実に見事だった。お仲間にもよろしく伝えておいてくれ」

「それはどうも」

 ミコトはにやりと笑う。ミコトの言う「私事」も気にはなるが、テオが踏み入れるべき話題ではないと判断して、詮索はしないことにした。


「このあたりで結構です。また日を改めて、お家にお邪魔しますね。といっても、明日になるわけですが。テオもまた明日」

 ミコトが車を降りたのは、目的地である教授宅の手前ともいえるような、ごく近い場所だった。教授宅を訪問することより優先される用ならば、よほどの私事なのだろう。

 丁寧に頭を下げるミコトを見送り、車はゆっくりと発進する。

「ウィルは何者なの?」

 その質問にウィルは答えず、代わりに教授が口を挟む。

「それを訊くのはナンセンスというものだろう。君も話を聞いて大方予想がついているんだろう? おそらくそれは外れていないから訊かないでやってくれ。それに君が心配することじゃない」

 教授は鈍感なように見えるが、実はかなり頭の切れる人物だ。ミコトの護衛を終えたテオとしては、主人の言葉に従うほかない。

「それよりも君は、明日からの仕事について心配すべきだと思うがな。……今のうちに言っておいたらどうです?」

「それもそうだ。だが君は今日までよくやってくれたようだから少しいとまを出してからにしよう。といっても今は客人を屋敷に招いているから、休みがてら自宅の警備は任せるがな」

「客人?」

 教授宅に呼ばれるのはミコトや他の研究員くらいだと思っていた。しかし彼らを客人とは呼ばないだろうし、警備を強化する必要があるということは、少なくとも数日間滞在していると考えるべきだろう。

「会えばわかるさ。まあそれも、君が気にすることじゃない」

 何やら隠し事が多いらしい。テオはけ者にされている気分だ。

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