66 旅の終わり(1)

 ミコトは宣言通り、ばっさりと髪を切った。

 ベゼルを出る前に誰かに切ってもらえば良かったものを、そこにはこだわりがあるのか、ナイフを使い、自分で切っていた。無造作に切ったようにも見えるが、銃弾で切れて短くなった髪がうまく馴染んでいる。

「短くするのはいつぶりかな。ずっと長かったから、頭が軽い」

 そこでテオは思い出す。ウィルに聞いた、ミコトが男に見えたという話と、ミコトが男のふりをして身を隠していたという話。ミコトの過去についてはかなり簡潔にしか聞かされていないが、そこから純粋に考えれば、八年前ぶりなのだろう。それをミコトが覚えていないはずがない。

「雰囲気がずいぶん変わるね」

「だろうね。どっちのほうがいい?」

 テオは何となく言ったのだが、ミコトに突っ込まれてたじろぐ。ミコトはそれを見て、可笑しそうに目を細めていた。

「見慣れてるのは長いほうだけど、短いのも似合うと思うよ。ちょっと大人っぽい、かな」

「大人っぽい、か。……なるほどね」

 何がなるほどなのか、テオにはわからなかった。

 あらわになった細長い首筋は、どう見ても女性にしか見えない。短髪は男、長髪は女と見なすのはあまりにも偏見的であるし、髪を切ったところでミコトが男っぽく見える、なんてこともなかった。それが通用するのは、テオくらいの子どもまで。

 ミコトはまだ短い髪に慣れないのか、しきりに横髪を耳にかけようとして空ぶっている。なんだか落ち着かない様子だ。

 指を髪にかけたまま、ミコトがつぶやくように尋ねる。

「まだちゃんと聞いていなかったけど、テオは私の過去を知って、どう思った?」

 過去というのは、いったいどのあたりを指すのだろう。宮殿にいたころか、地下街という無法地帯にいたころか、養子に迎えられたころか。それとも、ミコトが真の皇帝であるとされていたこと自体なのか。

「どうって言われても……」

 テオには、どう答えて良いのかわからない。正直に言えば、ミコトらしい。そう思った。

 育て親が殺されたとき。地下街で悪事に手を貸したとき。姉が殺されたとき。どの場面を語っても、ミコトは顔色ひとつ変えなかった。きっとミコトは、絶望にうちのめされたことがないのだろう。どんな悲劇に見舞われても、どんなに意に沿わない運命に翻弄されようとも、彼女は決して絶望しない。誰かのせいにすることもない。状況に応じて立ち回ることはあっても、自分を曲げない。それは他の誰でもなく、ミコトらしいではないか。

「ミコトだから、今もここにいられたんだろうなって、思った」

 ミコトがわずかに目を見開く。意外な答えだったのかもしれない。しかしそれを誤魔化したのか、すぐに覗き込むような、いたずらっぽい瞳に変わる。

「それは私が、小賢しい子どもだったからってことかな」

「そうじゃなくて……」

 うまく言えなくて、テオは言葉につまってしまう。

「私は君が、私の子どものころに似ているって、前に言ったよね。だけど君と私が決定的に、それはもう明らかに違うこと、それはきっと、人を殺せるかどうかなんじゃないかって、私は思ってる」

 テオはいよいよ言葉を失う。ミコトが人を殺したと明言したのは、宮殿から逃げたときの話だったか。聞き逃しそうになるほどあっさりと、ミコトは殺人を自供した。

「君は人を殺せない。それはわかっていた。だって君は、胸を狙えば一発で決まるときでも、わざわざ手足を狙うもの。君が戦ってきたのは人間ではなく怪物だから、当然と言えば当然だった。君ほどの射撃の腕がある前提なら、余計な死人を出さないことは確かに合理的だけど、君がそんなことを考えていないってことくらい、私にはわかる。君の優しさを、甘さを知ったうえで、私はいつも、どうして今さら殺生を避けるんだろうって思ってた。死ぬのが人間だったら、それは特別な行為になるの?」

 いつもの微笑のままなのに、ミコトの表情が消えていくようだった。

「命を奪うということは、その対象が何であっても同じ行為でしょ? 悪人だから、敵だから、下等生物だから正しくて、反対に罪のない人間や味方、高等生物だったら間違ってるだとか、善悪に関わらず、人を殺したら確実に心が蝕まれるだとか、私には何ひとつわからない。殺生が最大の罪っていうのは、人類の共通認識なの? そのわりに殺生が絶えないようだけど。そもそも私には、どうして死んだら悲しいのかすら、わからない」

 ミコトは畳みかけるように吐き出した後で、静かに、深く息を吸う。

「私は誰かを殺しても、あるいは誰かが死んでも、何も感じない。きっと例外も存在しない。だから躊躇いもなく誰かを切り捨てて、隠れみのを転々とできるんだと思う。テオはそれを、蔑むのかな」

 ミコトはまた、髪をかき上げるようにして触っている。そこに思い出でもあるかのように。

 テオは黙って首を横に振る。ミコトの疑問には答えられないのに、肯定してはならないことだけはわかった。

 ミコトは少しだけ笑ったが、その瞳に光はなかった。

「私はまだ、ここにいられるのかな。私は都合の良い自分を作っては捨て、その度に新たな自分を作って生きてきた。いや、自分を作っているのは、私じゃない誰かかもしれない。自分が消えてしまうことが怖いのに、消える自分が誰だかわからない。……私はまだ、ここにいるのかな」

――私はいつまで経っても、自分が誰だかわからない。

 エルピスの存在が、ミコトにそう思わせるのか。ミコトは完璧すぎるから、自分を信じることができないのか。ミコトの苦悩は、誰にも理解されない。誰とも共有できない。

 ミコトが小さく息をつく。

「昔を思い出したら感傷的になっちゃったね。気にしないで」

 こんなに苦悩に満ちた真情を吐露しているというのに、ミコトの声色は軽やかで明るいままだ。彼女の表情、言葉、感情、そのどれもが乖離かいりしているように感じる。

 気にしないで、なんて無理だ。

「今のミコトのままでいてほしいって言ったら、ミコトはそのままでいてくれるの?」

 ミコトがエルピスの記憶に侵食されてしまうのは、テオだって怖い。ミコトが消えてしまうのは、彼女が死んでしまうことよりもきっと辛い。

 ミコトと目が合う。深い青色の瞳は、出会ったころと何も変わらない。柔らかい表情に隠された、冷たい光。それは無意識に人を惹きつけるのに、誰も寄せ付けない。どこにもいない誰かを求めている自分すら、彼女自身が軽蔑しているかのように見える。

「君がいてくれるなら、私は誰になる気もないよ」

 テオが見た感情の揺らぎすらも、ミコトにとっては幻想に過ぎないのかもしれない。


 テオはミコトに出会って、初めて自分の意思と向き合うことができた。ミコトと一緒にいれば、与えられた道を進み続けるだけの、無責任な自分を変えられるかもしれない。そんな期待を抱かせてくれた。現に、彼女の動機が何であれ、ミコトと出会ってからのわずかな間で、あの空虚な日々に意味を見出せたではないか。

 テオは少なからず、ミコトに救われていた。彼女に導かれたから、自分の意思を見つけられたのだ。そして自分の存在が救いになれるのなら、彼女と一緒にいたいと思った。

 今度は自分が、ミコトのしるべとなりたい。彼女が自分を見失わないように。

 それを口にしたら、彼女はどんな顔をするだろう。それを想像して、テオは言葉につまる。

 きっと彼女には、そんな台詞さえも白々しい。

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