65 過去(2)

 ユンと出会ってから、サムの人生は滅茶苦茶だ。それなのになぜか、うまくいっている。

 能力のない人間が、運の良さだけで事態を切り抜けていく。まるで、劇的な展開だけが売りの小説のようだ。しかし自分は主人公ではなく、主人公の敵とならなかっただけの傍観者だ。

 例の教団はもはや存在していないし、辺境で起きていた災厄も終息した。サムが引き抜いたことになっているあの啓示通りに事は進み、多くの疑惑を残しながらも、一連の出来事は奇蹟として人々に認識されている。より人々に受け入れられやすくするために、ところどころ情報操作があったこともサムは知っている。

 人々は真実より、虚偽交じりの事実のほうが好みなのだ。それはずいぶん前から知っていたが、その好みに応えることこそが自分の仕事だと認められたのは、つい最近だった。

 情けないことばかりだ。ユンと話をしていると、それを痛感する。調子に乗りそうになる自分を抑えるために、サムは毎日のようにロブスタへ通い、ふらりと現れるユンに会いに来ているつもりだった。


「前から思ってたんだけど、サム君はユンちゃんに気があるの?」

 唐突なマスターの質問にコーヒーを吹き出しそうになるが、サムはなんとか飲み込んだ。

「そんなんじゃないですよ。仕事がはかどるから来てるだけで」

「ふうん。それならいいけど」

 何が良いのかわからない。

「どういう意味ですか、それ」

「別に深い意味はないよ。サム君じゃ心配とかそういうことでもなくて。ただ、ユンちゃんは男に興味がなさそうだから」

 確かに、男に媚を売るような女性ではないだろう。これ以上訊くと妙な話になりそうなので、話の方向を逸らす。

「いや、そういう心配は無用なので」

「ま、俺が心配することでもないんだけどね。ユンちゃんはミコトちゃんといるのが良いと思ってるから、男がついたら嫌だなあ、なんて考えちゃってさ。まあ、いつかはそういう日が来るんだろうけど」

 マスターのそれは老婆心というものだ。父親じゃあるまいし。

「そんなに仲が良いんですか」

「うーん。よくいる女の子たちみたいに、あからさまにべたべたする仲ではないよ。適度な距離を保ちつつ、お互いに必要としてるんだろうなって思える仲。たぶん見ればわかるよ。ユンちゃんは、ミコトちゃんを君に会わせたくないみたいだけどね」

 サムとしてはぜひとも会ってみたいのだが、ユンに頼むことは無理らしい。

「俺、嫌われてるんですかね」

「それはないんじゃない? ユンちゃんは正直者だから、本当に嫌いだったらとっくに切り捨てられてるよ。まあミコトちゃんに手を出そうとしたら、間違いなく殺されちゃうとは思うけど」

 冗談じゃない。しかし「手を出す」には別の意味もありそうで、聞き流すこともできなかった。

「ミコトちゃんがもうすぐ帰ってくるって噂もあるから、毎日ここに通ってれば、いつか会えるかもね。それで、仕事のほうはどうなの?」

「恐ろしいまでに順調ですよ。毎日コーヒーを飲みに来れるくらいには……」

 サムは二杯目のコーヒーを飲み干す。


 例の騒ぎが落ち着いてから、サムは事務所設立の手続きに追われながらも、密かにミコトのことを調べていた。深い意味はない。好奇心に勝てなかっただけだ。

 遡れたのは、オリヴァー家の養子となった頃まで。すでに特筆すべきことは山のようにあるが、その先を追うことができない。どう考えても、怪しい人物だった。

 ただ、彼女の顔写真を手に入れたときに、アイザック氏とどことなく似ている気がした。それこそ、彼女の幼少期が謎である理由なのかもしれない。誰も追及しようとしないだけで、彼女の存在が、アイザック氏唯一のスキャンダルである可能性は低くないからだ。そう考えると、サムも深掘りする気をなくしてしまった。

 ひとまず、母親を亡くしたか何かで、父親であるアイザック氏に引き取られたと見るのが妥当だろう。大まかな状況だけは、ユンと重なる。

 父親がアイザック氏なら、ミコトが異常なまでに優秀であることにも頷ける。母親が気になるが、すでに死去している可能性が高い。それに両親を知ったところで、本人を知ることができるわけでもない。それ以上調べても、意味を成さない気がした。ただ、ミコトに会ってみたい、その願望だけが残る。

 どれだけ過去を調べても、そこから見える過去は所詮、想像に過ぎない。ユンに言われたことだ。それならば、過去を知って見える人柄なんて妄想に等しい。どうしてミコトがあのような計画を企て、他人を巻き込んでまで実行したのか。それこそが最も知りたい疑問だ。本人からその答えを聞けるのであれば、ぜひとも彼女に会いたいものだ。

 ユンには何と言われるだろう。どやされるくらいなら全く構わないが、彼女に嫌われるのは避けたい気分である。ユンとの会話かミコトとの対面、どちらか捨てねばならないとして、自分は選ぶことができるだろうか。それよりも、自分はいつまでユンと関わっていられるのだろうか。サムはそんなことばかり、考えてしまっていた。

 また、ユンに優柔不断だと怒られてしまいそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます