62 傍観者

 ギブソン教授はやけにご機嫌な様子だった。

「どうされたんです? ドクター」

 返答はわかりきっているが、レベッカは敢えて尋ねてみた。

「外縁部の怪物が現れなくなったそうだぞ。いったい何だったんだろうな。ミコト君が出向いた成果なのか、単なる偶然なのか知りようもないがとにかくありがたいことだ。やっと本来の研究に戻ることができるというわけだ。これで喜ばずにいられるか?」

 予想通りの返答にレベッカは苦笑する。

 謎の怪物が現れて二、三十年が経ったとされている。一般市民に知らされたのは八年ほど前に過ぎないが、教授はもっと前から、怪物の研究に携わっていたのだろう。レベッカもそれがいつからなのかは聞かされていないが、怪物のおかげで「本来の研究」が立ち消えそうになっている、という話は何度も聞かされた。

「偶然なはずはないでしょう。例の啓示と同期しているのですから、ミコトちゃんが無関係なわけがありません。ところでドクター、本来の研究というのは、何のことです?」

 例の啓示に関して、ミコトから詳細を聞いているわけではない。しかし彼女の頼み事や状況から考えれば、彼女が主導している可能性は見えてくる。レベッカも、その目的にまでは考えが及んでいなかった。

「再開するまでは誰にも言うつもりはなかったんだが、君になら教えてもいいか。私の本来の研究というのは、異常なまでに身体能力の優れた人間に関する研究だ。ちょうど君のような人々が世界中で一定数いるはずなんだ。ミコト君には少しだけ話したことがあるんだが、興味をもったのか歴史書の記述を調べてきてくれたから、ずいぶん前からうずうずしていたところだ。軍にしたって先のない怪物の研究よりそちらを優先すべきだったに違いないというのに、今になって体裁など気にして――」

 誰にも言うつもりがなかったと言うわりに、ミコトには話してしまったのか。

「ドクターはそういうのがお好きですね。傭兵マニアにとどまらないんですか」

 優秀な軍人を引き抜き、個人の私兵として雇うのは教授の趣味だ。これ以上増えると物々しくなるからやめろと娘のキャロルに言われて、現在はテオを合わせて六人に抑えられている。軍が派遣する護衛を断っているので、軍にもあまり良い顔はされていない。この話を知る者には、傭兵マニアと呼ばれる始末だ。

 しかしこの教授は、見境のないところこそあるが愚かではない。これ以上軍に睨まれないために、ウィルを引き込んだのだ。というのも、彼は私兵となった後も軍に通じているらしい。教授の了解があるのか、それとも命令なのか、レベッカには知り得ないが、彼のおかげで、軍は教授の私兵を容認している。

「私はこれが調べたくて軍に入ったようなものだからな。ミコト君もそのために、国外で奮闘したはずなんだ。壁内の私たちには結局よくわからない話だったが、国の様子を見るとかなり厄介な存在だったんだろう。ともかくこれで本格的にアルヴの研究ができるというわけだ。これから忙しくなるかもしれないぞ」

 耳慣れない単語が聞こえたので、レベッカはタイミングよく話を遮る。

「アルヴとは、ドクターがつけた名称ですか?」

「いや違う。ミコト君が古い文献から見つけてきたものだ。所謂いわゆる幻の歴史の中に記述があるらしいんだが、容姿、知能、身体能力等に優れた人間らしい。その詳細に関しては解読不可能だと聞いているが、売買されていたという記述から奴隷か何かだったんだろう。そんな能力の高い人間が奴隷階級に留まっているというのは解せないが、家畜として扱われていたというなら話は別だ。人為選択で優れた人間を生み出すというのも――」

 人間を家畜のように扱うとは、家畜なら許されるのかという不毛な議論は無視するとして、不愉快な話に他ならない。少なくとも千年以上前の話。遺伝子という概念すらなかったのだろうし、高度な技術があるはずもない。人道的手法で彼らが生み出されたとは考えられなかった。気に入った形質や能力をもつ親を掛け合わせ、運任せに子どもを作ったというのか。

 千年前に優れた形質や能力をかき集めたところで、現在その末裔に如何ほどの効果が残っているのかは予想もつかない。しかし異常なまでの身体能力をもつ人間というのは、少なからず存在しているのだ。口には出さないが、レベッカ自身も無関係ではないと考えている。

「あまり気分の良い話ではありませんね。しかしどうして、彼らは奴隷とされたのでしょう。容姿が優れていたのならなおさら、成り上がりも可能でしょうに。ドクターに訊いてもご存知ないかもしれませんが」

「それは私も専門外だからな。ミコト君のほうが詳しいかもしれない。だがおそらく、奴隷と平民以上の階級の間に、決定的な違いがあったんだろう。奴隷を奴隷たらしめる要素があったんじゃないか。そしてそれは容姿でも、知能でも、身体能力でもない」

 容姿、知能、身体能力を除いたら、何が残るだろう。出身か、宗教か……そんなもの、どうとでも誤魔化せるはずだが。

「例の啓示では、私たちは罪人なんですってね。案外それが要素だったりするんでしょうか。人は根拠のないこじつけで、どこまで差別できるんでしょうね」

 レベッカは自分で言っているうちに、馬鹿馬鹿しくなってきていた。教授もこの話題にはあまり触れたくないらしく、マシンガンの弾数が減っている。

「そろそろミコトちゃんとテオ君も、ベゼルを出た頃でしょうか。しかしあの王女様も、なかなかに難攻不落ですね。ドリーも困っているそうですよ」

「まったくだ。キャロルも辛抱強く話し相手になっているようだが、まるで心を開かないらしい。ミコト君が帰ってくるまで匿うことは容易いが、あれでは本人がもたない。あの用心棒君も苦労するな。いったいどうしてミコト君があんなことを頼んできたのかわからないが、八年前の闇は深いということなのかもしれない」

 アイリは依然、自分の殻に閉じこもってしまっている。何がそれほどまでに彼女を暗くさせるのか、八年前のことを考えると余計にわからなくなる。ミコトが彼女の身柄を保護するように頼んだことも然り。

「案外、単なる知り合いかお友達なんじゃないですか」

 レベッカは思ってもいないことを口にしてみる。

「それではどうしてミコト君があんな突拍子もない計画を実行したのか解せなくなる。アルカ教に恨みがあったわけでもないだろうに、どうしてあれほど大胆で手の込んだ計画を立てる必要があったのか――」

 そうは言っても、ミコトには謎が多い。どれだけ仲良くしていても、彼女について理解できた気になれない。レベッカはミコトのことを気に入っていたが、どこかで彼女に対する恐れも抱いていた。それは本能的なものなので、説明はできない。

「お茶でも淹れましょう。コーヒーと紅茶、どちらにします?」

 そういえばミコトはいつも、紅茶を選んでいたような。

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